記事内にPRが含まれています。
スポンサーリンク

湯川れい子の元夫は田村駿禮!息子や最初の元旦那についても調べてみた

yukawareiko_sokkuri 評論家

音楽評論家でUSEN放送番組審議会委員長の湯川れい子さんには、2度の結婚歴があります。

元夫とは親友でもあったと明かしていますが、どんな人だったのでしょうか。

今回は、湯川れい子さんの結婚と離婚、子供について調べてみました。

スポンサーリンク
スポンサーリンク
Advertisements

湯川れい子の元夫は田村駿禮で再婚だった

湯川れい子さんの元夫は、実業家の田村駿禮さんです。

1941年に誕生した田村駿禮さんは、法政大学経済学部を卒業し、1969年にソニー専門商社の株式会社オーディオ&ビデオを設立し、その後ダイヤモンドビジネスも始めました。

2022年4月、新型コロナウイルスの感染をきっかけに重度の肺炎と脳梗塞を患い亡くなりました。

湯川れい子と田村駿禮の馴れ初め

湯川れい子さんと田村駿禮さんの出会いは、1972年のエルヴィス・プレスリーさんのハワイコンサートでした。

湯川れい子さんはエルヴィス・プレスリーさんのファンで、自身の企画でこのコンサートの鑑賞ツアーを実施、ツアーの一環として本人と対面する機会を得ました。

そしてその場にいたのが田村駿禮さんだったそうです。

1973年8月10日には結婚式を挙げ、その際エルヴィス・プレスリーさんが結婚証明書の証人としてサインしています。

離婚した理由は田村駿禮の隠し子発覚で絶縁

湯川れい子さんと田村駿禮さんは、1998年に離婚しました。

実業家だった田村駿禮さんは様々なビジネスを行っていたものの、株式投資に失敗したことで多額の借金を抱えることになり夫婦関係は冷めていきました。

そこに追い打ちをかけたのが田村駿禮さんの隠し子の存在で、ある時湯川れい子さんは田村駿禮さんから「双子の子供がいる」と明かされたそうです。

湯川れい子さんは子供たちを育てることも考えましたが、結局は離婚と言う形に至っています。

湯川れい子と田村駿禮はなぜ親友になれた?

湯川れい子さんと田村駿禮さんは、離婚後絶縁状態でした。

その間に田村駿禮さんは再婚をするも離婚、湯川れい子さんは独身生活を続けていました。

二人の関係が変わったのは田村駿禮さんが心筋梗塞や脳梗塞で倒れたことで、湯川れい子さんが何かと頼られていたため自然と「夫婦」ではなく「親友」としての関係を築いていくようになりました。

湯川れい子さんは田村駿禮さんと親友になれた理由について「子育ての苦労や、相手に裏切られるつらさを味わったりして、お互いわかり合える存在になれた」と明かしています。

湯川れい子の息子も音楽関係の仕事

湯川れい子さんと田村駿禮さんの間には、1975年に誕生した長男がいます。

長男は田村有宏貴さんといい、株式会社キョードー東京で取締役を務めていました。

ポール・マッカートニーさんの日本公演を実現させたのも田村有宏貴さんでした。

現在は株式会社エイトスター・ダイヤモンドの代表取締役社長兼最高経営責任者を務めています。

私生活では結婚し子供もいます。

湯川れい子の最初の元旦那はどんな人?

湯川れい子さんの最初の旦那さんは、進さんと言います。

進さんは湯川れい子さんの8歳年上で、湯川れい子さんが小学校6年生の時から実家に下宿していた男性です。

一橋大学を卒業した会社員でしたが、現在については情報がないためわかりませんでした。

湯川れい子と最初の元旦那が離婚した理由

湯川れい子さんと進さんは、湯川れい子さんが22歳の時に結婚しました。

この結婚はお母さんの要望だったそうで、湯川れい子さんは進さんに「年上のお兄さん」以上のっ感情を持つことが出来ませんでした。

そのため進さんが仕事の都合で海外に行っても湯川れい子さんは別居婚を続け、結局夫婦の関係は冷めきったまま湯川れい子さんが30歳の時に離婚しています。

まとめ

2度の結婚を経験した湯川れい子さんは、現在独身です。

結婚生活は良いことばかりではなかったかもしれませんが、これからも湯川れい子さんらしく素敵な日々を過ごしてほしいですね。

スポンサーリンク
スポンサーリンク
評論家

タイトルとURLをコピーしました