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石井竜也はハーフ?妹はMINAKO!実家や父親と母親なども調べてみた

ishiitatsuya_family 歌手

「カールスモーキー石井」名義でも活動しているミュージシャンの石井竜也さんは、どんな家庭で育ったのでしょうか。

両親、そして妹さんはどんな人なのでしょうか。

今回は、石井竜也さんの実家や家族について調べてみました。

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石井竜也はハーフ?

石井竜也さんは、ハーフではありません。

整った顔立ちから「ハーフではないか?」という声も挙がっていましたが、ハーフではなくロシア人の血を8分の1引いていているワンエイスなんだそうですよ。

石井竜也の妹はMINAKO

石井竜也さんの妹さんは、MINAKO(金子美奈子)さんと言います。

MINAKOさんは「米米CLUB」のメンバーで、ダンスやヴォーカルなどを担当しています。

特にダンスの方はデビューから現在までMINAKOさんが中心となり振付を担当、米米CLUBのダンシングチーム「SUE CREAM SUE」のメンバーとしても名を連ねており、グループ以外にもアイドル歌手の振り付けやミュージカルのダンスの振り付けなどを行っています。

またファッションブランド「マダムミーナ」、化粧品ブランド「animbeauty」を立ち上げ、プロデューサー・デザイナーという顔も持っています。

多彩な才能を持っているのは石井竜也さんと同じですね。

義弟(妹の旦那)はフラッシュ金子

MINAKOさんの夫で石井竜也さんの義弟にあたるのが、フラッシュ金子(金子隆博)さんです。

フラッシュ金子さんは「米米CLUB」及びそのホーンセクションユニット「BIG HORNS BEE」のメンバーで、1992年にMINAKOさんと結婚しました。

同年に発売された米米CLUBのヒット曲「君がいるだけで」は二人の結婚を祝う為に製作された楽曲で、同曲を含むアルバム「Octave」も同様に二人の結婚を祝うコンセプトアルバムになっています。

石井竜也の実家

石井竜也さんは、茨城県北茨城市出身です。

実家は北茨城市大津町で91年続いた老舗和菓子屋でした。

後継者がいなかったため和菓子店を閉店したのち、石井竜也さんのアート作品などを展示する「アートサロンギャラリー石井屋」になっていたものの、石井竜也さんのお父さんが亡くなってからは営業していませんでした。

さらに2011年の東日本大震災の地震と津波によって、実家は全壊しています。

石井竜也の生い立ち

1959年9月22日に誕生した石井竜也さんは、実家がいつも職人や出入り業者など20~30人が家にいたため「一人になりたい」と思い、屋根の上にのぼったり蔵の中で古いものを見たりする繊細で敏感な子供だったそうです。

また絵画が好きなお父さんの影響で3歳から油絵を習い、上京後も美術学校に通っていました。

そして1985年、美術学校時代に結成したバンド「米米CLUB」でデビューしています。

石井竜也の父親

石井竜也さんのお父さんは、石井昭雄さんと言います。

お父さんは商売に興味が持てず、東京の大学に進学を希望卒業後家業を継ぐことを条件に早稲田大学第二商学部に入学、映画好きで俳優を志し、東宝や松竹、大映のオーディションを受けていました。

しかし俳優になることは出来ずに実家に戻り職人になったそうです。

そんなお父さんは2009年に75歳で亡くなりました。

石井竜也の母親

石井竜也さんのお母さんは、石井光子さんと言います。

福島県いわき市のお母さんは文化服装学院出身で、ファッションショーのモデルも務めた経験を持っています。

お父さんとはお見合い結婚でした。

まとめ

老舗和菓子屋の息子として誕生した石井竜也さんですが、実家を継ぐことはなく、「米米CLUB」をきっかけに幼い頃から目指していた画家でもなく音楽(芸能)の道に進みました。

多彩の才能を持っている方なので、今後の活躍も楽しみですね。

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