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桂文枝の出身高校や大学は?病気や本名・弟子やさんま|実家や両親兄弟についても

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社団法人上方落語協会の特別顧問で落語家、タレントとして活動している桂文枝さんは、どこの学校に通っていたのでしょうか。

家族はどんな人で、いつから落語を始めたのでしょうか。

今回は、桂文枝さんの経歴や出身学校、家族などについて調べてみました。

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桂文枝の学歴

桂文枝さんが通っていた学校について調べてみました。

桂文枝の出身小学校

桂文枝さんは、大阪市立北恩加島小学校出身です。

運動が苦手で、運動会の徒競走はいつもビリだったそうです。

桂文枝の出身中学

中学校卒業後は、大阪市立市岡中学校に進学しました。

中学では、西川きよしさんのお姉さんと同級生だったそうです。

桂文枝の出身高校

中学校卒業後は、大阪市立市岡商業高等学校に進学しました。

こちらの学校は2014年に閉校しています。

高校では演劇部に入部、先輩の直井正三(後のレツゴー正児さん)に触発され、同級生とともにABCラジオの『漫才教室』に出演して賞金を稼いでいました。

桂文枝の出身大学

高校卒業後は、関西大学に進学しました。

桂文枝さんは商学部第二部商学科(夜間部)に在籍、こちらは現在閉鎖されています。

一時期卓球部に在籍し、1964年に創設間もない落研(通称落語大学)に一期生として入部して本格的に落語を始めました。

在学中に落語家の道を歩み始めたため、大学は中退しています。

桂文枝は病気になっていた?

桂文枝さんは、これまでに大きな病気を公表したことはありません。

2023年8月には2週間の休養を公表しましたが、病気のためではなかったようです。

桂文枝の本名や改名

桂文枝さんの本名は、「河村 静也 (かわむら しずや)」さんです。

落語家デビューしてから45年間「桂三枝」として活動し、2012年に現在の「桂文枝(6代目)」を襲名しました。

桂文枝の弟子

桂文枝さんの弟子は、桂三馬枝さん、三代目桂枝三郎さん、桂三歩さん、桂三発さん、桂三風さん、桂三象さん、桂三扇さん、桂三若さん、桂三金さん、桂三ノ助さん、桂三弥さん、桂三幸さん、桂三四郎さん、桂三段さん、桂三輝さん、桂三河さん、桂三語さん、桂三度さん、桂三実さん、桂文路郎さん、桂健枝郎さん、桂笑金さん、桂文りんさん、桂貴文さんです。

落語以外での弟子では、漫談の幹てつやさん、吉本新喜劇の中條健一さん、漫才師「かつみ♥さゆり」のさゆりさん、ラジオDJのDJ JIRO(高杉’Jay’二郎)さんがいます。

桂文枝と明石家さんまの関係

桂文枝さんと明石家さんまさんは、明石家さんまさんが10代の頃に初めて会いました。

そこから番組などで共演し、桂文枝さんは「ひと回り下だから弟のような存在だった」と明かしています。

桂文枝のプロフィールや経歴

名前:桂文枝
生年月日:1943年7月16日
出身地:大阪府
血液型:O型
身長:173cm
所属事務所:吉本興業、三友事務所

アマチュア落語家「浪漫亭ちっくとして活動していた桂文枝さんは、1966年に桂小文枝さんの弟子として入り、1967年5月31日の道頓堀角座で初舞台を踏みました。

舞台だけではなくラジオ番組『歌え! MBSヤングタウン』にも出演し、「オヨヨ」「いらっしゃーい」「アリーッ!」などのギャグで人気を集めました。

『ヤングおー!おー!』、『パンチDEデート』などの司会で全国区の人気者となり、特に2022年まで51年間司会を務めた『新婚さんいらっしゃい!』では「同一司会者によるトーク番組の最長放送」としてギネス世界記録に認定されています。

他にも財団法人いけだ市民文化振興財団名誉理事、一般社団法人OSAKAあかるクラブキャプテン、函館大学商学部客員教授、関西大学文学部客員教授、堺市名誉大使、淡路島名誉大使を務め、2020年公益財団法人東京オリンピック・パラリンピック競技大会組織委員会では文化・教育委員会委員に任命されました。

桂文枝の所属事務所

桂文枝さんの所属事務所は、「吉本興業」と「三友事務所」です。

「三友事務所」は桂文枝さんの個人事務所です。

桂文枝の年収

桂文枝さんの年収は公表されていません。

落語家以外の活躍もしているため、年収は数千万円以上になるのではないかと思われます。

桂文枝の実家や生い立ち

1943年7月16日に誕生した桂文枝さんの生まれは、大阪府堺市です。

その後家庭の事情から大阪市大正区に移りました。

詳しい場所は公開されていません。

落語家一家ではなかった桂文枝さんは、大学時代に3代目桂米朝さんの口演を聴いて落語に興味を持ち、落研に入りました。

そしてアマチュアで活動を始め、早稲田大学の落語研究会にいた都家西北さんが6代目三遊亭圓生さんに弟子入りする話を聞いて、自身も落語家になりたいと思うようになったそうです。

桂文枝の父親

桂文枝さんのお父さんは、河村清三さんと言います。

銀行員として働いていたお父さんは、桂文枝さんが生後11か月の時に戦病死しました。

そのため桂文枝さんにはお父さんの記憶がなく、お母さんからは「きちっとした人でした。あなたもお父さんを見習ってまじめにやりなさい」と言われていたものの、実際のお父さんは休みの日に競馬に行ったり、お酒を楽しんだり、落語が好きな方だったそうです。

桂文枝の母親

桂文枝さんのお母さんは、河村治子さんと言います。

お父さんとお見合い結婚したお母さんは、23歳の時に桂文枝さんを産みました。

お父さんが亡くなってからは製材所の手伝いや、料理旅館などで働いていました。

そんな小笠案は、2021年1月に老衰のため99歳で亡くなっています。

桂文枝の兄弟や姉妹

桂文枝さんは、一人っ子です。

お父さんが亡くなってからもお母さんは再婚せず、「母一人子一人」で生活していました。

まとめ

お父さんの記憶がないという桂文枝さんですが、大学時代に落語に出会い、落語家になりました。

これからもお父さんが好きだった落語を続けていけるよう、健康を第一に桂文枝さんのペースで頑張ってほしいと思います。

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