落語界の名門・林家一門に所属し、『笑点』の大喜利メンバーとしておなじみの林家たい平さん。
明るい人柄とユーモアあふれる話術で、幅広い世代に親しまれていますが、実は埼玉県秩父市のご出身だというのはご存じでしたか?
地元での学生時代や、ご家族とのエピソードなど、その素顔に触れるとたい平さんの魅力がより深く見えてきます。
この記事では、実家の場所やご両親・兄弟との関係、出身高校・大学といった学歴まで、プロフィールの背景を幅広く調査しました。
人柄のルーツが感じられるような情報を中心にご紹介していますので、気になる方はぜひ最後までご覧ください。
林家たい平の実家は秩父のテーラー
林家たい平さんといえば、『笑点』の大喜利メンバーとして長年親しまれている人気落語家さんですよね。
そんなたい平さんのルーツは、埼玉県秩父市にあります。
ご実家は「タジカ洋服店」という名前の仕立て屋を営んでいたそうで、地元に根ざした家業を家族で支えていたとのこと。
落語とは一見関係がなさそうですが、人と接する温かい環境の中で育ったことが、たい平さんの人柄や話芸の原点につながっているのかもしれませんね。
実家はたい平博物館に蘇って話題に
秩父と言うと、噺家の林家たい平師匠!笑点でもおなじみ。実家のだがしやたいへいとたい平美術館。地元の子供たちに笑顔を与えている。たまたま、空きがあって美術館にも入ること出来ました。
— Qchan🐝🍯🐻 (@maimaicat9chan) September 4, 2022
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店名:たい平美術館
住所:埼玉県秩父市東町26-14
電話番号:070-2220-8848
営業時間:1階(だがしや)11:00~17:00 2階(美術館)11:00~16:00
定休日:月曜~木曜 (不定休)
かつて仕立て屋として親しまれていた林家たい平さんのご実家ですが、時代の流れとともに店は閉じ、建物も老朽化が進んでいました。
そんな中、たい平さんはお兄さん・お姉さんと相談を重ね、ご実家を新しい形でよみがえらせることを決意します。
そして2022年、「たい平美術館」と「だがしやたいへい」として、秩父の地に再スタートを切ることになりました。
2階建ての建物の1階には、たい平さんのお母さんが晩年に営んでいた駄菓子屋を再現した「だがしやたいへい」、2階にはたい平さんのアート作品が並ぶ「たい平美術館」が入っています。
もともと美大出身で芸術への関心も深いたい平さんらしい空間で、展示作品からは落語家とはまた違う表現の一面が感じられます。
駄菓子屋は、お姉さんが中心となって運営しており、地域の子どもたちの笑顔が集まる交流の場にもなっているそうです。
SNSでも「笑点のたい平さんの実家が駄菓子屋になってた!」「美術館が癒しの空間だった」といった声が見られ、今ではちょっとした観光スポットとしても人気に。
単に「実家を残す」だけでなく、「思い出と地域への感謝を形にした」このプロジェクトは、多くの人の心を温めています。
芸人としてだけでなく、家族とのつながりや地元への想いを大切にしているたい平さんの人柄が感じられる素敵なエピソードですね。
秩父を訪れる機会があれば、ぜひ立ち寄ってみてはいかがでしょうか。
林家たい平の生い立ち
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— 林家たい平 (@taiheihayashiya) April 4, 2021
林家たい平さんは、1964年12月6日、埼玉県秩父市に生まれました。
子どもの頃から明るく、人を笑わせるのが好きな性格で、近所の人にものまねを披露して楽しませていたそうです。
落語と出会ったのは、武蔵野美術大学に進学してから。
たまたま目にした落語研究会に興味を持ち、「自分が入れば廃部を防げるかも」と軽い気持ちで入部します。
当初は本格的に取り組んでいたわけではありませんが、ある日ラジオで偶然聞いた落語に強く心を動かされ、「これが本物の芸か」と衝撃を受けたことが、落語家を志す転機になりました。
卒業後は林家こん平さんに弟子入りを志願し、1年間の行儀見習いを経て正式に弟子入り。
持ち前の明るさと努力で頭角を現し、『笑点』の大喜利メンバーとして広く知られるようになりました。
たい平さんの生い立ちは、「人を楽しませたい」という思いから始まった、偶然と情熱が重なった物語です。
林家たい平の父親
林家たい平さんのお父さんは、田鹿喜作さんという仕立て職人の方です。
若い頃から丁稚奉公で修業を積み、コツコツ努力を重ねて「タジカ洋服店」を立ち上げた、職人肌の誠実な人物だったそうです。
そんなお父さんに育てられたたい平さんですが、「落語家になりたい」と打ち明けたときは、すぐには受け入れてもらえなかったそうです。
芸人という不安定な道を心配する、親としての思いがあったのでしょう。
それでも、たい平さんが芸の道に本気で向き合い、やがてテレビでも知られる存在になると、お父さんも徐々に理解を示してくれるようになったといいます。
