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原辰徳の家系図がすごい!父親は原貢!実家や母親兄弟についても

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歴代最長の巨人監督を務めた原辰徳さんは、どんな家庭で育ったのでしょうか。

お父さんやお母さんはどんな人なのでしょうか。

今回は、原辰徳さんの実家や家族について調べてみました。

原辰徳の家系図がすごい!

原辰徳さんは、お父さんが野球経験者で監督の経験を持つ人物です。

そして甥っ子さんもプロ野球の選手になりました。

原辰徳の甥は菅野智之

原辰徳さんの甥っ子は、読売ジャイアンツに所属している菅野智之さんです。

菅野智之さんは、2011年のドラフト会議で北海道日本ハムファイターズが交渉権を獲得するも入団を拒否して浪人、2012年のドラフト会議で読売ジャイアンツから単独1位指名を受け入団しました。

その後は先発投手として4度のリーグ優勝、2017年のWBCではエースとして日本代表に貢献し、平成最後の沢村栄治賞受賞と投手三冠王を達成、セ・リーグ最多記録となる最優秀防御率を4回獲得、NPB最長タイ記録となる3年連続で最優秀防御率を獲得、NPB史上5人目となる2年連続沢村賞受賞など数々の記録を持っています。

原辰徳の父親は原貢

原辰徳さんのお父さんは、原貢さんと言います。

原貢さんは、社会人野球の東洋高圧大牟田(現・三井化学)を経て福岡県立三池工業高等学校野球部監督に就任、1965年には無名校を初出場にして夏の甲子園大会の優勝へと導き、三池工フィーバーを起こしました。

1966年12月10日からは東海大学付属相模高等学校野球部監督に就任、東海大相模の名を全国に轟かせ、神奈川高校野球界の勢力図を塗り替え、話題を集めました。

2014年5月29日に心不全のため亡くなりましたが、没後に生前の功績を讃えられ東海大学野球部名誉総監督の称号が追贈されただけではなく、2015年度の育成功労賞も受賞しています。

原辰徳の実家

原辰徳さんは、福岡県大牟田市生まれ、神奈川県厚木市、相模原市育ちです。

福岡時代は市内にある東洋高圧(現・三井化学)大牟田の社宅に、厚木在住時代には公営団地に住んでいました。

原辰徳の生い立ち

1958年7月22日に誕生した原辰徳さんは、高校1年生から三塁手のレギュラーとして活躍し、甲子園には4回出場しました。

1974年夏の選手権は準々決勝で延長15回で敗退、1975年の春の選抜では決勝に進出するも延長13回の接戦の末に敗れ、準優勝にとどまっています。

それでも原辰徳さんは注目選手として地区大会の神奈川県大会で川崎球場を満員にする程の「原フィーバー」を巻き起こしていました。

高校卒業後は大学に進学、1980年のプロ野球ドラフト会議において、読売ジャイアンツが1位を引き当て入団しました。

原辰徳の母親

原辰徳さんのお母さんは、原カツヨさんと言います。

お母さんは一般人で、原辰徳さんの野球生活を陰で支えていました。

そして2023年5月、老衰のため亡くなりました。

原辰徳の兄弟や姉妹

原辰徳さんには、妹さんがいます。

妹さんは菅野(旧姓・原)詠美さんと言い、菅野智之さんのお母さんでもあります。

一般人のため詳しい情報はありませんでした。

まとめ

お父さんは高校や大学の野球部の監督として多くの結果を残しましたが、原辰徳さんも選手として、監督として素晴らしい結果を巨人に残しました。

これからも原辰徳さんらしく野球の世界を盛り上げていってほしいですね。

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