これまでに多くの作品を世に送り出した写真家・篠山紀信さんは、どんな人なのでしょうか。
どんな家庭で生まれ育ち、どこの学校に通っていたのでしょうか。
今回は、篠山紀信さんの経歴や出身学校、家族について調べてみました。
篠山紀信の学歴
篠山紀信さんが通っていた学校について調べてみました。
篠山紀信の出身小学校
篠山紀信さんは、新宿区立淀橋第四小学校出身です。
小学生の頃のエピソードは明かされていませんでした。
篠山紀信の出身中学
小学校卒業後は、芝中学校に進学しました。
現在の偏差値は、65です。
篠山紀信の出身高校
中学校卒業後は、芝高等学校に進学しました。
現在の偏差値は、70です。
篠山紀信の出身大学
高校卒業後は、日本大学芸術学部に進学しました。
篠山紀信さんは写真学科に在籍、偏差値は45~55です。
特に写真が好きではなかったものの、一般大学の受験に失敗したため衝動的に受験し合格したそうです。
その後は「写真学科に入った以上は写真家になろう」と決心、大学と併行して東京綜合写真専門学校にも通学しました。
篠山紀信のプロフィールや経歴
時代、時代によって流行が出てくる度に、僕は「何だよこれ流行りかよ」と言わずに、「流行りいいね~」ってどんどん乗るタイプ。「これちょっと面白そうじゃない?やろう」とやっていく。僕はそういう人なんです。
— The Fashion Post(ザ・ファッションポスト) (@THEFASHIONPOST) July 8, 2021
篠山紀信 インタビューhttps://t.co/rW4tzwffBc pic.twitter.com/5XlL5RPxyL
名前:篠山紀信
生年月日:1940年12月3日
出身地:東京都
血液型:非公開
身長:非公開
日大在学中の1961年に広告写真家協会展APA賞を受賞した篠山紀信さんは、ライトパブリシティに就職し1966年に東京国立近代美術館の「現代写真の10人」展に最年少で参加しました。
1973年『女形・玉三郎展』で芸術選奨新人賞を受賞、1975年に雑誌『GORO』で歌手の山口百恵さんの特集で使い始めた「激写」は流行語になり、1976年にはヴェネチア・ビエンナーレ国際美術展の日本館に代表作家として選ばれています。
1978年に写真集『大激写 135人の女ともだち』がベストセラーとなると、同年から1997年にかけて『週刊朝日』の表紙写真を撮影、1991年には女優の樋口可南子さんをモデルにした写真集や宮沢りえさんのヌード写真集「Santa Fe」が大きな話題となりました。
篠山紀信の年収や資産
篠山紀信さんの年収や資産は公表されていません。
2024年に亡くなるまで、多くの写真を撮り続けてきました。
芸能人のヌード写真集なども話題となり、年収や資産は数千万円~億越えになるのではないかと思われます。
篠山紀信の実家は新宿の円照寺
篠山紀信さんは、東京市淀橋区柏木(現:東京都新宿区北新宿)出身です。
真言宗豊山派円照寺の住職の息子として誕生しており、子供の頃の遊び場は寺の境内や墓地だったそうですよ。
篠山紀信さんは高校時代まで円照寺で生活していました。
篠山紀信の生い立ち
1940年12月3日に誕生した篠山紀信さんは、子供の頃から写真に興味があったわけではありませんでした。
『漫画少年』に漫画を応募したり、落ち着きのない子供だったことから親に「落語を習いなさい」と言われ落語を習ったりしていたそうです。
大学受験が上手くいかなかったことから写真の世界に入り、2020年10月には第68回菊池寛賞を受賞しています。
篠山紀信の父親
篠山紀信さんのお父さんは、篠山明信さんと言います。
円照寺の住職だったお父さんは、篠山紀信さんが4歳の時に戦争で亡くなりました。
篠山紀信の母親
篠山紀信さんのお母さんは一般人です。
お父さんが亡くなった後は女手一つで子供たちを育て上げました。
篠山紀信の兄弟や姉妹
篠山紀信さんには、お兄さんがいます。
お兄さんも一般人のようで情報はありませんでした。
まとめ
2024年1月4日、篠山紀信さんは83歳で旅立ちました。
新しい写真を見ることはもうできませんが、篠山紀信さんが残してくれた作品を、これからも大切にしていきたいですね。