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小山内美江子の若い頃は?金八先生降板理由や代表作なども調べてみた

osanaimieko_career 作家
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小山内美江子さんは、脚本家として多くの作品を手掛けていました。

若い頃はどんな方だったのでしょうか。

どこの学校に通っていたのでしょうか。

今回は、小山内美江子さんの経歴や出身学校、代表作などについて調べてみました。

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小山内美江子の代表作

小山内美江子さんの代表作は、ドラマ『3年B組金八先生』です。

1979年から25年にわたって脚本を担当しました。

その他にもNHK連続テレビ小説『マー姉ちゃん』、『本日も晴天なり』や大河ドラマ『徳川家康』、『翔ぶが如く』なども手掛けています。

小山内美江子が金八先生を降板した理由

2005年、小山内美江子さんは『3年B組金八先生』の脚本を第7シリーズの第11話で降板しました。

この時テレビ局側は「小山内美江子さんの体調不良」と降板理由を発表しましたが、後に小山内美江子さんが「(テレビ局側と)作品内容に意見の食い違いがあった」と明かしています。

教育現場の「現実」を映すことにこだわった小山内美江子さんは、企画書にあった中学生の薬物使用の描写などを「非現実的」と受け入れられなかったそうです。

小山内美江子の若い頃は?

小山内美江子さんは、元々映画監督を目指していました。

そのため脚本家デビューの前は映画のスクリプター(記録係)をしていました。

当時は「女性では監督は無理だ」と言われていたため、撮影現場で監督の隣にいられる職を選んだそうです。

小山内美江子の学歴

小山内美江子さんが通っていた学校について調べてみました。

小山内美江子の出身小学校

出身小学校は公表されていません。

神奈川県横浜市鶴見区出身ということで、区内の学校に通っていたと思われます。

小山内美江子の出身中学

出身中学校も公表されていません。

中学時代のエピソードも明かされていませんでした。

小山内美江子の出身高校

中学校卒業後は、鶴見高等女学校(現・鶴見大学附属高等学校)に進学しました。

現在の偏差値は、53~58です。

小山内美江子さんが在籍していた鶴見高等女学校時代は、5年制普通科のみでした。

小山内美江子の出身大学

高校卒業後は、進学していません。

映画のスクリプターとして活動していました。

小山内美江子のプロフィールや経歴

名前:小山内美江子
本名:笹平美江子
生年月日:1930年1月8日
出身地:神奈川県
血液型:非公開
身長:非公開

長男出産後に脚本家になった小山内美江子さんは、1962年2月10日放送のNHKのテレビドラマ「テレビ指定席」枠の『残りの幸福』で脚本家デビューしました。

1979年7月1日から同年9月4日まではクイズ番組『象印クイズ ヒントでピント』にも出演、番組では2代目女性軍キャプテンを務めていました。

1990年には湾岸戦争の直前にヨルダン・ハシェミット王国への支援に参加し難民キャンプでボランティア活動を行い、1993年に教育困難な国で学校建設の活動を行う特定非営利活動法人JHP・学校をつくる会を設立、1995年度の日本女性放送者懇談会賞を受賞しています。

また特定非営利活動法人JHP・学校をつくる会代表理事、社団法人日本シナリオ作家協会理事、特定非営利活動法人日本子どもNPOセンター理事、社会福祉法人NHK厚生文化事業団理事(非常勤)、熱海国際交流協会会長なども務めました。

まとめ

2024年5月2日に老衰のため94歳で亡くなった小山内美江子さんは、脚本家としての活動はもちろん、ボランティア活動にも力を入れていました。

とても多忙な方だったので、これからは空の上でゆっくり休んでほしいと思います。

小山内美江子さんの他のことについてはコチラ
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