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奥田瑛二の出身高校や大学は?若い頃がイケメン!事務所や年収なども

奥田瑛二の出身高校や大学は?若い頃がイケメン!事務所や年収なども 俳優
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ドラマや映画に多数出演し、映画監督としても話題を集めている俳優・奥田瑛二さんは、どこの高校や大学に通っていたのでしょうか。

若い頃はどんな姿だったのか、気になります。

そこで今回は、奥田瑛二さんの経歴や出身学校、若い頃の姿などについて調べてみました。

奥田瑛二の学歴

奥田瑛二さんが通っていた学校について調べてみました。

奥田瑛二の出身小学校

奥田瑛二さんは、春日井市立高座小学校出身です。

小学生の時に観た映画をきっかけに、役者になることを目指しました。

奥田瑛二の出身中学

小学校卒業後は、春日井市立高蔵寺中学校に進学しました。

中学では野球部に所属しています。

奥田瑛二の出身高校

中学校卒業後は、東邦高等学校に進学しました。

現在の偏差値は、47~61です。

高校ではラグビー部に所属、成長期を迎え身長が大きく伸びたそうです。

奥田瑛二の出身大学

高校卒業後は、明治学院大学に進学しました。

奥田瑛二さんは法学部に在籍、偏差値は55です。

大学では演劇部に所属していました。

芸能界入りを反対していたお父さんに「政治家の勉強をするため」と上京した奥田瑛二さんなので、大学時代お父さんのツテで衆議院議員の丹羽兵助さんの秘書を務めていました。

しかし議員秘書としての仕事もこなす学生生活を過ごすうちに自身の本分の是非に悩み出奔、大学も中退しています。

奥田瑛二の若い頃がイケメン

奥田瑛二さんの若い頃の姿はこちらです。

とてもカッコイイですね。

奥田瑛二のプロフィールや経歴

名前:奥田瑛二
生年月日:1950年3月18日
出身地:愛知県
血液型:AB型
身長:175cm
所属事務所:ゼロ・ピクチュアズ

上京後は付き人などを経て長い下積み時代を送っていた奥田瑛二さんは、1976年に『円盤戦争バンキッド』の主人公・天馬昇 / バンキッドペガサス役でデビューしました。

すぐにブレイクすることは出来なかったものの、1979年の映画『もっとしなやかに、もっとしたたかに』で実力を認められ、『もう頬づえはつかない』、『金曜日の妻たちへIII 恋におちて』、『男女7人夏物語』などに出演したことで知名度を上げ、「不倫してみたい俳優No.1」ともいわれていました。

1986年に36歳にして映画では初の単独主演をつかみ、毎日映画コンクール男優主演賞などを獲得、さらに谷村新司さんとのデュオでシングル盤「クラシック-CLASSIC-」をリリースしています。

1993年公開の映画『棒の哀しみ』では、ブルーリボン賞を始め国内の映画賞を多数受賞しました。

その後48歳の時には助監督を経験、50歳を迎えた2001年に『少女〜AN ADOLESCENT』で監督デビューを果たすと、監督3作品目の『長い散歩』がモントリオール世界映画祭でグランプリを獲得しています。

奥田瑛二の所属事務所

奥田瑛二さんは、「ゼロ・ピクチュアズ」に所属しています。

こちらには実の娘である映画監督の安藤桃子さん、アーティストのNiky Roehreke(ニキ ローレケ)さんも在籍しています。

奥田瑛二の年収

奥田瑛二さんの年収は公表されていません。

現在も多くの作品に出演し、知名度も演技力もあることから年収は数千万円以上になるのではないかと思われます。

まとめ

ブレイクまでの道のりは長かった奥田瑛二さんですが、幼い頃の夢はブレず、役者を目指し続けました。

その結果、今では映画監督としても評価されるほどの実力を付けることが出来たのだと思います。

これからも奥田瑛二さんの活躍を応援していきたいですね。

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