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井上道義が引退する理由は?若い頃や出身高校や大学は?年収や自宅も

inouemichiyoshi_career ミュージシャン
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指揮者の井上道義さんは、2024年12月に引退することを明かしていますが、何故引退を決断したのでしょうか。

学生時代はどこの学校に通っていたのでしょうか。

今回は、井上道義さんの経歴や出身学校、引退理由などについて調べてみました。

井上道義が指揮者を引退する理由

井上道義さんは、2024年12月30日のサントリー音楽賞受賞記念コンサートを持って指揮者としての活動を終了します。

その理由は「やりたいことを実行できたこと」、「病気の後遺症で声に障害が出るようになったこと」などと挙げています。

元々井上道義さんは自作のオペラ(A Way from Surrender~降福からの道~)の初演でやり切った感があり、引退を決めていたそうです。

しかし新型コロナウイルスの影響でタイミングを逃してしまい、2023年に2024年末での引退を公表しました。

井上道義さんは「人は自ら引退時期を決めていいと思う。その例にしたい」と話しており、引退後の計画については現時点では決まっていないそうです。

井上道義の若い頃

井上道義さんの若い頃の姿はこちらです。

今でもカッコイイ方ですが、若い頃は長髪で、その姿も素敵ですね。

井上道義の学歴

井上道義さんが通っていた学校について調べてみました。

井上道義の出身小学校

出身小学校は公表されていません。

東京都出身のため、都内の学校に通っていたと思われます。

井上道義の出身中学

出身中学校も公表されていません。

演劇が好きで、中学では演劇部に入っていました。

井上道義の出身高校

中学校卒業後は、成城学園高等学校に進学しました。

偏差値は、62です。

1年生の時に指揮者の道を歩むことを決め、サイトウ・キネン・オーケストラに名を残す名教師でチェリストの斎藤秀雄さんに師事しました。

井上道義の出身大学

高校卒業後は、桐朋学園大学に進学しました。

偏差値は、35です。

大学時のエピソードは明かされていませんでした。

井上道義のプロフィールや経歴

名前:井上道義
生年月日:1946年12月23日
出身地:東京都
血液型:非公開
身長:非公開

1971年にラ・スカラ主催グィード・カンテッリ指揮者コンクールで優勝した井上道義さんは、1976年に年日本フィルハーモニー交響楽団の定期演奏会で日本デビューを果たしました。

これまでにニュージーランド国立交響楽団・首席客演指揮者、新日本フィルハーモニー交響楽団・音楽監督、京都市交響楽団・音楽監督/第9代常任指揮者、オーケストラ・アンサンブル金沢・音楽監督、大阪フィルハーモニー交響楽団・首席指揮者を歴任しました。

2011年には日本人として初めて朝鮮民主主義人民共和国国立交響楽団の定期演奏会に客演、2013年には日本人ソリスト2人と共にベートーベンの交響曲第9番の同国初演を行っています。

1991年には第9回中島健蔵音楽賞、1998年にはフランス政府より芸術文化勲章「シェヴァリエ」、2010年に平成22年京都市文化功労賞および社団法人企業メセナ協議会 音もてなし賞を受賞しています。

井上道義の性格

井上道義さんは、とても真面目な方です。

幼い頃から「大人の言うこと、世間の常識とされていることは本当に正しいのか」と疑い、とことん考える性格だったそうですよ。

インタビューでは、「答えが出ないようなことでも疑問を持って、自分の心さえ疑うくらい面倒なことばっかり考えてました」と明かしています。

井上道義の年収

井上道義さんの年収は公表されていません。

指揮者として世界でも有名な方なので、年収は数千万円以上になるのではないかと思われます。

井上道義の自宅

井上道義さんの自宅の場所は公開されていません。

ネット上では「東京都渋谷区の高級マンション」と噂されていました。

まとめ

コンクールでの優勝を機に知名度を上げた井上道義さんは、世界を飛び回る指揮者になりました。

第二の人生はどのように過ごしていくのかわかりませんが、これからも井上道義さんらしく笑顔で幸せな日々を過ごしてほしいですね。

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