「日本で最も有名な悪魔」として知られるデーモン閣下。
その唯一無二のキャラクターを貫きながらも、知的な発言や幅広い分野での活躍から、どのような家庭で育ったのか気になるという人も多いのではないでしょうか?
両親はどんな人物で、どのような教育を受けてきたのか?
さらに、姉は報道関係の仕事をしているという噂もありますが、実際はどうなのでしょうか?
今回は、デーモン閣下の実家や家族構成、父親・母親の職業、そして姉の経歴について詳しく調査しました!
デーモン閣下の実家
デーモン閣下「誕生を肯定するツアーに」生命力みなぎるロックサウンドで魅了:東京公演レポート#デーモン閣下 https://t.co/BdfGVdWE90 pic.twitter.com/9KDzaH3UXx
— MusicVoice – ミュージックヴォイス公式 (@musicvoicejp) December 5, 2018
デーモン閣下の出身地は東京都ですが、幼少期から学生時代にかけて、アメリカ・ニューヨーク、広島、東京とさまざまな場所で生活していたことが知られています。
詳しい実家の所在地は公表されていませんが、現在も都内のどこかにある可能性が高いと考えられます。
悪魔としてのキャラクターを徹底しているため、プライベートな情報はほとんど明かされていませんが、幼少期から国際的な環境に触れながら育ったことが、彼の知的で多才なキャリアに影響を与えているのかもしれません。
ミュージシャン・タレント・文化人として幅広く活躍するデーモン閣下。
そのルーツとなる家庭環境がどのようなものだったのか、さらに詳しいエピソードが語られる日が来るかもしれませんね!
デーモン閣下の生い立ち
紀元前98038年11月10日(※世を忍ぶ仮の姿では1962年11月10日)に誕生したデーモン閣下。
幼少期から知的好奇心が旺盛で、中学2年生の時、ギター部の先輩が発表会で自作曲を披露する姿を見たことがきっかけで音楽に目覚めました。
その後、大学時代にはフォークソングクラブに所属し、精力的にバンド活動を展開。
「走り幅跳び」「顔面大陸棚」「生老婆(ナマローバ)」「紫馬肥(ムラサキウマゴヤシ)」など、個性的なバンド名を掲げながら、さまざまな音楽ジャンルに挑戦しました。
さらに、「私的独占の禁止及び公正取引の確保に関するバンド」という異色のバンド名もあり、デーモン閣下らしいユーモアと発想力が光ります。
そして1982年、「聖飢魔II」を結成。従来のバンドとは一線を画す「悪魔の世界観」を打ち出し、独自のスタイルを確立しました。
その後、1985年に「地球デビュー(メジャーデビュー)」を果たし、日本のヘヴィメタルシーンを代表する存在へと成長しました。
デーモン閣下の生い立ちを振り返ると、幼い頃から音楽とユーモアに満ちた環境で育ち、大学時代の多様なバンド活動が後の「聖飢魔II」の形成につながっていることが分かります。
唯一無二のキャリアを築き上げたデーモン閣下が、今後どのような新たな挑戦を見せてくれるのか、引き続き注目したいですね!
