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田村裕の実家はどこだった?父親や母親・兄弟など家族構成も調査

田村裕の実家はどこだった?父親や母親・兄弟など家族構成も調査 お笑い芸人
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お笑いコンビ・麒麟の田村裕さんは、中学生の時に一家離散を経験していますが、実家はどこにあったのでしょうか。

家族解散宣言をした父親、母親や兄弟についても気になります。

そこで今回は、田村裕さんの実家や両親、姉弟について調べていきたいと思います。

田村裕(麒麟)の実家はどこだった?

田村裕さんが育った実家は、大阪府吹田市にありました。

父親の借金が原因で差し押さえられてしまったので、すでに田村家の所有ではありません。

しかし、『ホームレス中学生』がヒットしたことで、田村裕さんは多額の印税を稼いでいます。

印税で父親に家をプレゼントしたと明かしていたので、今はその家が実家ということになりますね。

田村裕(麒麟)の生い立ちが壮絶

田村裕さんは、1979年9月3日に大阪府で生まれ、運動神経抜群な少年に育ちました。

色んなスポーツを経験し、小学5年の時にバスケを始めています。

また、姉の影響でお笑いにも興味を持っており、この頃が田村裕さんの人生の最初の転機だったのかもしれません。

しかし、まだ小学生の田村裕さんに母親の死という悲劇が訪れます。

大好きな母親を失った田村裕さんですが、中学生になるとさらなる試練が待ち受けていました。

中学2年の夏に父親の借金が原因で自宅が差し押さえられ、父親が『各自で頑張れ。解散。』と子供たちの養育を放棄したのです。

それから田村裕さんは公園でのホームレス生活を約1ヶ月経験しました。

ホームレス生活中は、雑草を食べたり、鳩の餌を食べたりするなどしていたそうです。

極限状態と言っても過言ではなく、まだ中学生だった田村裕さんにとって気力体力ともに本当に辛かったはず。

しかし、友人の母親のおかげで生活保護を受けられることとなり、兄弟が一緒に暮らせることになりました。

貧しいながらも家族と再び暮らせることになり、高校へも進学できた田村裕さん。

高校でも大好きなバスケを続けていますが、食費を相当削っており、いつも空腹だったそうです。

噛む回数を増やして満足感を得るなど、田村裕さんは工夫を凝らして貧乏生活を乗り越えていっています。

田村裕(麒麟)の父親

田村裕さんの父親は、一般人のため名前は公表されていません。

父親は大手製薬会社の社員として勤務していた経歴があり、何もなければ順風満帆な人生だったはずです。

しかし、ガンを患ってしまい、会社をリストラされる憂き目にあいました。

おまけに借金があったので返済が滞り、子供たちに『解散宣言』をしています。

息子の田村裕さんがお笑い芸人としてテレビに出始めた頃、『似てるなぁ』と思いながらも、息子だと気づいていなかったそうです。

2007年に『ホームレス中学生』が発売され、テレビ番組の企画で生き別れた父親を捜し、14年ぶりに再会を果たすことができました。

田村裕さんは父親を全く恨んでおらず、印税で家を購入するなど親孝行をしています。

しかし、田村裕さんの父親は、2015年に亡くなりました。

恨まれてもおかしくない状況だと思いますが、全く子供たちが恨んでいないのは、父親の人柄なのではないでしょうか。

田村裕(麒麟)の母親

田村裕さんの母親は、一般人のため名前は公表されていません。

母親は田村裕さんが小学5年の時に直腸がんで亡くなりました。

著書のホームレス中学生には、『生きてる事よりもお母さんに会える方が幸せ』と記しており、母親のことが大好きだった田村裕さん。

個性を大事にしてくれたという母親の影響で、田村裕さん自身も子供たちの個性を大切にしているそうです。

そして、人のために尽くせる田村裕さんは、母親から誰かのために生きる心を教わったのかもしれませんね。

早くに亡くなったことは非常に残念ですが、田村裕さんの過酷な状況を乗り越えたのも母親への想いがあったからではないでしょうか。

また、ホームレス中学生は国語の教科書に採用されていて、田村裕さんは『天国の母親にいい報告ができた』と話していました。

田村裕さんは、亡くなった母親に素晴らしい親孝行ができたと思います。

田村裕(麒麟)は三人兄弟

田村裕さんは、兄と姉がいる3人兄弟の末っ子です。

一家離散状態を経験した兄弟でしたが、田村裕さんの友人の母親のおかげで再び一緒に暮らせるようになりました。

生活保護を受けながら非常に切り詰めた生活を送った兄弟なので、とても強い絆で結ばれているはずです。

田村裕(麒麟)の兄

兄は田村裕さんより5歳年上で、名前は研一さんといいます。

画像を見ると弟の田村裕さんの面影を感じますし、兄弟なんだなと思いますね。

研一さんは芸人として活動していたこともあり、2008年に『ホームレス大学生』を出版しました。

貧しくも懸命に生きた経験を本に記しています。

研一さんは田村裕さんの援助を受け、東京都小岩にたこ焼き店『たこ田信玄』をオープンさせました。

たこ焼きとお店の評判がいいので、研一さんは経営にとてもこだわっているのでしょう。

田村裕さんはTwitterで『たこ田信玄』を紹介しているので、兄と仲が良いのが伝わってきます。

田村裕(麒麟)の姉

姉は田村裕さんより4歳年上で『ホームレス中学生』の中では、『幸子』という名前で登場していました。

一般人なので、もしかしたら仮名だった可能性もあり、定かではありません。

家族が離散した時、幸子さんは高校3年生で進路のこともあり、大変だったでしょうね。

兄や弟と違い、完全な一般人として生きてる幸子さんなので、情報は少なめです。

田村裕さんのSNSなどに登場することはありませんが、苦しい時期を共に過ごした家族として強い絆で結ばれているのだと思います。

まとめ

田村裕さんの生い立ちは、母親の死や一家離散など壮絶なことが多々あったことがわかりました。

『早く母親に会える方がいい』という田村裕さんの気持ちを思うととても悲しいですが、生きる希望を持ってくれて本当に良かったです。

天国の両親は田村裕さんの活躍をきっと見ていると思うので、今後のさらなる飛躍を期待しています。

お笑い芸人
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