2019年6月に田鹿さんは亡くなられましたが、たい平さんはたびたび感謝の言葉を口にしており、「反対されたからこそ頑張れた」と振り返ることも。
職人として真摯に仕事と向き合う姿勢や、人を思う温かさは、お父さんからしっかり受け継がれているのかもしれませんね。
林家たい平の母親
林家たい平さんのお母さんは、田鹿ツヤ子さんという方です。
秩父で家族を支えながら「タジカ洋服店」の経営にも関わり、地域の人々にも親しまれていたそうです。
晩年には駄菓子屋を営み、子どもたちとのふれあいを楽しんでいたというエピソードからも、あたたかく穏やかな人柄が伝わってきますね。
たい平さんが落語家を目指したとき、反対していたお父さんとは対照的に、お母さんは終始応援し続けてくれた存在でした。
息子の個性や表現力を早くから理解し、信じて背中を押してくれたそうです。
「母は一番の味方だった」とたい平さん自身も語っており、その信頼関係の深さがうかがえます。
秩父にある「だがしやたいへい」は、そんなお母さんが晩年に営んでいた駄菓子屋を、たい平さんのお姉さんが再現したもの。
地域の子どもたちに笑顔を届ける場所として、その思いが今も受け継がれています。
ツヤ子さんは2020年11月に他界されましたが、生前はたい平さんの活動を誇りに思い、テレビでの活躍をあたたかく見守っていたそうです。
林家たい平の兄弟や姉妹
林家たい平さんは三人きょうだいの末っ子で、お兄さんとお姉さんがいます。
それぞれ別の道を歩みながらも、地元・秩父に根ざした暮らしを大切にしているようです。
お兄さんの田鹿哲哉さんは、かつて「うどん亭たじか」という手打ちうどんの店を営んでおり、地元の方に親しまれていました。
現在は「手もみ本舗」という整体院を開業し、地域に貢献する新たな道を歩んでいます。
一方、お姉さんの田鹿早苗さんは、実家をリノベーションした「たい平美術館」と、1階にある「だがしやたいへい」の運営を担当。
晩年のお母さんが営んでいた駄菓子屋を引き継ぎ、子どもたちの憩いの場として復活させています。
きょうだい3人それぞれの人生がありながらも、実家や地域と深くつながりながら支え合っている姿には、家族のあたたかさが感じられます。
たい平さんの明るさや芯の強さは、こうしたきょうだいとの絆の中で育まれたのかもしれませんね。
林家たい平の学歴
林家たい平さんのユーモアや豊かな表現力は、幼い頃からの経験や学びが土台になっているようです。
ここでは、たい平さんが通っていた小学校から大学までの学歴をたどりながら、学生時代のエピソードもあわせてご紹介します。
林家たい平の出身小学校
林家たい平さんの出身小学校は、秩父市立花の木小学校です。
この頃からすでに人を笑わせるのが好きで、ご近所の人にものまねを披露することもあったそうです。
毎週家族で『笑点』を観るのが楽しみだったというエピソードもあり、幼いながらに“話すこと”の楽しさに触れていたようですね。
明るく朗らかな性格は、この時期にしっかりと育まれていたのかもしれません。
林家たい平の出身中学
林家たい平さんは、小学校卒業後、秩父市立秩父第二中学校に進学しました。
地元では規模の大きな中学校のひとつで、たい平さんは生徒会長を務めるなど、当時から存在感のある生徒だったようです。
人前に立つことや、人をまとめる力がこの頃から育まれていたと考えると、落語家としての原点は中学時代にもあったのかもしれませんね。
林家たい平の出身高校
林家たい平さんは、中学卒業後、埼玉県立秩父高等学校に進学しました。
地域では伝統ある進学校として知られ、偏差値はおよそ54前後とされています。
高校時代は美術部に所属し、将来の夢は「美術教師」だったそうです。
芸人という現在の姿からは少し意外ですが、表現することへの関心はこの頃から強かったようですね。
この美術への興味が、のちの進学や芸の世界にもつながっていきます。
林家たい平の出身大学
高校卒業後、林家たい平さんは武蔵野美術大学の造形学部・視覚伝達デザイン学科に進学しました。
グラフィックデザインなどを学び、表現力や観察力を磨いていたそうです。
在学中は落語研究会に所属し、ここでの出会いが落語家を志すきっかけに。
卒業制作では「手ぬぐい」をテーマに藍染めの型絵染ポスターを制作し、研究室賞を受賞するほど高い評価を得ました。
美術で培った感性と、落語への情熱が重なった大学時代。
たい平さんの芸に宿る独自の視点や表現力は、まさにこの時期に育まれたものなのかもしれませんね。
まとめ
林家たい平さんは、仕立て屋を営む家庭でのびのびと育ち、明るく人を楽しませる性格を幼い頃から大切にしてきました。
大学時代に落語と出会い、その魅力に引き込まれて道を志すようになったという流れは、多くの人の心にも響くものがあるのではないでしょうか。
お兄さんやお姉さんもそれぞれの立場で地域と関わり、実家の再活用を支えている姿からは、家族の絆の深さもうかがえます。
こうした温かい家庭環境が、たい平さんの芸風や人柄にも自然とにじみ出ているのかもしれませんね。
現在では『笑点』をはじめとした番組で全国的に親しまれていますが、その背景には地元秩父や家族の支えがしっかりと根付いていることを、改めて感じられる内容でした。