デーモン閣下の姉は報道キャスター
「悪魔崇拝者」のトレンドを覗くと、カルト同士の内ゲバ状態になってて、ある意味面白い。
— 白ぱんだ🤍💙❤️ (@whitepandajp) September 19, 2023
まあ日本における悪魔と言えばこの人(?)。役所のウケもいい悪魔ってw。
ちなみに「世を忍ぶ仮の姉」(つまり実姉)は、TBSテレビ元報道キャスターの小暮裕美子さん。唯一口喧嘩で敵わない相手とのこと。 pic.twitter.com/1nhR4qjfkM
デーモン閣下の姉は、TBSの元報道キャスターである小暮裕美子さん。
ジャーナリストとして長年活躍し、社会部や国際部で重要なニュースを伝えてきました。
1984年にTBSに入社すると、文部省、警視庁、東京都庁、厚生省などを担当する社会部記者として活動。
その後、1989年には『JNNおはようニュース&スポーツ』のスタジオキャスターに就任し、報道番組の顔として視聴者にニュースを届けました。
さらに、1992年には『JNNニュース1130』の初代スタジオキャスターに抜擢。
その後、1994年に記者活動に復帰し、国際部の記者として海外ニュースを担当。
JNNの海外支局を歴任し、世界の最前線で取材を続けました。
2006年にはTBSテレビ編成制作本部報道局取材センター外信部次長に就任し、報道の第一線で長年活躍しました。
そんな小暮裕美子さんについて、デーモン閣下は「地上で唯一、口喧嘩で勝てない相手」と語っています。
知的で冷静な姉と、ユーモアと個性を貫く弟――異なるフィールドで活躍する兄妹ですが、お互いに強い影響を与え合ってきたのかもしれませんね。
デーモン閣下の父親
デーモン閣下の父親は一般人で、銀行員として国内外を飛び回る仕事をしていたとされています。
具体的な勤務先や詳細な経歴は公表されていませんが、海外勤務の経験もあったようです。
この影響もあり、デーモン閣下は幼少期からアメリカ・ニューヨークや広島、東京などを転々としながら成長。
国際的な環境に触れる機会が多かったことが、後の彼の知的な発言や幅広い視野につながっているのかもしれません。
また、父親の職業柄、家庭内でも論理的な思考や教養を重んじる教育がなされていた可能性があり、デーモン閣下の高い知性や語彙力、ユーモアのセンスにも影響を与えているのではないでしょうか。
ミュージシャンとしての独自の世界観だけでなく、メディア出演や文化活動でも活躍し続けるデーモン閣下。
その背景には、国際的な視野を持つ父親の存在が大きく関わっていたのかもしれませんね。
デーモン閣下の祖父は相撲部出身!
この名古屋場所は合計5日、解説を担当させていただきましたAbemaTVですが、千秋楽は #デーモン閣下 とご一緒させていただきました。とても相撲知識が深く、またとても相撲を愛されているということを再認識いたしました。デーモン閣下ありがとうございました!#AbemaTV #相撲 pic.twitter.com/zxm82Qz8YE
— 若ノ城宗彦 (@waka_munehiko) July 22, 2018
デーモン閣下の祖父は、旅順工科大学(現在の大連理工大学)で相撲部に所属していたという経歴を持っています。
名前や顔写真などの詳細は公表されていませんが、この祖父の影響を受けて、デーモン閣下は幼少期から相撲に強い興味を抱くようになったといわれています。
小学生の頃にはすでに相撲に関する文献を読み漁り、知識を深めていたというエピソードもあり、スポーツとしての相撲だけでなく、その文化や歴史にも関心を持っていたことがうかがえます。
そして、大人になった後もその相撲愛は変わらず、現在では大相撲の解説や評論活動を積極的に行い、相撲通の著名人としても知られています。
ヘヴィメタル界のカリスマでありながら、相撲にも深い造詣を持つデーモン閣下。
彼の多才さの裏には、祖父から受け継がれた相撲への情熱があったのかもしれませんね。
デーモン閣下の母親
デーモン閣下の母親は一般人で、名前や職業などの詳細は公表されていません。
しかし、息子であるデーモン閣下同様に、ユーモアあふれる人物だったことがうかがえるエピソードが残っています。
なんと、デーモン閣下の関係者に対して、「デーモンの世を忍ぶ仮の母でございます」と自己紹介したことがあるそうです。
これは、デーモン閣下の「悪魔」というキャラクターをしっかり尊重した上での発言であり、母親自身も彼の独特な世界観を理解し、楽しんでいたことが伝わってきます。
また、デーモン閣下が高い知性と教養を持ち、多方面で活躍していることを考えると、母親もきっと教育熱心で知的な人物だったのではないでしょうか。
公の場に姿を見せることはほとんどありませんが、ユーモアと愛情に満ちた母親の存在が、デーモン閣下のキャラクター形成に大きな影響を与えていたのかもしれませんね。
まとめ
デーモン閣下の家族は、父親が銀行員、姉が元TBS報道キャスターの小暮裕美子さんと、まさにエリート一家。
幼少期から知的で国際的な環境に囲まれたことが、デーモン閣下の鋭い語彙力や深い教養につながっているのかもしれません。
一方で、そんな家族の中で「悪魔」として生きることを選んだデーモン閣下。
見た目や活動内容こそ家族とは大きく異なりますが、その芯にある「信念を貫く姿勢」や「知性に裏打ちされた発信力」は、まさに血筋を感じさせます。
ミュージシャン、コメンテーター、文化人として唯一無二の存在感を放つデーモン閣下。
これからも悪魔らしく、そして知的に、唯一無二の活躍を続けていってほしいですね!