阪神タイガースや千葉ロッテマリーンズで活躍した元プロ野球選手・鳥谷敬さんの実家はどこにあるのでしょうか。
両親はどんな人で、家族に野球経験者はいるのでしょうか。
今回は、鳥谷敬さんの実家や家族について調べてみました。
鳥谷敬の実家の東村山
鳥谷敬さんと田中大貴さんのトークショーがプリモホールゆとろぎで、ふっさ・はむら多文化共生事業協議会の主催で開催されました。鳥谷敬さんさんの実家は今でも東京都羽村市小作地区にあり、小学校5年から阪神に入団するまで小作にいたそうです。数少ない羽村出身者として全力で応援します。 pic.twitter.com/nRZulSjzx7
— 高田 かずと (@takadakazuto) September 19, 2022
鳥谷敬さんは、東京都東村山市内で誕生しました。
その後同じ東京の羽村市小作地区に引っ越しています。
詳しい場所は公開されていませんが、現在も実家は羽村市内にあるそうです。
鳥谷敬の生い立ち
ドラフトの時の鳥谷敬 #hanshin #鳥谷敬 pic.twitter.com/TFr9iSw4oK
— たにきゅー (@tanikyu99) August 31, 2019
1981年6月26日に誕生した鳥谷敬さんは、お父さんの影響で幼い頃からサッカー好きだったそうです。
サッカーなどの球技を経て、小学2年生の時にクラブに入り野球を始めました。
中学生の時には一気に身長が伸びたことで成長痛になり、ひざを故障してしまって満足に走ることが出来なくなったり、ようやく掴んだレギュラーの座も背中の肉離れに悩まされたこともありました。
ここで野球を辞めようと思ったものの、お父さんからの「強制はしないけれど、できれば野球を続けてほしい」という言葉で高校でも野球を続け、大学卒業後にプロになりました。
鳥谷敬さんは『子どもの頃から野球が大好きだった』というタイプではなかったため、野球をしていた頃は毎朝「球場に行きたくないな」、「面倒くさいな」と思っていたと明かしています。
鳥谷敬の父親
鳥谷敬さんのお父さんは一般人です。
お父さんは野球ではなくサッカーの経験者でした。
ただプロで活動したことはないようです。
野球の知識はどのくらいあるのか不明ですが、お父さんは鳥谷敬さんが大学を卒業するまで毎週必ず練習を見に来て、何かと手伝ってくれていたそうです。
鳥谷敬の母親
鳥谷敬さんのお母さんも一般人です。
お母さんについてはエピソードが一切明かされていません。
鳥谷敬の兄弟や姉妹
鳥谷敬さんには、弟さんが2人います。
鳥谷家の次男は司さんと言い、ヤマハに勤務しているそうです。
2022年頃からは仕事の都合で中国で生活しています。
鳥谷家の三男は剣さんと言い、完全予約制のパーソナルジムを経営、ボディビルダーとしても活動しているという情報がありました。
司さんも剣さんも学生時代は野球をやっていましたが、プロの球団に入ることはありませんでした。
鳥谷敬の学歴
鳥谷敬さんが通っていた学校について調べてみました。
鳥谷敬の出身小学校
鳥谷敬さんは、東村山市立八坂小学校に入学しました。
その後、羽村市立小作台小学校に転校しています。
1年生から柔道を始めており、2年生からの小学生時代は月・水・金曜日は柔道、週末は野球という生活を送っていたそうです。
野球では東村山ジュニアメッツ(東村山市立八坂小学校時代)、小作台少年野球クラブ(羽村市立小作台小学校時代)に所属していました。
鳥谷敬の出身中学
小学校卒業後は、羽村市立羽村第一中学校に進学しました。
中学では野球部に所属、柔道も辞めて野球に専念していました。
シニアリーグに入った際に右打ちから左打ちに変えています。
鳥谷敬の出身高校
中学校卒業後は、聖望学園高等学校に進学しました。
偏差値は、52~62です。
高校でも野球部に所属、3年生の時には遊撃手兼投手としてチームを初の甲子園大会出場へ導きました。
鳥谷敬の出身大学
高校卒業後は、早稲田大学に進学しました。
鳥谷敬さんは人間科学部に在籍、偏差値は62.5~65です。
1入学直後の時点から正遊撃手に抜擢され、主に3番打者を任されていました。
2年生春にはリーグ史上最速タイで三冠王を獲得、さらに4年生春には当時のリーグ最多四死球(19)を記録、秋には2度目の首位打者を獲得しています。
また第32回日米大学野球の日本代表メンバーとして、アメリカへの遠征も経験しました。
まとめ
プロ野球選手には珍しく「野球よりもサッカー派」だったという鳥谷敬さんですが、お父さんの言葉に背中を押され、小学生の頃から2021年まで野球選手を続けました。
これからも鳥谷敬さんの活躍を応援していきたいと思います。