落語家として長年第一線で活躍している立川志らくさん。
実はそのお父さんはギタリスト、お母さんも有名人という華やかな家系の出身です。
そう聞くと、「お母さんはどんな分野で活躍していたのか」「やっぱり実家は裕福な環境だったのでは?」と気になる方も多いのではないでしょうか。
さらに、志らくさんには兄弟がいるのか、その関係やエピソードも知りたくなりますよね。
芸能一家とも言える背景や、幼少期の環境は、現在の志らくさんの人柄や芸風にも少なからず影響しているはずです。
この記事では、父親や母親の経歴、実家の暮らしぶり、そして兄弟についても触れながら、志らくさんのルーツをたどっていきます。
立川志らくの父親はギタリスト
ひるおびスイーツ師匠こと立川志らく #言いたい放だい pic.twitter.com/GHMoe7eK4v
— マキャモン 🏇473063492🏇 (@TEC_Arrowhead) December 31, 2023
立川志らくさんのお父さんは、クラシックギタリストとして知られる新間秀雄(しんまひでお)さんです。
現在は80代後半とみられますが、YouTubeには今も演奏動画が残っており、その指先から紡がれる澄んだ音色は衰えを感じさせません。
かつては「日本五大ギタリスト」のひとりと称され、国内外のコンクールやリサイタルでも高い評価を得てきた実力派で、クラシックギター界の第一線で長く活動してきました。
新間さんは演奏技術の高さに加えて、物怖じしない性格でも知られ、年上や著名な音楽家に対しても遠慮なく意見を伝える人物だったそうです。
この芯の強さや歯に衣着せぬ物言いは、志らくさんが情報番組やラジオで持論をはっきり述べる姿と重なります。
芸の世界で長く活躍するための強い信念や、自分の考えを明確に表現する力は、お父さんから受け継いだ大切な財産と言えるでしょう。
また、音楽に囲まれた家庭環境が、志らくさんの感性や表現力にも大きな影響を与えている可能性があります。
立川志らくの母親も有名人
立川志らくさんのお母さんも、お父さんと同じく芸の世界で知られた存在で、長唄の師匠として活動していました。
名前や詳しい経歴は公表されていませんが、志らくさんが子どもの頃からその道一筋で指導にあたり、多くの門弟を育ててきたといわれています。
長唄は日本舞踊や歌舞伎の演奏でも重要な役割を担う伝統音楽で、その世界で指導者として評価されるには長年の修業と確かな実力が不可欠です。
そうした環境で育った志らくさんは、幼い頃から芸事に触れる機会が多く、舞台人としての感性や表現力を自然と磨いていったのでしょう。
お父さんはクラシックギタリスト、お母さんは長唄の師匠という家庭は非常に珍しく、両親がそれぞれ異なるジャンルで活躍していたことは、志らくさんの幅広い視野や柔軟な発想にもつながっているように感じられます。
芸能の世界で長く第一線を走り続ける背景には、こうした才能豊かな両親から受け継いだ血筋と、日常的に芸と向き合う環境があったことが大きいのかもしれません。
立川志らくの実家はお金持ち?
2018年から5年間、M-1グランプリの審査員を務められていた、世田谷区出身の立川志らくさん。@sponichiannex
— ねつせた! (@netsuseta) December 28, 2023
今年、勇退されました。
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立川志らくさんの実家は、東京都世田谷区にあります。
世田谷区といえば、落ち着いた住宅街や教育環境の良さで知られ、古くから文化人や芸術家も多く住むエリアです。
実家がお金持ちかどうかについて公式な情報はありませんが、この地域で育ったことや、お父さんがプロのクラシックギタリスト、お母さんが長唄の師匠として活動していたことを考えると、一般的な家庭よりは経済的に余裕のある暮らしだった可能性が高いでしょう。
音楽や伝統芸能の指導は継続的な収入源となるだけでなく、演奏会や発表会、弟子との交流など、文化的にも豊かな生活環境を築く要素になります。
志らくさんは幼少期から、家の中でお父さんが奏でるクラシックギターの音色や、お母さんが弾く三味線の響きに囲まれて育ったはずです。
こうした日常は、耳の感性や表現力を磨くうえで大きな影響を与えたと考えられますし、その後の落語家としての豊かな語り口や間の取り方にもつながっているのかもしれません。
立川志らくの生い立ち
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— エンタメスタイル (@entamestyle) December 29, 2023
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立川志らくさんは1963年8月16日、東京都に生まれました。
幼いころは人と関わることがあまり得意ではなく、とても無口で、自身も「わがままでめんどくさい子供だった」と振り返っています。
一方で、お父さんの影響でけん玉が得意だったり、映画に夢中になったりと、興味のあることにはとことん没頭するタイプでもありました。
中学時代は人との関わりを避けることも多く、授業をほとんど聞かず勉強は苦手。
両親が塾や家庭教師をつけても「全くやる気が起こらなかった」と語っています。
それでも高校進学後、教科書を丸暗記するという独自の勉強法に行き着き、成績が大きく伸びるようになります。
この頃には寄席にも足を運び、純粋に落語を楽しむようになっていましたが、まだ職業にする意識はなかったそうです。
大学進学後、立川談志さんに弟子入りする転機を迎えるのですが、その背景には、子供の頃から培われた芸能への親しみと「落語が好き」というシンプルな気持ちがあったのでしょう。
こうした生い立ちの積み重ねが、現在の志らくさんの独自の芸風や人柄につながっているのかもしれません。
立川志らくの兄弟や姉妹
祖父はお灸の神様と呼ばれた深谷伊三郎。父は日本五代クラシックギタリストでけん玉の剣聖人と言われた新間英雄。母は長唄師匠。弟はギタリスト。で私は談志イズムの後継者と言われながらコメンテーターと世間に思われている立川志らくです。
— 志らく (@shiraku666) August 24, 2019
立川志らくさんには2歳年下の弟がいて、お父さんと同じくプロのギタリストとして活動しています。
志らくさん本人も、かつて自身のX(旧Twitter)で「弟はギタリスト」と明言しており、その事実は間違いありません。
名前や経歴といった詳しい情報は公表されていませんが、家庭環境やお父さんの音楽活動を考えると、クラシックギターの分野で腕を磨いてきた可能性は高いと考えられます。
父・新間秀雄さんは日本を代表するクラシックギタリストとして知られ、志らくさんの母親も長唄の師匠という芸事の世界に生きる方でした。
そんな芸能色の濃い家庭で育った弟さんも、音楽家としての道を自然に選んだのかもしれません。
立川家は落語、ギター、長唄と分野こそ違えど、芸を極めるDNAが脈々と受け継がれている印象です。
まとめ
立川志らくさんのお父さんは、日本五大ギタリストの一人と称された新間秀雄さん、お母さんは長唄の師匠という、まさに芸事の世界で生きるご夫婦でした。
さらに、弟さんもギタリストとして活動しており、立川家全体が芸や表現に深く関わってきた背景がうかがえます。
こうした家庭環境が、志らくさんの落語家としての感性や、情報番組での歯切れのよいコメント力を育んだのかもしれませんね。
これからも落語の舞台だけでなく、多方面での率直な発言や活動に注目していきたいところです。
