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椎名林檎の自宅が豪邸?年収や印税は?本名・代表曲や事務所も調査

椎名林檎の自宅が豪邸?年収や印税は?本名・代表曲や事務所も調査 歌手
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椎名林檎さんといえば圧倒的なカリスマ性をもつアーティストですよね。

数多くのヒット曲がありますが、椎名林檎さんの年収や印税はどのくらいあるのでしょうか。

自宅や事務所、経歴なども調べてみました。

椎名林檎の自宅が豪邸?

椎名林檎さんの自宅は公表されていませんが、ネット上ではいろいろな噂がありました。

椎名林檎さんは、以前、埼玉県にある実家の近くで暮らしていたといわれています。

そこは約500平米の土地で、椎名林檎さんは10年所有していたそうですが、2020年に椎名林檎さんのお父さんがその場所に大豪邸を建てたという報道がありました。

鉄筋コンクリート造りの真っ白な外壁の新居で、「娘の土地に建てさせてもらったけれど、将来娘たちが戻ってきても住める家にしたかった」と、椎名林檎さんのお父さんが話されていたそうです。

埼玉県で10年住んでいた土地を両親にプレゼントされた椎名林檎さんは、現在、東京都渋谷区にあるパートナーの児玉祐一さんのマンションで暮らしているといわれています。

椎名林檎の年収や印税がすごい?

1999年にリリースされた4枚目のシングル『本能』がミリオンセラー、2000年リリースの2枚目のアルバム『勝訴ストリップ』が230万枚を超える大ヒット作品となるなど、数多くのヒット曲をもつ椎名林檎さんですが、年収はどのくらいあるのでしょうか。

残念ながら椎名林檎さんの年収は公開されていませんでしたが、1998年から楽曲を制作、リリースしているので、CDの売り上げ、ライブでの収入、数々の楽曲提供などで相当な額の年収なのではないでしょうか。

また、それに加えて印税も毎年入ってきます。

椎名林檎さんはご自身で作詞作曲されていますので、楽曲制作の印税、そしてカラオケでの印税も入ってきますね。

確かに、カラオケの印税だけでも相当な額になりそうです。

大ヒット作品をリリースした2000年の推定所得が4億7400万円というはなしもありますが、2023年は椎名林檎さんのデビュー25周年で精力的に活動されているので、全盛期の年収に近いのではないかと思います。

椎名林檎の代表曲

たくさんの楽曲をリリースされている椎名林檎さんですが、ここで代表曲をご紹介します。

1998年5月27日に『幸福論』でデビュー、2枚目のシングル『歌舞伎町の女王』は「新宿系自作自演屋」を名乗って話題になりました。

リアルすぎる歌詞が話題になり、椎名林檎さんの実話ではないかという噂もありましたが、歌詞に出てくる「九十九里浜」は千葉県にあり、椎名林檎さんの出身地ではないため、フィクションではないかといわれています。

1999年リリースの『ここでキスして。』は、椎名林檎さんが初めてミュージックステーションに出演した時に歌われた、有名なヒット曲です。

大好きな男性にストレートに愛情表現する歌詞が、女性から人気が高い曲でもあります。

1999年リリース『本能』は、ナース姿でガラスを割るミュージックビデオで話題を集めて世間に幅広く知られるようになり、椎名林檎さん最大のヒット曲になりました。

2000年に同時リリースされた『ギブス』『罪と罰』ですが、『ギブス』は、椎名林檎さんにとって初めてのバラードで、デビュー前の17歳の時に交際していた恋人にあてて書かれた歌だといわれています。

デビュー当時から披露されてきた楽曲で、リリース前からファンの方が支持してきた曲のひとつです。

『罪と罰』は、椎名林檎さんが大ファンだと公言しているBLANKY JET CITYの浅井健一さんがギターで参加されています。

ちなみに、『丸の内サディスティック』の歌詞にでてくる「ベンジー」は、浅井健一さんの愛称であることはファンの方には有名な話ですね。

ミュージックビデオでは、椎名林檎さんの愛車の1970年代製のメルセデス・ベンツが半分に切られていて衝撃的でしたが、ご自身で発案したものの、実際切られた愛車を見た椎名林檎さんは涙を流したそうです。

2018年にリリースされた『獣ゆく細道』は、宮本浩次さんとコラボレーションした楽曲で、その年の紅白歌合戦でお2人で披露されて話題になりました。

この楽曲の制作は椎名林檎さんからオファーされたそうで、前年の紅白歌合戦に出演した際、舞台下手で宮本浩次さんに「2018年はどういう年ですか?」と声をかけられたそうです。

