Superflyの越智志帆さんは愛媛県出身ですが、学生時代はどのように過ごされていたのでしょうか。
今回は、越智志帆さんの学歴や経歴、代表曲や年収まで調べてみました。
Superfly越智志帆の学歴
越智志帆さんの通っていた学校について調べてみました。
Superfly越智志帆の出身小学校
越智志帆さんが通っていた小学校は、今治市立上朝小学校です。
残念ながら越智志帆さんの母校は閉校になってしまい、現在この校舎は違う団体が使っています。
上朝小学校と下朝小学校が統合して、2014年に今治市立朝倉小学校が開校されました。
越智志帆さんは「小さい頃から自分は音痴だと思っていて、人の前で歌うことが恥ずかしかった」と話されています。
Superfly越智志帆の出身中学校
越智志帆さんが通っていた中学校は、今治市立朝倉中学校です。
人前で歌うことが恥ずかしかった越智志帆さんでしたが、中学校で行われた合唱コンクールで歌うことの楽しさがわかり、友達から「志帆ちゃんの声すごかったよ」と言われて、自分の声量に気づいたそうです。
越智志帆さんは、この頃からパワフルな歌声だったのですね。
Superfly越智志帆の出身高校
越智志帆さんの通っていた高校は、愛媛県立今治北高校です。
今治北高校は1899年に開校された県立の共学高校です。
越智志帆さんが音楽を始めたのは高校3年生の時で、結成したバンドのボーカルを担当し、毎日メンバーと練習していたそうです。
高校時代は、主にポップスを聴いていました。
Superfly越智志帆の出身大学
越智志帆さんの通っていた大学は、松山東雲(しののめ)短期大学です。
松山東雲短期大学は松山市にある私立の女子短大で、越智志帆さんは秘書科に在籍し、ビジネスについて学ばれました。
越智志帆さんは1年生の時に松山大学の軽音楽サークルに所属し、ここで大学3年生の多保孝一さんと出会います。
後に、越智志帆さんは多保孝一さんとの出会いについて、「短大に通っていなければSuperflyはなかった」と話されています。
このサークルで行われた新入生歓迎ライブがきっかけで、多保孝一さんと一緒に「フィソガー5」というコピーバンドを結成して、様々なジャンルをカバーしていたそうです。
越智志帆さんが2年生の時、多保孝一さんがサークル内で結成したバンドに加入し、そこで越智志帆さんがボーカルを担当することになりますが、そのバンドが「Superfly」です。
「Superfly」というバンド名は、越智志帆さんが加入する前から決まっていて、多保孝一さんが名付けたそうです。
元々バンドだった「Superfly」は、いつのまにか越智志帆さんと多保孝一さんのユニットになりました。
越智志帆さんは短大卒業後、就職をせず、松山市を中心に音楽活動を続けていきます。
Superflyの代表曲
Superflyの楽曲はたくさんありますが、ここで代表曲をご紹介します。
まずは、2008年2月にリリースされた『愛を込めて花束を』です。
この楽曲は、ファンのみならず多くの方が結婚式で使われる定番曲になっていますね。
元々多保孝一さんが16歳の時につくった楽曲で、上京後に練り直し、デビュー前からライブの最後に歌われてきた曲だそうです。
それを、越智志帆さんと作詞を担当したいしわたり淳治さんとで、レコーディング前に更に歌詞を練り直したと言われています。
また、越智志帆さんは歌詞をよく理解するために、当時の恋人に花束を渡してみたそうですよ。
2018年10月にリリースされた『Gifts』は、NHK全国学校音楽コンクール中学校の部の課題曲として書き下ろした楽曲です。
越智志帆さんは、他の人が歌う曲をつくったのが今作が初めてで、制作にあたって悩まれたそうです。
曲を作るときに、中学生の悩みを知っているように書くのが嫌で悩みましたが、その時に自分の中学時代を思い出したそうで、「こういう風に考えられたら人生が変わったというような、こんな曲があったらもっと元気に暮らしていたかもしれない、そんな曲を作れたらいいな」と話されていました。
2023年11月にリリースされた『Ashes』は、先日まで放送されていたドラマ『下剋上球児』の主題歌でした。
