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立川談春の弟子は何人?立川志らくとの関係は?事務所や年収も調査

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「最もチケットが取れない落語家」と言われている立川談春は、どんな人なのでしょうか。

立川談春さんの師匠や弟子は誰なのでしょうか。

今回は、立川談春さんの経歴や師匠、弟子、立川志らくさんとの関係などについて調べてみました。

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立川談春の弟子は何人?一覧

立川談春さんの現在の弟子は、立川小春志さんです。

立川小春志さんは2006年3月に入門、大学2年生の時に立川談春さんの「髪結新三」や「らくだ」を観て衝撃を受けたのがきっかけだったそうです。

2012年に二ツ目に昇進、その後2020年から1年間は真打昇進を前提とした「修業期間」とし立川談春さんの付き人活動に専念、2021年1月に活動を再開すると、20203年に真打に昇進しました。

立川談春さんの弟子は現在立川小春志さんのみで、過去に入門した男性は全員落語家を廃業しています。

立川談春と立川志らくの関係

立川談春さんと立川志らくさんは、師匠が同じ立川談志さんで、兄弟子・弟弟子の関係です。

生まれた年齢は立川志らくさんの方が3歳上ですが、立川談春さんの方が1年早く入門しているため、立川談春さんが兄弟子、立川志らくさんが弟弟子ということになります。

若手時代は園芸番組『平成名物テレビ ヨタロー』に立川ボーイズのユニットを結成して出演するなどしていましたが、現在は一部で「不仲ではないか」という噂が流れているそうです。

ただこの噂に立川談春さんは「オレ、あいつと仲が悪いっていう商売をしようかな」という冗談を話し、立川志らくさんも「仲が悪いのは他の兄弟子」と明かすなど、不仲説を否定していました。

立川談春の師匠は立川談志

立川談春さんの師匠は、七代目立川談志さんです。

七代目立川談志さんは、1952年に五代目柳家小さんに入門、1954年3月に二ツ目昇進、1963年4月に真打昇進を果たし「立川談志」を襲名しました。

1971年には第9回参議院議員通常選挙に全国区から無所属で出馬し初当選、三木内閣の沖縄開発政務次官に就任するなど政治界でも活動し、1983年には落語協会を脱会して落語立川流を創設、家元になりました。

2011年11月に喉頭癌のため75歳で亡くなっています。

立川談春のプロフィールや経歴

名前:立川談春
本名:佐々木信行
生年月日:1966年6月27日
出身地:東京都生まれ、埼玉県育ち
血液型:非公開
身長:168cm

1984年3月に七代目立川談志に入門した立川談春さんは、1988年に二つ目に昇進し、1991年にはにっかん飛切落語会で若手落語努力賞を、1997年には第2回林家彦六賞を受賞しました。

同年9月20日に真打昇進を果たすと、2003年には平成14年度彩の国落語大賞、2004年には平成15年度国立演芸場花形演芸大賞を受賞、メディアへの出演も増えていき趣味のボートレースのレース解説、大河ドラマ『いだてん〜東京オリムピック噺〜』、ドラマ『下町ロケット』などに出演しています。

2008年には自身の著書『赤めだか』で第24回講談社エッセイ賞を受賞、この作品はテレビドラマ化もされました。

2024年6月、落語立川流の一般社団法人化に伴い、立川志らくさんとともに副代表に就任しました。

立川談春の所属事務所

立川談春さんは、「落語立川流」に所属しています。

こちらは落語家の団体の1つで、芸能事務所には在籍していません。

立川談春の年収

立川談春さんの年収は公表されていません。

落語家だけではなく俳優としてテレビに出ることもあるため、数千万円以上になるのではないかと思われます。

まとめ

17歳で落語界に入った立川談春さんは、ドラマや映画などの演技も高く評価されています。

弟弟子の立川志らくさんや一番弟子の立川小春志さんらと共に今後も活躍し続けられるよう、応援していきたいと思います。

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