「Toshi Yoroizuka」のオーナーシェフを務める鎧塚俊彦さんは、どんな人なのでしょうか。
どこの学校に通っていたのか、どんな家庭で育ったのか、気になりますね。
今回は、鎧塚俊彦さんの経歴や出身学校、家族、目の病気などについて調べてみました。
鎧塚俊彦の学歴
鎧塚俊彦さんが通っていた学校について調べてみました。
鎧塚俊彦の出身小学校
鎧塚俊彦さんは、宇治市立菟道小学校出身です。
子供の頃から食べることが好きだったそうです。
鎧塚俊彦の出身中学
小学校卒業後は、宇治市立宇治中学校に進学しました。
中学からは新聞配達のアルバイトをしていました。
鎧塚俊彦の出身高校
中学校卒業後は、京都府立城南高等学校(現:京都府立城南菱創高等学校)に進学しました。
現在の偏差値は、57~65です。
高校時代はガソリンスタンドでアルバイトをしており、働きぶりの良さから頼りにされて高校生ながら臨時所長のような立場を任されることもあったそうです。
鎧塚俊彦さんは当時について、実家は食べるに困るほど貧しいわけではなかったものの、がむしゃらに働いていたと明かしています。
鎧塚俊彦の出身大学
高校卒業後は、進学していません。
家庭環境から子供の頃から大学に行くという選択肢はなかったそうです。
その後、社会人生活を経て辻製菓専門学校に進学しています。
こちらは2024年4月より辻調理師専門学校と統合しています。
鎧塚俊彦の左目は義眼?
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2012年、鎧塚俊彦さんは左目の視力を失ったことを公表しました。
過去に3度手術しても治らず、「もう義眼にしないといけないかな」と思った時もあったそうです。
そんな時にかまぼこの老舗「鈴廣かまぼこ」の鈴木智恵子さんが「鎧ちゃん、私の知っている先生のところに行って」と、ありえないくらい名医だらけの「眼科医ドリームチーム」を紹介してくれました。
おかげで眼球の手術は成功したものの、それまで眼圧が高いままで目の神経が圧迫されてきたからか、光は戻ってきませんでした。
鎧塚俊彦さんはメディアにも出る方で、左目を隠していないことから一部では「義目」という噂もありますが、鎧塚俊彦さん自身が義目だと明かしたことはありません。
インタビューでは「今は左目がまったく見えない」と話していたことから義目は使用していないと思われます。
鎧塚俊彦は糖尿病で失明していた
鎧塚俊彦さんは、2009年頃に左目に違和感を感じたそうです。
元々視力が良かった鎧塚俊彦さんですが、大げさなことになるとは思っておらず、仕事が忙しかったことから損の違和感を放置してしまいました。
数カ月後から急に見えづらくなってしまい病院に行くと、「網膜中心静脈閉塞症」と診断されました。
その後視力を失ったことで細かい作業が出来ず、パティシエとして引退することも考えたものの、弟子や妻の川島なお美さんの支えから感覚を取り戻すことが出来たそうです。
鎧塚俊彦のプロフィールや経歴
【グルメ&スイーツ】スイーツアワード審査員紹介!パティスリー「Toshi Yoroizuka」のオーナーシェフ、鎧塚俊彦氏が出演決定♪ #女子博 #女子博グルメスイーツ pic.twitter.com/1v4K90Lvhe
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名前:鎧塚俊彦
生年月日:1965年10月16日
出身地:京都府
血液型:非公開
身長:非公開
23歳の時に守口プリンスホテル(現:ホテル・アゴーラ大阪守口)に入社した鎧塚俊彦さんは、パティシエとして3年間勤務し、1992年に神戸ベイシェラトンホテル&タワーズのセクションシェフから副製菓長として3年間務めました。
1995年にスイス・シャフハウゼン「ツッカーベッカライ エルマティンガー」に入店すると、オリジナル菓子「トシ・マンデル・クローネ」が人気商品になりました。
