19歳で歌手デビューした瀬川瑛子さんは、お父さんも歌手として活動していた2世です。
お母さんや兄弟はどんな人なのでしょうか。
今回は、瀬川瑛子さんの実家や家族について調べてみました。
瀬川瑛子の父親は歌手の瀬川伸!
瀬川 瑛子さんの父、瀬川伸さんは戦前から活躍されている。これは戦後録音のマーキュリー盤だ。
— マルタス (@yF6kLlMvoLhaAJw) April 25, 2020
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瀬川瑛子さんのお父さんは、歌手の瀬川伸さんです。
瀬川伸さんは、「素人のど自慢」の優勝がきっかけで1936年にレコードデビュー、1951年にリリースした「上州鴉」のヒットにより翌年の『NHK紅白歌合戦』に出場しました。
その後も「港神戸のマドロスさん」、「遠州鴉」、「甲州鴉」などをリリースしています。
2004年、妻(瀬川瑛子さんの母親)の死の2週間後の3月14日に心不全で亡くなりました。
瀬川瑛子さんが幼い頃はほとんど家にいなかったため、瀬川瑛子さんは「普通のお父さんなら一緒に動物園に行ったり、食事をしたり出来るのに」と、心細さを感じていたそうです。
瀬川瑛子の実家
「長崎の夜はむらさき」瀬川瑛子
— チェリー|昭和TVワンダーランド (@cherrycreekjp) December 31, 2023
ヒットに気をよくして便乗☞夢よもう一度的に発売したが不発った「函館の雨はリラ色」も忘れないでほしいワ。笑)#年忘れにっぽんの歌 pic.twitter.com/MUZeZDxl6A
瀬川瑛子さんは、東京都渋谷区出身です。
実家の詳しい場所は公開されていません。
1970年に「長崎の夜はむらさき」という曲がヒットしたことがきっかけで、レコード会社は「地元出身だと応援してもらえるから」と瀬川瑛子さんを“長崎出身”として売り込みました。
そのため長らく瀬川瑛子さんのプロフィールは「長崎出身」となっていましたが、2016年にある番組で「実は」とカミングアウト、自分の意思ではなかったこともあり瀬川瑛子さんはずっと心苦しかったのだそうです。
瀬川瑛子の生い立ち
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— BAR KITTY (@waradisegarage) October 28, 2020
1947年7月6日に誕生した瀬川瑛子さんは、物心ついた時から歌の練習をしていました。
5歳の頃には菊池章子さんの「星の流れに」という歌をレッスン、お父さんは「歌詞を見て歌えばいいってもんじゃない、感情を乗せて!」と指導するもまだ子供だった瀬川瑛子さんは歌詞の意味を理解出来なかったそうです。
それでもお父さんが「子供たちの誰かを歌手にしたい」という思いが強く、早々にお姉さんが逃げてしまったため「私もいなくなったらお父さんが悲しむな」と思い、瀬川瑛子さんはお父さんが敷いた歌手のレールを歩んでいくことになりました。
お父さんのためということもあり、子供の頃は友達と遊びたかったり普通の生活にとても憧れ、芸能人の父を少しだけ不満に思った事もあったと明かしています。
瀬川瑛子の母親
瀬川瑛子さんのお母さんは、瀬川たか子さんと言います。
お母さんは瀬川伸さんのファンだったそうですが、芸能人ではなく一般人のため経歴などは公開されていません。
ネット上では「中国人ではないか?」という噂も浮上していますが、公表されていないため真相は不明です。
瀬川瑛子さんは日本生まれの日本育ちなので、国籍は日本のみだと思われます。
瀬川瑛子の兄弟や姉妹
瀬川瑛子さんには、お姉さんと弟さんがいます。
2歳年上のお姉さんは、70歳で亡くなりました。
弟さんも身体が弱い方だったようですが、一般人のため情報がほとんどありませんでした。
まとめ
お父さんの希望で歌手になった瀬川瑛子さんは、今も歌い続けています。
これからも空の上で見守ってくれている両親やお姉さんに安心してもらえるよう、瀬川瑛子さんの音楽を多くの人に届けてほしいですね。