これまでに防衛庁長官、防衛大臣、農林水産大臣などを歴任した政治家・石破茂さんは、どんな家庭で育ったのでしょうか。
お父さんやお母さん、そして兄弟はどんな人なのでしょうか。
今回は、石破茂さんの家族について調べてみました。
石破茂の家系図がすごい!
石破茂さんが育った石破家は、元々鳥取県八頭郡大御門村大字殿(旧郡家町大字殿、現八頭町郡家殿)の農家でした。
祖父の石破市造さんは農業を経て政治家に、父親の石破二朗さんは政治家として県知事などを務めました。
お母さんは内務官僚の金森太郎さんの長女で、宗教家の金森通倫さんの孫でもあります。
石破茂の父親は政治家で鳥取県知事だった
#今日のトリビア
— 北斗辛麺ジャギ (@Ivory_0214) September 15, 2021
1981年、石破二朗歿 政治家 石破茂の父 農本主義で地元鳥取県を愛した 田中角栄元首相と友人関係で東京都知事選の出馬を請われたが「私は鳥取県民である」と断る 最期も鳥取市内の病院で迎えた 享年73歳 都内で職務に就いていた間も病弱な妻を見舞う為毎週末帰省していた pic.twitter.com/8ARjyO0puu
石破茂さんのお父さんは、石破二朗さんと言います。
石破二朗さんは、1958年に鳥取県知事に就任、15年ほど務めていました。
1974年に知事を辞任すると参議院議員に当選、鈴木善幸内閣で自治大臣(第28代)兼国家公安委員会委員長(第38代)に就任しました。
1981年9月16日、73歳で亡くなりました。
石破茂の実家
石破茂自由民主党総裁は、地元の『鳥取県護国神社』に毎年8月15日に参拝をしています。 pic.twitter.com/PnXjyhhJT3
— 松村尚和(Hisakazu Matsumura) (@matsuhis1) September 27, 2024
石破茂さんは、東京都千代田区で誕生しました。
1歳の時にお父さんが鳥取県知事に就任したため鳥取県へ転居、中学校卒業まで鳥取県八頭郡八頭町で生活していたため東京で生活した幼少期の記憶はないそうです。
石破茂の生い立ち
あなたが貼った石破茂だとされる人物はまったくの別人だと確定している。これが本当の若い頃の石破茂だよ。 pic.twitter.com/IwpCcaJMZu
— mold‐zx (@lautream) September 1, 2020
1957年2月4日に誕生した石破茂さんは、元総理大臣の吉田茂さんにちなんで「茂」と名付けられました。
お父さんは「金太郎」と名付けようとしたものの、お母さんが猛反対したそうです。
子供の頃は知事として激務をこなす父お父さんの背中を見て、「24時間365日、県民のことを考えている。父のようになるのは無理だ」と痛感し、政治家を目指す考えは持てませんでした。
しかし大学を卒業し三井銀行に勤務していた1981年、お父さんが亡くなり葬儀委員長を務めた元総理大臣の田中角栄元さんから「君が衆議院に出るんだ」と強く背中を押されました。
そして銀行を退職して田中派事務局の職員になり政治について学んだ後、1986年に衆院選で初当選し政治家になりました。
石破茂の母親
石破茂さんのお母さんは、石破和子さんと言います。
お母さんは元国語教師で、石破茂さんら子供たちの教育にも熱心だったそうです。
石破茂の兄弟や姉妹
石破茂さんには、お姉さんが2人います。
石破家の長女・悠紀子さんは、小野田セメント(現:太平洋セメント)の元取締役八村義郎さんと結婚、プラス・テク社長の八村哲郎さんが誕生しました。
石破家の次女の名前は公表されていませんが、長女も次女も教師だったと言われています。
まとめ
幼少期は「だだっ広い知事公舎に住んでいた」という石破茂さんは、お父さんが亡くなった後に政治家になりました。
空の上で見守ってくれているお父さんに安心してもらえるよう、石破茂さんの力で日本をいい方向に変えていってほしいですね。