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奥田瑛二と安藤和津の離婚の危機があった?自宅や馴れ初めも調べてみた

奥田瑛二と安藤和津の離婚の危機があった?自宅や馴れ初めも調べてみた 俳優
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奥田瑛二さんの奥さんはエッセイストの安藤和津さんで、1979年に結婚しました。

プレイボーイだった奥田瑛二さんには、過去に交際が噂されていた女性がいます。

何故安藤和津さんは別れを告げなかったのでしょうか。

今回は、奥田瑛二さんと安藤和津さんの馴れ初めや離婚危機、自宅などについて調べてみました。

奥田瑛二と安藤和津の馴れ初め

奥田瑛二さんと安藤和津さんの出会いは、六本木のクラブのパーティーでした。

当時無名だった奥田瑛二さんはアパートを追い出されホームレスで、パーティー終わりに安藤和津さんの自宅に泊めてもらおうとするも失敗、しかし翌日六本木の喫茶店で待ち合わせをする約束をし、その日から毎日会うことになったそうです。

ある時、奥田瑛二さんは歯が痛くなって倒れ、歯医者で治療を受けたものの、そこには入院施設がありませんでした。

すると安藤和津さんが「うちで預かります」と、奥田瑛二さんのお世話を1ヶ月してくれました。

その姿を見た安藤和津さんのお母さんが「あんたたち結婚したら?」と言い、その流れのまま知り合って5ヶ月後には結婚が決まり、8ヶ月後には結婚式を挙げました。

奥田瑛二と安藤和津に離婚の危機があった?

奥田瑛二さんは、結婚後も恋の噂が絶えない「プレイボーイ」でした。

そのためこれまでの結婚生活の中で4~5回ほど離婚危機があったそうです。

奥田瑛二さんは「僕が一方的に悪い。僕はすぐ開き直っちゃう。和津さんに離婚届を見せられると“分かった。印鑑ね”みたいに。そうすると“何考えてるの、そうやってすぐ開き直る”とかって怒られてた」と明かしています。

奥田瑛二が不倫をしてもなぜ安藤和津は離婚しない?

離婚危機があったと告白している奥田瑛二さんですが、実際に安藤和津さんと離婚することはありませんでした。

いきあたりばったりだという奥田瑛二さんの人生を、何があっても支えてきたのは安藤和津さんです。

安藤和津さんは結婚した時に奥田瑛二さんの自由奔放な行動に疲れ果てていたものの、自身のお母さんから「いい男よ結婚したんだから仕方ない」と言われ、『モテ男と結婚出来た私は幸せ者』という考え方に変えました。

さらに安藤和津さんのお母さんが脳腫瘍で介護が必要になった時、奥田瑛二さんは積極的に介護に参加してくれたそうで、そんな奥田瑛二さんの姿に安藤和津さんは離婚を決断しなかったようです。

奥田瑛二の不倫相手①喜多嶋舞

奥田瑛二さんの不倫相手1人目は、元女優の喜多嶋舞さんです。

二人は、1986年にCMで共演していました。

いつ頃交際していたのかは分かりませんが、喜多嶋舞さんの元夫である大沢樹生さんが、喜多嶋舞さんとの間に誕生した子供と父子関係がないと判明した時に奥田瑛二さんが子供の父親ではないかと言われていました。

しかし奥田瑛二さんは自身の父親説を否定、喜多嶋舞さん自身も「付き合っていた時期が妊娠した時と違います」と大沢樹生さんに話していたそうです。

奥田瑛二の不倫相手②松田聖子

奥田瑛二さんの不倫相手2人目は、歌手の松田聖子さんです。

二人は、1987年のドラマ『スイートメモリーズ』で恋人役を演じていました。

しかし二人の交際は週刊誌が報じたわけではなく、奥田瑛二さんが公にしたわけでもありません。

証拠もないため、噂止まりです。

奥田瑛二と安藤和津の自宅

奥田瑛二さんと安藤和津さんの自宅は、東京都内にあります。

詳しい場所は公開されていないためわかりませんが、安藤和津さんが以前インタビューで「古い一軒家を色々リフォームしました」と明かしていました。

結婚当初はずっとマンション暮らしだったそうですよ。

まとめ

パーティーでの出会いから奥田瑛二さんと結婚した安藤和津さんは、2人の子供に恵まれましたが、全て順調な結婚生活というわけではありませんでした。

それでも様々な壁を乗り越え、今も夫婦関係を続けています。

これからも二人の歩む道が穏やかで幸せなものであることを願っています。

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