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瀬川瑛子の出身高校や大学・若い頃は?病気や性格・事務所や年収も調査

segawaeiko_career 歌手
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「長崎の夜はむらさき」や「命くれない」などのヒット曲を持つ瀬川瑛子さんは、どんな人なのでしょうか。

どこの学校に通っていたのか、どんな病気を患っていたのか、気になります。

そこで今回は、瀬川瑛子さんの経歴や出身学校、病気、事務所などについて調べてみました。

瀬川瑛子の学歴

瀬川瑛子さんが通っていた学校について調べてみました。

瀬川瑛子の出身小学校

瀬川瑛子さんは、世田谷区立代沢小学校出身です。

小学生時代のエピソードは明かされていませんでした。

瀬川瑛子の出身中学

小学校卒業後は、品川区立浜川中学校に進学しました。

中学時代はジャズ喫茶に通い歌っていたそうです。

当時のあだ名は「ダッコちゃん」でした。

瀬川瑛子の出身高校

中学校卒業後は、町田学園高等学校(現・品川エトワール女子高等学校)に進学しました。

現在の偏差値は、40~43です。

高校は歌手デビューに向けて中退しています。

瀬川瑛子の出身大学

瀬川瑛子さんは、大学に進学していません。

19歳でデビューしてからは芸能活動に専念しています。

瀬川瑛子の若い頃

瀬川瑛子さんの若い頃の姿はこちらです。

今とは少し雰囲気が異なり、とても可愛らしいですね。

瀬川瑛子の病気は治った?

瀬川瑛子さんは、これまでに閃輝暗点、坐骨神経痛、耳下腺炎などを患いました。

68歳の時に転倒し足首を骨折、直後に旦那さんにおんぶしてもらったら肋骨も折れてしまったそうで、73歳の時には腸にポリープが見つかり内視鏡で手術、その3ヵ月後には急性胆管炎で入院も経験しました。

70代前後で不調が多く出るようになったそうですが、少しでも体調に不安があるとすぐに受診するという瀬川瑛子さんなので、今も大きな問題はないと思われます。

瀬川瑛子のプロフィールや経歴

名前:瀬川瑛子
生年月日:1948年7月6日
出身地:東京都
血液型:B型
身長:168cm
所属事務所:瀬川音楽事務所

父親が歌手の瀬川伸さんで幼い頃から歌のレッスンを受けてきた瀬川瑛子さんは、お父さんのステージの前座を経て1967年にデビューしましたが、ブレイクの道のりは簡単ではありませんでした。

それでも地道に活動を続けると1970年に「長崎の夜はむらさき」が50万枚のヒットを記録、その後ご当地歌謡が続いたもののしばらく低迷、1983年にちあきなおみさんや細川たかしさんらとの競作で「矢切の渡し」をレコーディングして30万枚を売り上げました。

1986年には「命くれない」が1987年度オリコンシングルチャート年間1位を記録し大ヒット、この曲がきっかけで『NHK紅白歌合戦』にも初出場を果たし、以降1988年、1990年、1996年にも出場しています。

歌手活動以外にも、バラエティー番組やドラマ『オー!マイ・ガール!!』、『孤独のグルメ』などに出演しました。

瀬川瑛子の性格

瀬川瑛子さんは、温和な性格で裏表がない方です。

天然なところもあるため、バラエティー番組でも重宝されています。

プライベーでも趣味のパチンコがさっぱりダメでも全く怒らず、また行きつけのパチンコ店で勝ったら次の日に菓子折りを持って「昨日はありがとう」と店にお礼に行くそうですよ。

瀬川瑛子の所属事務所

瀬川瑛子さんは、「瀬川音楽事務所」に所属しています。

こちらは瀬川瑛子さんの個人事務所になっています。

瀬川瑛子の年収

瀬川瑛子さんの年収は公表されていません。

現在も芸能活動を続けていることから、年収は数千万円以上になるのではないかと思われます。

まとめ

実は2世という瀬川瑛子さんですが、デビューからすぐにブレイクしたわけではありません。

苦労を経験したからこそ、天狗になることがなかったのかもしれませんね。

今後も瀬川瑛子さんの活躍を応援していきたいと思います。

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