その後もオーストリアウィーン郊外「バックハウスアンナミューレ」でアシスタントシェフ、パリ2区モントルグイユ通りにあるパリ最古の伝統店「ストレー(fr:Nicolas Stohrer)」、 ベルギーの3つ星レストラン「Bruneau(ブリュノウ)(en:Bruneau (restaurant))」で勤務しました。
2000年には“INTERSUC 2000(パリ)”で優勝、2003年に「有限会社アトリエ・サンセール」を設立し、翌2004年に恵比寿で「Toshi Yoroizuka」を開業、2005年にはお菓子教室「ECOLE TOSHI」を恵比寿の店舗に開設しています。
2007年に東京ミッドタウンで「Toshi Yoroizuka MID TOWN」を開業、2011年には神奈川県小田原市に「一夜城ヨロイヅカファーム」を、2016年に神奈川県藤沢市に「キッシュヨロイヅカ江ノ島店」を開業しました。
さらに東武百貨店池袋店に「キッシュヨロイヅカ」の2号店となる「キッシュヨロイヅカ池袋東武店」、渋谷ヒカリエShinQsにキッシュヨロイヅカ3号店、キッシュヨロイヅカ南青山店がオープンしています。
鎧塚俊彦の所属事務所
鎧塚俊彦さんは、芸能事務所には所属していません。
自身のブランド「Toshi Yoroizuka」は株式会社サンセリーテが運営しており、鎧塚俊彦さんは代表取締役を務めています。
鎧塚俊彦の年収
鎧塚俊彦さんの年収は公表されていません。
パティシエや実業家として成功しているため、億越えではないかと言われています。
鎧塚俊彦の実家
鎧塚俊彦さんは、京都府宇治市出身です。
実家の詳しい場所は公開されていませんが、元々武家屋敷だったところで、鎧塚家を含め14世帯が生活していたそうです。
鎧塚俊彦の生い立ち
1965年10月16日に誕生した鎧塚俊彦さんは、子供の頃から食べることが好きで、テレビ番組でフランス料理のフルコースなどを紹介していると「こんな料理を食べてみたいな」と思いながら見ていました。
ただお父さんが外食を好まない人で、年に1~2回ほど百貨店の食堂に連れて行ってくれる程度だったため、「ああいう料理を食べたいなら自分で作るしかない」と思っていたそうです。
高校卒業後は料理や洋菓子に全く関係のない仕事に就いていたものの一生続けたいと思うまでの熱意は持てず、子供の頃から好きだった食の世界を目指そうと決めてお菓子の世界に入りました。
料理ではなく洋菓子を選んだのは、「当時、大学に進学しない人間は自動車、土木、料理の方面に進むことが多く、男子でお菓子屋さんになりたいという人間が周りにいなかったから。そこに面白味を感じた」と明かしています。
鎧塚俊彦の父親
鎧塚俊彦さんのお父さんは一般人です。
お父さんは、家具職人でした。
鎧塚家が代々家具職人だったものの、お父さんは「職人になれ」、「跡を継げ」などとは言いませんでした。
そんなお父さんは59歳で亡くなっており、祖父も同じ年に亡くなったそうです。
鎧塚俊彦の母親
鎧塚俊彦さんのお母さんも一般人です。
お母さんは富山県の住職の家に生まれものの、両親を早くに亡くし親戚の家で育てられました。
幼い頃からお寺や学校で下働きをし続けた、京都で金物屋の職に就いてからは今までの苦労が実り働き者で通り社長にも気に入られ、そして腕の良い家具職人だったお父さんと知り合ったそうです。
お母さんも「勉強しろ」とは言わなかったものの、「仕事て認められてこそ一人前」「手に職をつけろ!手に職のある奴は一生食いっぱぐれが無い!」というのが口癖でした。
鎧塚俊彦の兄弟や姉妹
鎧塚俊彦さんには、お兄さんとお姉さんがいます。
お兄さんは京都の宇治で鎧塚造園を営んでいます。
お姉さんについては情報がなくわかりませんでした。
まとめ
料理の世界とは関わりがない環境で育った鎧塚俊彦さんですが、両親から跡継ぎの強制がなかったからこそ、自分のやりたいことを見つけ、その道を極めていくことが出来たのだと思います。
今後も鎧塚俊彦さんの活躍が楽しみです。