『笑点』の大喜利メンバーである落語家・林家たい平さんは、どこの学校に通っていたのでしょうか。
両親はどんな人で、兄弟はいるのでしょうか。
今回は、林家たい平さんの出身学校や家族、実家について調べてみました。
林家たい平の実家は秩父のテーラー
林家たい平さんは、埼玉県秩父市出身です。
実家は両親が「タジカ洋服店」を営んでいました。
実家はたい平博物館に蘇って話題に
秩父と言うと、噺家の林家たい平師匠!笑点でもおなじみ。実家のだがしやたいへいとたい平美術館。地元の子供たちに笑顔を与えている。たまたま、空きがあって美術館にも入ること出来ました。
— Qchan🐝🍯🐻 (@maimaicat9chan) September 4, 2022
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店名:たい平美術館
住所:埼玉県秩父市東町26-14
電話番号:070-2220-8848
営業時間:1階11:00~17:00 2階11:00~16:00
定休日:月曜~木曜 (不定休)
両親がお店を閉めた後、老朽化が進んでいたことから林家たい平さんはお兄さんとお姉さんと話し合い、リフォームして実家を再活用することを決めました。
そこで誕生したのが、「たい平美術館」と「だがしやたいへい」です。
1階の「だがしやたいへい」はお母さんが晩年に営んでいた駄菓子屋をお姉さんが再開する形で現在も営業しており、2階は美大卒の林家たい平さんが作った作品を展示しています。
林家たい平の生い立ち
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— 林家たい平 (@taiheihayashiya) April 4, 2021
1964年12月6日に誕生した林家たい平さんは、人を楽しませることが好きで近所の人にものまねを披露するような子供でした。
お笑いは好きだったものの、落語には縁がなく、大学に入るまで興味はありませんでした。
大学で落語研究会に入ったのも、1年生の時にたまたま目について覗いてみると人の良さそうな先輩が3~4人コタツで寛いでおり、話を聞くと「新入部員が集まらないので廃部寸前」と返ってきて、「私が入れば存続できるのでは?」と思ったからだったそうです。
そのためしばらくは落語にハマることなかったものの、3年生の時に家で課題の絵を描いているとラジオから落語が流れてきて、その落語に引き込まれ落語家になることを決意しました。
大学卒業後は林家こん平さんに弟子入りを祈願、1年間行儀見習いを経て弟子になりました。
林家たい平の父親
林家たい平さんのお父さんは、田鹿喜作さんと言います。
お父さんは丁稚奉公から仕立て屋の修業の道を歩み、努力の末にようやく店を持った努力家です。
そのため林家たい平さんが落語家になることには長く反対していました。
お父さんは、2019年6月に亡くなっています。
林家たい平の母親
林家たい平さんのお母さんは、田鹿ツヤ子さんと言います。
お母さんは林家たい平さんが落語家になることを、とても応援してくれていました。
そんなお母さんも2020年11月に亡くなっています。
林家たい平の兄弟や姉妹
林家たい平さんには、お兄さんとお姉さんがいます。
お兄さんの哲哉さんは、うどん店「うどん亭たじか」を経営していましたが後に閉店、現在は整体院「手もみ本舗」を経営しています。
お姉さんの早苗さんは、「だがしやたいへい」や「たい平美術館」を運営しており、一般人ですが過去にメディアに出たこともありました。
林家たい平の学歴
林家たい平さんが通っていた学校について調べてみました。
林家たい平の出身小学校
林家たい平さんは、秩父市立花の木小学校出身です。
落語にはハマっていなかったものの、この頃から家族で『笑点』をよく見ていました。
林家たい平の出身中学
小学校卒業後は、秩父市立秩父第二中学校に進学しました。
中学では、生徒会長を務めていたそうです。
林家たい平の出身高校
中学校卒業後は、埼玉県立秩父高等学校に進学しました。
偏差値は、54です。
高校時代は美術部に所属していました。
当時の夢は、教師でした。
林家たい平の出身大学
高校卒業後は、武蔵野美術大学に進学しました。
林家たい平さんは造形学部視覚伝達デザイン学科に在籍、偏差値は51です。
卒業制作では落語家に必需品の手ぬぐいをテーマに、藍染めの型絵染めで連作のポスターを作りました。
この作品は「研究室賞」を獲得したそうです。
まとめ
一般家庭で育った林家たい平さんは、ラジオをきっかけに落語家になりました。
空の上で見守ってくれている両親にも届くよう、これからも落語家として輝き続けてほしいですね。