音楽評論家・作詞家・翻訳家・USEN放送番組審議会委員長として活動している湯川れい子さんは、どこの学校に通っていたのでしょうか。
家族はどんな人で、幼少期はどんな生活を送っていたのでしょうか。
今回は、湯川れい子さんの経歴や出身学校、家族について調べてみました。
湯川れい子の学歴
湯川れい子さんが通っていた学校について調べてみました。
湯川れい子の出身小学校
湯川れい子さんは、東京府青山師範学校附属国民学校(現・東京学芸大学附属世田谷小学校)出身です。
戦争のため、2年生から5年生までは山形県に疎開していました。
その後再び東京に戻っています。
湯川れい子の出身中学
小学校卒業後は、鷗友学園中学校に進学しました。
現在の偏差値は、67です。
湯川れい子の出身高校
中学校卒業後は、鷗友学園高等学校に進学しました。
こちらの学校は中高一貫校のため、偏差値は推定の67です。
同級生にはフラメンコダンサーの長嶺ヤス子さんがいました。
湯川れい子の出身大学
高校卒業後は、進学していません。
すでに芸能活動を行っていたため仕事に専念しています。
湯川れい子の若い頃
湯川れい子さんの若い頃の姿はこちらです。
「LADY BABAのお宝写真館」
— 湯川れい子 (@yukawareiko) May 25, 2020
明日からは東京も外に出る人がどっと増えるでしょうから、今夜は蔵出し特別編😘
エルヴィスはやがて私の結婚式の保証人にもなってくれるので、オフィシャルな写真はいろいろあるけれど、これはあまり外に出ていません。
71年に初めて会った時と、72年の第3種接近遭遇です。 pic.twitter.com/wUsMLBt5Oy
「LADY BABA のお宝写真館』 (その1)
— 湯川れい子 (@yukawareiko) June 17, 2020
37年前の同じ頃、アメリカ、イギリス、カナダから登場して、私が勝手に「トップ40の息子たち」と呼んでいた3人のうちの2人の写真です。
本当は長男がブルース・スプリングスティーンで、この人が次男。生まれも育ちも頭も良い、ブライアン・アダムスです。 pic.twitter.com/ugsSlxhwBf
若い頃も今も綺麗で可愛らしいですね。
湯川れい子が作詞などをした代表曲
湯川れい子さんは、1965年にエミー・ジャクソンさんの楽曲「涙の太陽」をR.H.Rivers名義で英語で作詞し、作詞家デビューしました。
その後はアン・ルイスさんの「あゝ無情」「六本木心中」、小林明子さんの「恋におちて -Fall in love-」、中島美嘉さんの「火の鳥」、氷川きよしさんの「きらめきのサンバ」などの楽曲を担当しています。
湯川れい子のプロフィールや経歴
1/22 🎂湯川れい子さん(1936)
— 【歌レク素材】うたレク! (@uta_reku) January 21, 2022
㊗️86歳の誕生日おめでとうございます🎉
先日「徹子の部屋」で拝見したばかり。
真っ赤な上着に、ピンヒール👠履いてらっしゃって!
そして何より、お声が若い頃と変わらない😱ことに驚愕
お元気でいらして嬉しい☺️
📺TVerでまだ観られますhttps://t.co/zWfO9MM3XI pic.twitter.com/5nN08o213V
名前:湯川れい子
生年月日:1936年1月22日
出身地:東京都
血液型:B型
身長:非公開
1953年の舞台『未亡人』で女優デビューした湯川れい子さんは、『太陽のない街』に夫人部員の端役、『ここに泉あり』に女教師役、『天下の若君漫遊記』に端役で出演しました。
芸能プロダクション「土曜会」に所属し、テレビ番組『ありちゃんのおかっぱ侍』に「芸者・駒子」役でレギュラー出演していたこともありました。
1959年に『スイングジャーナル』誌への投稿が大きな反響を呼んだことがきっかけでインタビュアーやジャズ評論家として1960年に同誌にて執筆を開始、その後はラジオのDJやワイドショーのコメンテーター、作詞、翻訳、ノンフィクション作家など活躍の場を広げています。
湯川れい子の所属事務所
湯川れい子さんの事務所は、「音楽事務所オフィス・レインボウ」です。
こちらは湯川れい子さんの個人事務所になっています。
湯川れい子の年収
湯川れい子さんの年収は公表されていません。
現在も活動を続けていることから、数百万円以上になるのではないかと思われます。
湯川れい子の実家や生い立ち
1936年1月22日に誕生した湯川れい子さんは、東京府東京市目黒区芳窪町(現:東京都目黒区東が丘)出身です。
実家の詳しい場所は公開されていませんが、600坪もある大きな家で暮らしていたそうです。
「早く自立したい」という気持ちから高校2年生の時に映画公開時のキャンペーンガールに年齢をごまかして応募、合格した後に年齢がバレてしまったのものの、映画好きをアピールしたところそのまま仕事を続けられるようになりました。
キャンペーンが終わってからも映画の試写券やタダ券をもらっていたため、朝からお弁当を持って行き同じ映画を4回見るなど、どっぷり映画の世界にハマっていました。
そして現代俳優協会の募集に応募、見事合格し女優デビューに繋がりました。
湯川れい子の父親
湯川れい子さんのお父さんは、湯野川忠一さんと言います。
海軍将校だったお父さんは、湯川れい子さんが8歳の時に病気で倒れ亡くなりました。
50を過ぎてから湯川れい子さんが誕生したこともあり、とても可愛がってくれていたそうです。
湯川れい子の母親
湯川れい子さんのお母さんは一般人で、名前は公開されていません。
先祖は武家で、お母さんは仙台の高等裁判所の裁判官の娘というお嬢様でした。
お母さんは「親が決めた相手と結婚して、添い遂げるのが女の幸せ」と教え込まれた世代だったため、湯川れい子さんにも結婚を勧めたものの、湯川れい子さんは離婚しています。
湯川れい子の兄弟や姉妹
湯川れい子さんには、2人のお兄さんとお姉さんが1人います。
18歳上の長兄・湯川忠成さんは、戦争で亡くなりました。
15歳上の次兄・守正さんは海軍大尉で、海軍兵学校71期生です。
12歳上のお姉さんは名前や経歴が公開されていないためわかりませんでした。
まとめ
戦争中にお父さんやお兄さんを亡くした湯川れい子さんは、女優として芸能界に入り、その後音楽の道を進むことになりました。
これからも湯川れい子さんの活躍を応援していきたいと思います。