越智志帆さんはこの楽曲の制作中、「情熱とは?」ということを毎日真剣に考えて過ごしていたそうです。
この楽曲では新しい試みがされていて、それは、「同じ場所で2人のカメラマンに写真を撮ってもらう」ことでした。
こちらが1枚目、アーティスト写真として発表されているものです。
そして2枚目、こちらが『Ashes』のジャケット写真です。
同じ場所にいるのに全く違った印象ですよね。
越智志帆さんは、「個性豊かな写真がそれぞれ撮れたし、新しい実験をしながらの撮影は楽しかった」と話されています。
越智志帆さんは、喉の不調で2023年6月から休養をとっていましたが、『Ashes』の発表をもって復帰を宣言されましたので、ファンの方々も喜ばれたのではないでしょうか。
年末には紅白歌合戦の出演も控えていますし、テレビで越智志帆さんの元気な姿を見られることが楽しみですね。
Superfly越智志帆のプロフィールや経歴
越智志帆さんは短大時代に多保孝一さんと出会い、2004年に多保孝一さんのバンドであった「Superfly」に加入しました。
短大卒業後の2005年からお2人は松山と東京を行き来し、下北沢のライブハウス「屋根裏」でライブを行います。
また、自主制作のCDを様々なレコード会社に送り、それを聴いた音楽関係者の方がライブを見に来てくれたそうです。
2006年には、松山より東京の方が評価されると感じ上京しますが、バンドメンバーが見つからず、結局そのまま2人でSuperflyとして活動することになりました。
2007年4月に『ハロー・ハロー』でメジャーデビュー、11月には多保孝一さんがSuperflyを脱退し、コンポーザー・アレンジャーへ転向することになり、Superflyは越智志帆さんのソロユニットとして活動することになります。
2008年2月リリースの『愛をこめて花束を』は初のドラマ主題歌に起用され、ミリオンセラーとなりました。
たくさんの楽曲を発表し、ライブも精力的に行ってきた越智志帆さんでしたが、2016年から1年8ヶ月間、喉の不調を治療するため長い休養に入ります。
その間、Superflyのイメージから離れて生活するため、ロングヘアーからベリーショートに髪型を変えたそうです。
2017年11月には長期休養からの復帰となる、デビュー10周年記念ライブを初のオーケストラ編成で行います。
プライベートでは、2018年4月にフジファブリックの金澤ダイスケさんとご結婚、2022年5月には第1子を出産されました。
Superfly越智志帆の性格
越智志帆さんはご自分の性格について小さい頃からよく考えていて、学生時代は特にコミュニケーションについて劣等感をもっていたそうです。
同級生を見て、なぜ自分は同じ年齢なのにうまくコミュニケーションがとれないのか悩まれたようで、悩みや考えをうまく言葉にできなかったと話されています。
そのような悩みを抱えていたことはパワフルに歌う姿からは想像できませんでしたが、越智志帆さんの書かれる楽曲は、同じように悩んでいる方々を励まし、背中を押してくれるのではないでしょうか。
Superfly越智志帆の所属事務所
越智志帆さんの所属事務所ですが、2018年から「44 CARAT」に移籍されています。
所属レーベルも2021年から「ユニバーサルミュージック」に移籍しました。
越智志帆さんは、「もう一度デビューする気持ちで新しい環境の中チャレンジしていくことを決めました」と話されています。
Superfly越智志帆の年収
たくさんの楽曲を発表している越智志帆さんの年収がどの位あるのか、気になりますよね。
Superflyの楽曲やライブの収益、それに加え越智志帆さんがご自分で作詞作曲されている楽曲やカラオケ、エッセイ集の出版の印税などもありますし、相当な額ではないでしょうか。
公式な発表はありませんが、一部のメディアでは、推定8600万ではないかと言われています。
まとめ
今回は、越智志帆さんの学歴や経歴、代表曲などを調べてみました。
様々なことに悩みながら自分と向き合い、喉の不調と度々戦ってきた越智志帆さんの、これからの更なる活躍が楽しみですね!