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橋幸夫の年収や自宅がすごい?代表曲や本名・事務所や夢グループとの関係

hashiyukio_career 歌手
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1960年にデビューした橋幸夫さんは、どんな人なのでしょうか。

現在はどこに住んでいて、年収はどの位あるのでしょうか。

今回は、橋幸夫さんの経歴や年収、自宅などについて調べてみました。

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橋幸夫の年収がすごい

橋幸夫さんの現在の年収は公表されていません。

過去には長者番付の常連で、年収は数千万円以上と言われていました。

現在も活動を続けていることから数千万円ほどになるのではないかと思われます。

橋幸夫の自宅がすごい

橋幸夫さんは、現在静岡県熱海市で生活しています。

詳しい場所は公開されていませんが、市内のリゾートマンションだといわれていました。

元々東京で生活していた橋幸夫さんですが、1985年に新築した都内の一等地の豪邸は財産分与として前妻に離婚時に渡しています。

この豪邸は地上3階建、地下1階建のビルで、レコーディングスタジオも完備していたそうです。

橋幸夫の若い頃

橋幸夫さんの若い頃の姿はこちらです。

今と雰囲気は異なりますが、顔立ちが整っていますね。

橋幸夫の代表曲

橋幸夫さんの代表曲は、「潮来笠」です。

この曲は1960年7月5日にリリースされた橋幸夫さんのデビュー曲です。

第2回日本レコード大賞新人賞を受賞し、『第11回NHK紅白歌合戦』にも初出場しました。

橋幸夫のプロフィールや経歴

名前:橋幸夫
本名:橋幸男
生年月日:1943年5月3日
出身地:東京都
血液型:A型
身長:167cm
所属事務所:ビクターエンタテインメント

1960年に歌手デビューした橋幸夫さんは、舟木一夫さんや西郷輝彦さんとともに「御三家」としてアイドル的な人気を集め、1962年には吉永小百合さんとのデュエット曲「いつでも夢を」が大ヒットしました。

同曲は発売から「1か月で30万枚」という驚異的な記録をたて、半年後の翌年5月に100万枚を突破)、第4回日本レコード大賞を受賞しています。

1966年には「霧氷」で再び第8回日本レコード大賞を受賞、同賞ではいずれも史上初となる2度目の大賞受賞、新人賞と大賞の2冠を達成しました。

1971年発売の「子連れ狼」は、ドラマ『子連れ狼』第3部の主題歌になったことで話題を集め、トップ10入りするヒットとなり第14回日本レコード大賞(大衆賞)、日本歌謡大賞特別賞他を受賞しました。

その後は人気に陰りが出るも1980年前後に巻き起こった漫才ブームの時期に「ザ・ぼんち」のぼんちおさむさんが橋幸夫さんのものまねを頻繁に披露したことで再び注目を集めました。

2023年には東京・浅草公会堂でラストコンサートを行い歌手活動引退、しかし2024年ファンから活動再開を願う声が寄せられたことで「歌を歌うことが使命だったんだ」と感じ歌手引退を撤回しました。

橋幸夫の所属事務所

橋幸夫さんは、「ビクターエンタテインメント」に所属しています。

こちらの事務所には、家入レオさん、荻野目洋子さん、斉藤和義さんらも在籍しています。

橋幸夫と夢グループの関係

橋幸夫さんは、「夢グループ」で引退興行を行っていました。

夢グループは元々月給制だったため、所属希望の歌手が夢グループに殺到したこともあったそうです。

橋幸夫さんも社長に「夢グループに移籍したい」と直接連絡を入れたものの、その時は月給制を辞めていました。

そのため社長は「橋さんごめん、給料制でなくなったよ」と返すと、橋幸夫さんは「社長それでいいんだよ、自分は引退したくなったから」と言ったため、引退興行を夢グループが引き受けることになったそうです。

まとめ

歌手活動を1度引退した橋幸夫さんですが、ファンの声で復帰を決め、今も歌い続けています。

これからも橋幸夫さんの活動を応援していきたいと思います。

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