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石川佳純の実家は山口県?妹がかわいい!母親はハーフ?父親の職業も

ishikawakasumi_family スポーツ

元卓球選手の石川佳純さんは、幼少期から卓球界で注目を集めていました。

どんな両親に育てられ、いつから卓球を始めたのでしょうか。

今回は、石川佳純さんの実家や家族について調べてみました。

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石川佳純の実家は山口県?

石川佳純さんは、山口県山口市出身です。

実家の詳しい場所は公開されていません。

石川佳純さんが小学3年生の時、お父さんが「自宅に卓球場を造れば遠くの練習場に通わなくて済む」と考え自宅に卓球場を作りました。

石川佳純さんはこの時「やばい。家に卓球場を作るなんて、両親は本気だ。私も懸命に取り組まないと」と思ったそうですよ。

石川佳純の家系図がすごい

石川佳純さんは、両親が元卓球選手という環境で育ちました。

先祖にはさらに凄い方たちがいると『ファミリーヒストリー』で紹介されています。

母方は黒田官兵衛の家臣だった

石川佳純さんの母方は福岡の武士の家系で、大河ドラマにもなった黒田官兵衛に忠義を尽くした家臣だそうです。

『ファミリーヒストリー』収録後のインタビューでは、「黒田官兵衛の話は今まで家族の誰からも聞いたことがなかった。まさかあの関ヶ原の戦いに自分の先祖が参戦していたなんて思いもしなかった」と明かしていました。

石川佳純の祖父は柔道の達人

石川佳純さんの母方の祖父は、末弘さんと言います。

柔道の達人だったそうですよ。

石川佳純さんは祖父について、「ふだんは寡黙で『佳純ちゃんがんばれ』としか言わなかった」と話していました。

石川佳純の生い立ち

1993年2月23日に誕生した石川佳純さんは、お母さんの「将来、子供がどんな道に進もうが困らないように」という思いから1歳からフラッシュゲームを用いた知育教育、2歳から公文、そして3歳からピアノ、バレエ、水泳を習っていました。

両親共に卓球をやっていたものの、卓球は強制させていなかったそうです。

それでもお母さんの練習や試合を見て卓球が身近にあった石川佳純さんは、小学1年生の時に自ら「私にも教えて」と卓球を始めました。

するとすぐに頭角を現し、小学6年生の時に出た2005年の全日本選手権女子シングルスで3回戦に進出、「愛ちゃん二世」と脚光を浴び、2007年の全日本選手権では史上最年少の13歳11カ月での四強入りを果たし、14歳で日本代表に抜擢されました。

石川佳純の妹がかわいい!卓球の実力もすごかった

石川佳純さんの妹は、石川梨良(りら)さんと言います。

石川梨良さんは石川佳純さんの4歳年下で、幼少期から卓球を始め、高校ではJOCエリートアカデミーに入校、高校卒業後は青山学院大学で卓球を続け、主将を努めました。

大学卒業後は卓球を引退し一般企業に就職、石川佳純さんの現役時代はサポートも行っていました。

そのため石川佳純さんのSNSなどにも登場しており、ネット上では「姉妹揃って可愛い」と話題を集めています。

石川佳純の父親

石川佳純さんのお父さんは、石川公久さんと言います。

福岡大学では卓球部に所属し、卓球界ではミックスダブルスの日本代表の経歴の持ち主でもあります。

大学卒業後は卓球用品の総合メーカーのニッタククラブ(福岡)に所属しながら卓球を続け、今は福岡で単身赴任中ですが、週末に山口に帰宅した際は卓球教室を開いて子どもたちを指導しているそうですよ。

今後の夢については「石川佳純以上の選手を育てないけんしね」と語っていました。

石川佳純の母親はハーフ?

石川佳純さんのお母さんは、石川久美さんと言います。

お母さんもお父さんと同じく福岡大学の卓球部に所属、お父さんとはこの時に出会い結婚したそうです。

大学卒業後は福岡日産自動車で結婚まで選手として活動、その後一時休んでいましたが、出産後に活動を再開し国体の山口県代表になりました。

石川佳純さんは幼い頃、お母さんが指導する「山口ジュニアクラブ」に在籍していました。

綺麗な顔立ちから一部では「ハーフではないか?」という声も上がっていますが、お母さんはハーフではなく純日本人だそうです。

まとめ

元卓球選手の両親から誕生した石川佳純さんですが、両親から強制されたことはなく、卓球を始めてからもスパルタ教育を受けたことはなかったそうです。

それでもオリンピックに出場するまでの選手に成長したのは、家族の応援と支えがあったからだと思います。

石川佳純さんの活躍はもちろん、今後も石川家それぞれの道を応援していきたいですね。

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