「スターにしきの」と呼ばれ歌手や俳優、タレントとマルチに活動している錦野旦さんですが、実家はどこにあるのでしょうか。
両親はどんな人で、兄弟は何人いるのでしょうか。
今回は、錦野旦さんの実家や家族について調べてみました。
錦野旦は韓国人だった?国籍は?
錦野旦さん圧倒的だった!
— けいたろ。 (@keitaro_303) June 15, 2024
軽妙な語り口、誇りと自虐のバランス、観客の巻き込み具合、どれも完璧の熟練の芸能を見せつけられたぜ、、、。
やついフェスならではすぎる。 pic.twitter.com/SmaTKiK7MU
錦野旦さんの育ちは日本です。
ただ生まれた時の国籍は韓国でした。
錦野旦さんは、もともと韓国系の家庭に生まれ、出生名は「金 明植(キム・ミョンシク)」です。
1948年に日本の大分県で生まれ育ちましたが、家族とともに1961年に日本へ帰化し、日本国籍を取得しました。
その後、錦野さんはアイドルとして芸能界で活躍を始め、人気絶頂期の1972年には、自らが韓国系日本人であることを公表しています。
帰化について錦野さんは、「生まれた国で生活し、その国に貢献するなら帰化は自然な選択」と考えていたようで、韓国の出自に誇りを持ちながらも、日本での活動を大切にしてきました。
アイドル歌手としてデビュー以降も、日本国内での公演や活動を通じ、幅広いファン層を獲得し続けています。
芸能界に入ってからの1971年に自身が帰化した韓国系日本人であることを週刊誌で公表しました。
錦野旦の生い立ち
【祝】今日、12月14日は 錦野 旦(にしきのあきら)さん、(75歳)の誕生日です!
— Takashi Kogachi (@Takashi_kogachi) December 14, 2023
『もう恋なのか』1970年のデビュー曲。https://t.co/T2wQKIlBCZ#にしきのあきら pic.twitter.com/4YB4kxyGKt
1948年12月14日に誕生した錦野旦さんは、わんぱくな子供でした。
運動神経が良くスポーツが得意で、学生時代にダンスは器械体操に励んでいました。
ただ世界大会での優勝や五輪出場を目指すことが難しかったため音楽に挑戦、お父さんに相談すると勤務していた大分県のキャバレーに楽団があったため高校卒業後はそこに参加することに決め、トランペット第三奏を吹いたり、コンボ編成のベースを奏いたり、歌ったりと音楽活動を始めました。
そんなある時鹿児島市天文館の『キャバレー・エンパイア』の創業者であった吉井勇吉さんが錦野旦さんの歌を聴いて「鹿児島のキャバレーでも歌ってほしい」とスカウト、鹿児島でデビュー当時の芸能事務所社長らと出会い、デビューが決まったそうです。
デビュー前は音楽家の浜口庫之助さんの都内の借家で居候しながら、レッスンを受けていました。
錦野旦の実家は自転車屋だった
錦野旦さんは、大分県大分市出身です。
実家は自転車屋を経営していたと言われていますが、現在も営業しているのかはわかりません。
錦野旦さんは長男ですがお店を継いでおらず、ネット上でも「家族が経営している」と言った情報が一切なかったため、すでに手放している可能性が高いようです。
家業の自転車屋は地元で親しまれており、錦野さんは高校卒業後に上京するまで地元で活動しながら、音楽に対する情熱を膨らませていきました。
その後、別府市のナイトクラブ「ナポリ」でトランペットを演奏する機会を得て、歌手としての道を歩み始めます。
こうした経緯もあって、家業のサポートではなく音楽を目指す決意を固めていったようです
錦野旦の父親
錦野旦さんのお父さんは一般人です。
職業は社交ダンス講師でした。
顔写真などは公開されていません。
錦野旦の母親
錦野旦さんのお母さんも一般人です。
お母さんは16歳で錦野旦さんを出産したそうですが、経歴や顔写真などは公開されていません。
錦野旦の兄弟や姉妹
錦野旦さんには、弟さんと妹さんがいます。
二人とも一般人で、弟さんは過去に「かつ亭にしきの」を経営していたという噂がありますが、現在は経営から身を引いているため何をしているのかはわかりません。
また弟さんか妹さんどちらかの子供は、歌手の高橋亜美さんです。
糸島の子育てシンガー高橋亜美(mon)さんのホームページ。動画を追加しました。http://t.co/LZ8xrhW1FV pic.twitter.com/yXUkOAuDLu
— mani (@Great_Gorilla) May 7, 2015
高橋亜美さんは叔父の錦野旦さんに憧れて歌手を目指していたそうで、現在は小中高等学校、ホールを中心に年間約150か所でコンサート活動を行っています。
まとめ
韓国籍であったことを公表している錦野旦さんですが、芸能活動に国籍は関係ありません。
錦野旦さんの才能が「スター」へと導いたのだと思います。
これからも錦野旦さんらしく輝き続けてほしいですね。