歌手としてデビューし現在は女優・タレントとマルチに活動している辺見マリさんは、どんな両親の元で育ったのでしょうか。
学生時代はどこの学校に通い、デビューのきっかけは何だったのでしょうか。
今回は、辺見マリさんの経歴や出身学校、家族について調べてみました。
辺見マリはハーフ
とはいえ「マリさんの極め付けは?」と問われれば、結局のところ記念すべきデビュー曲であり、そのクオリティに一瞬でもってかれるこの曲にとどめを刺します。
— ぐーたら (@goodboygootra) September 22, 2023
◆ 辺見マリ
「ダニエル・モナムール」(1969) pic.twitter.com/HQ39gh6hEh
辺見マリさんは、スペイン系アメリカ人と日本人のハーフです。
ただ両親は離婚しており、日本人のお母さんは日本人の男性と再婚しました。
辺見マリさんが幼い頃に離婚していたため、辺見マリさんは17歳になるまで自身を純日本人だと思っていたそうです。
デビュー前にお母さんが「変な形で耳に入るとよくないから」と実父の話をしてくれたそうで、辺見マリさんは当時について「ものすごく不思議な感じでしたね。私はちょっと毛色が違うんだとうれしさもあったし、お父ちゃん、本当の父親のように育ててくれて、ありがとうという感謝の気持ちもありました」と明かしています。
辺見マリの実家
辺見マリさんは、神奈川県逗子市で生まれ、2歳から京都府京都市で育ちました。
実家の詳しい場所は公開されていませんが、辺見マリさんが幼い頃は終戦後のまだ貧しい時代だったことから共同のトイレ、台所の間借り生活だったそうです。
辺見マリの生い立ち
1950年10月5日に誕生した辺見マリさんは、4歳の頃にバレエを始めました。
バレエの才能を秘めていたようで、すぐに週に6日もレッスンに通うほど熱中していたものの、辺見マリさんが男性舞踊師と組んで重要な役を踊るようになると女性の先生に焼きもちを焼かれるようになり、辺見マリさんのバレエ熱は冷めてしまったそうです。
学校でも居場所がなかったという辺見マリさんは中学3年生の時に大ファンの布施明さんが出る京都会館での歌謡ショーに足を運び、見知らぬ男性から「君、踊れるって聞いたけど、歌は歌える?」と声をかけられました。
その方は歌謡ショーを主催する芸能プロダクションのマネージャーで、辺見マリさんはこのスカウトをきっかけに歌のレッスンを始め、芸能界デビューを果たしています。
辺見マリの父親
辺見マリさんの実父は、スペイン系アメリカ人です。
進駐軍の将校として日本に駐留していました。
離婚後は一切会っていないようで、消息はわかりません。
育ての父親は日本人ですが、顔写真などは公開されていません。
辺見マリの母親
辺見マリさんのお母さんは、日本人です。
一般人のため名前や顔写真などは公開されていません。
辺見マリの兄弟や姉妹
辺見マリさんには、双子の弟さんがいました。
しかし生後間もなく亡くなっています。
そのため辺見マリさんは一人娘として育てられたそうです。
辺見マリの学歴
辺見マリさんが通っていた学校について調べてみました。
辺見マリの出身小学校
辺見マリさんは、京都市立錦林小学校出身です。
幼少期からバレエに打ち込み、小学3年生の頃には「一流のバレリーナになること」を夢見るほどの熱意を持っていました。
しかし、学校生活では友人関係がうまくいかず、学校に馴染むことが難しかったようです。
辺見マリの出身中学
小学校卒業後は、平安女学院中学校に進学しました。
現在の偏差値は、43~48です。
この頃、アイススケートやジャズ、カンツォーネ(イタリアのポピュラー音楽)に夢中になり、特に音楽への情熱が高まりました。
この中学時代にナベプロのスタッフからスカウトされ、芸能界入りを果たすきっかけとなりました。
辺見マリの出身高校
中学校卒業後は、平安女学院高等学校に進学しました。
現在の偏差値は、50です。
芸能活動を優先するようになり、学業よりも音楽や舞台活動に力を入れていたため、高校時代の学業についてはあまり詳細な記録が残っていません
辺見マリの出身大学
高校卒業後は、進学していません。
17歳で芸能界デビューを果たし、以降は音楽活動やタレント業に専念してきました。
当時、すでにスターとして注目を集めていたため、大学進学は考えなかったようです。
辺見マリのプロフィールや経歴
<辺見マリ>73歳、ショートのグレーヘアがお似合い! 社交ダンスにハマる 華麗なステップも披露「徹子の部屋」出演(毎日キレイ)#Yahooニュースhttps://t.co/XNHcT4VHTg
— Zorro (@ZorroGibraltar) September 25, 2024
名前:辺見マリ
生年月日:1950年10月5日
出身地:神奈川県生まれ、京都府育ち
血液型:B型
身長:162cm
所属事務所:株式会社フジプランニング、Team M (業務提携)
1969年に「ダニエル・モナムール」で歌手デビューした辺見マリさんは、1970年に発売したセカンドシングル「経験」の『やめてぇ』と溜息混じりの歌い方が話題になり、大ヒットしました。
曲と共に本人の大人びた容姿も相まってブレイクし、同年の第12回日本レコード大賞新人賞やゴールデン・アロー賞グラフ賞などの賞を受賞しています。
さらに「私生活」、「めまい」等をリリースしセクシー歌謡の歌手として活躍、「私生活」で第21回NHK紅白歌合戦に初出場しました。
西郷輝彦さんとの結婚を機に芸能界を引退するも離婚後に復帰、1993年にはヘアヌード写真集『INFINITO』を発売しました。
辺見マリの本名
辺見マリさんの本名は、「逸見万里 (へんみまり)」さんと言います。
2度の結婚を経験した辺見マリさんですが、すでに離婚しているため「逸見」姓に戻っています。
辺見マリの所属事務所
辺見マリさんは、「株式会社フジプランニング」に営業預かりと言う形で所属しています。
業務提携先は「Team M」です。
辺見マリの年収
辺見マリさんの年収は公表されていません。
芸能界に復帰してからはバラエティー番組にも出演することが増えたため、数百万円以上になるのではないかと思われます。
まとめ
バレリーナになることは出来なかった辺見マリさんですが、芸能界でブレイクし、今も活動を続けています。
これからも辺見マリさんの活躍を応援していきたいですね。