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北方謙三の年収がすごい!若い頃や代表作・性格や本名・愛車も調べてみた

kitakatakenzo_career 作家
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デビュー時は「ハードボイルドの新星」と言われていた作家・北方謙三さんは、どんな人なのでしょうか。

これまでにどんな作品を作り上げたのでしょうか。

今回は、北方謙三さんの経歴や年収、代表作などについて調べてみました。

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北方謙三の年収がすごい!

北方謙三さんの年収は公表されていません。

過去には高額納税者の作家部門にランクインしており、現在も印税など合わせて数千万以上になるのではないかと言われています。

北方謙三の愛車もすごい!

北方謙三さんは、34歳の時に普通免許を取得しました。

最初に買った車はイタリアの「マセラティ」で、そこから数十台乗り換えていますが、全てマセラティでした。

故障が多い車だったことから、毎月どこかを直していたそうです。

北方謙三さんは65歳の時に「スピードを出している感覚が鈍り、動体視力も落ちてきた」と感じたため運転免許を返還、愛車も手放しました。

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北方謙三の若い頃

北方謙三さんは、1970年の時に学生作家としてデビューしました。

デビュー時は「大江健三郎以来の学生作家」「天才」と『新潮』編集長に称賛されたものの、その後の10年間は100本書いて雑誌掲載は3本のみという下積み生活を送っています。

若い頃の姿はインタビュー時などに公開されていますが、今と雰囲気が異なりますね。

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北方謙三の代表作

北方謙三さんの代表作は、『水滸伝』、『楊令伝』、『岳飛伝』といった“大水滸”シリーズです。

2017年には『大水滸伝』シリーズで第6回歴史時代作家クラブ賞(特別功労賞)を受賞しました。

他にも『弔鐘はるかなり』、『檻』、『友よ、静かに瞑れ』、『破軍の星』 『三国志』などが挙げられます。

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北方謙三のプロフィールや経歴

名前:北方謙三
生年月日:1947年10月26日
出身地:佐賀県
血液型:A型
身長:非公開

大学在学中の1970年に北方謙三さんは純文学作品『明るい街へ』を同人誌に発表、同作が雑誌『新潮』編集者の目に留まり学生運動でバリケード封鎖中に来訪を受けて転載の了承を依頼され、1970年3月号に掲載されました。

学生作家としてデビューを果たしたもののそこから長い下積み生活を送り、1981年に『弔鐘はるかなり』を執筆、単行本デビューしました。

1982年には『逃がれの街』を執筆、その後『眠りなき夜』、『さらば、荒野』、『檻』とヒット作を次々と生み出し、“ハードボイルド小説の旗手”として一躍人気作家になりました。

『逃れの街』、『友よ、静かに瞑れ』、『黒いドレスの女』などが次々と映画化されると日本冒険作家クラブの創設の発起人の一人と1人になり、『破軍の星』では第4回柴田錬三郎賞を受賞しています。

1996年には全13巻6500枚書き下ろしという大長編北方版『三国志』の刊行が開始され、1999年には『水滸伝』が『小説すばる』で連載開始、前作を超える全19巻9500枚の超大作は「日本の大衆小説の最高峰」と評されました。

2000年から2023年まで直木三十五賞の選考委員を務め、他に吉川英治文学賞、江戸川乱歩賞、小説すばる新人賞の選考委員に選出されています。

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北方謙三の性格

北方謙三さんは、真面目な方です。

作家としても長い下積みを乗り越えて売れっ子になりました。

車の運転も「車の事故は他人を巻き込む危険がある。場合によっては殺人とみなされる」と、あっさり辞めたのは真面目だからだと思います。

ただタバコは長年続けており、「どうせ死ぬし、他人に迷惑をかけずに吸えばいいでしょう」と話していました。

北方謙三の本名

北方謙三さんは、本名で活動しているようです。

デビュー時から活動名を変えたことはありません。

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まとめ

北方謙三さんは学生時代にデビューし、売れっ子になるまでには長い時間がありましたが、今も活動を続けています。

これからも北方謙三さんの活躍を応援していきたいと思います。

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