そこから1年後の紅白歌合戦を見据えて楽曲を制作されたようですよ。

宮本浩次さんは歌番組に出演した際、「難しい曲です」といいながらも完璧に歌いこなしていて、共演者の方々が驚かれていました。

そして、椎名林檎さんのバンド「東京事変」が2007年にリリースした『キラーチューン』は、水を浴びながら歩く姿が印象的なミュージックビデオになっており、椎名林檎さんの美しさが話題となりました。

ミュージックビデオの監督をされたのは、椎名林檎さんのパートナーである、映像ディレクターの児玉裕一さんです。

児玉裕一さんは、椎名林檎さんの楽曲のミュージックビデオを多数監督されていますが、先程紹介した『獣ゆく細道』も児玉さんの監督作品です。

『キラーチューン』は、元々『スウィング』という仮のタイトルがつけられていたようですが、椎名林檎さんがこの楽曲を初めて聴いたとき、「この曲はキラーチューンだ」と思ったそうで、そこからタイトルをつけられています。

椎名林檎の本名

椎名林檎さんの本名は、椎名裕美子さんです。

「椎名林檎」というアーティストネームは、高校生の時に『ここでキスして。』『ギブス』などの楽曲を初めてJASRACへ著作者登録をする際に登録する名前が必要になって、とりあえずつけた名前だそうです。

「林檎」という名前の由来ですが、「ビートルズのドラマーだったリンゴ・スターさんの名前を借りた」と椎名林檎さんがはなしていますが、元々は、子どもの頃かなりの恥ずかしがり屋で、すぐに頬が赤くなることから名付けたそうです。

椎名林檎のプロフィールや経歴

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プロフィール

名前:椎名林檎
生年月日:1978年11月25日
出身地:埼玉県生まれ、静岡県、福岡県育ち
血液型:O型
身長:167cm
所属事務所:有限会社黒猫堂

椎名林檎さんは、中学時代に友人とバンドを組んで学園祭で披露、高校生になると学校内外で本格的にバンド活動をされるようになります。

1994年、高校1年生の時からオーディションやバンドとして大会に出場しますが、大会関係者にソロ転向を勧められ、1996年の「MUSIC QUEST JAPAN FINAL」の決勝で「椎名林檎」として『ここでキスして。』を歌い、優秀賞を獲得されています。

この大会の地方予選の時にいくつかのレーベルから声がかかっていた椎名林檎さんは、その中から東芝EMI(現在のユニバーサルミュージック)と契約をしました。

1998年5月27日幸福論でデビュー、1999年にリリースされた『ここでキスして。』のヒットを皮切りに、アルバム『無罪モラトリアム』でブレイクを果たします。

2000年にリリースされた2枚目のアルバム『勝訴ストリップ』は、230万枚を超える大ヒット作品となりました。

2004年からはバンド「東京事変」としての活動も始められ、ソロ、バンドと精力的に活動されています。

その他にも、SMAP、石川さゆりさん、Ado、高畑充希さんなど、多くのアーティストへの楽曲提供や、SOIL&”PIMP”SESSIONS、レキシ(レキシネームはDeyonna)、宇多田ヒカルさん、宮本浩次さんなどたくさんのアーティストとのコラボレーションも話題になっています。

椎名林檎さんは、ゴールドディスク大賞、レコード大賞、またご自身が音楽監督を務められた映画『さくらん』ではアカデミー賞優秀音楽賞受賞するなど、数々のタイトルを獲得されていますし、リリースされる楽曲は、ドラマ、CM、映画、アニメ主題歌などにタイアップされ、たくさんの方々に愛され続けています。

2016年にはリオ五輪閉会式のフラッグハンドオーバーセレモニーで、クリエイティブスーパーバイザーと音楽監督を務め、また、東京五輪の開会式、閉会式の総合プランニングチームにも就任されました。

椎名林檎の所属事務所

椎名林檎さんの所属事務所は、有限会社黒猫堂です。

1998年から2001年までソリッドボンドに所属されていましたが、退社された後、2002年にご自身で黒猫堂を設立されました。

椎名林檎さんが代表取締役を務められており、元々は個人事務所でしたが、現在は椎名純平さん、東京事変、Dezille Brothers.が所属しています。

まとめ

今回は椎名林檎さんの自宅や年収、経歴などを調べてみました。

時代や世代を超えて愛され続けてきた、たくさんの名曲があることがわかりました。

デビュー25周年を迎えられた椎名林檎さん、これからの活躍も楽しみです。

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