指揮者の原田慶太楼さんは、どんな家庭で育ち、家族は何をしている方なのでしょうか。
2017年に結婚したという奥さんはどんな人なのでしょうか。
今回は、原田慶太楼さんの実家の家族、奥さんなどについて調べてみました。
原田慶太楼の実家
原田慶太楼さんは、東京都品川区出身です。
実家の詳しい場所は公開されていません。
1歳からモンテッソーリ教育を取り入れたインターナショナルスクールの保育園に通っていたことから、裕福な家庭で育ったようです。
ご両親は音楽家ではありませんでしたが、原田さんの音楽への情熱を理解し、サポートしてきたことがうかがえます。
その結果、原田慶太楼さんは現在、世界的に活躍する指揮者としての地位を築いています。
原田慶太楼の生い立ち
— Keitaro Harada 原田慶太楼 (@khconductor) December 9, 2023
1985年2月26日に誕生した原田慶太楼さんは、元々クラシック音楽とは一切接点がない家系で育ちました。
原田慶太楼さん自身も小さい頃にバレエ『くるみ割り人形』を鑑賞した際にすやすやと眠っていたそうで、両親からも「この子に音楽は向いていないな」と思われていました。
しかし小学生の時に学校で『ウエストサイド物語』を観たことをきっかけにミュージカルスターに憧れるようになり、踊りも歌も上手くなかったものの「それでもミュージカルの仕事がしたい」とサックスをはじめ、オーボエ、クラリネット、ホルンにヴィオラなどを弾くようになったそうです。
高校2年生の時に「やっぱり本場で学んだ方が早いでしょ!」と米国インターロッケン芸術高校音楽科にダメ元でテープを送ると見事合格、すぐに渡米してミュージカルピットで演奏することを目指していました。
そんな時に吹奏楽を教えていたフレデリック・フェネルさんを見て指揮に興味を持ち始め、レッスンを受けるようになり、自身が憧れる指揮者はみんなサンクトペテルブルク音楽院だったことから「ここに行けば良い指揮者になれるんだな!」と高校卒業後は年に数回サンクトペテルブルクに行き、指揮法を学びました。
そこで勉強を進める中でモスクワの先生を紹介してもらったことがきっかけとなり、モスクワ交響楽団で指揮者デビューしました。
原田慶太楼の父親
原田慶太楼さんのお父さんは一般人です。
名前や職業などは公開されていません。
原田慶太楼の母親
原田慶太楼さんのお母さんも一般人です。
名前や顔写真、経歴などは公表されていません。
原田慶太楼さんが渡米することを決めた時も、「行ってらっしゃい」と送り出してくれたそうです。
原田慶太楼の兄弟や姉妹
原田慶太楼さんは一人っ子で、兄弟はいません。
インタビューで「一人っ子だったこともあり、自分で遊びをつくって、自分でなんでもやるようなタイプでした」と話していました。
原田慶太楼の嫁・倉島侑里はプロテニスプレイヤー
沢山のお誕生日メッセージありがとうございます!🥰いつもみなさま優しいお言葉に感謝です☺️ pic.twitter.com/G26teN9HmX
— ❤️Yuri Kurashima❤️倉島侑里 (@YuriKurashima) February 20, 2023
原田慶太楼さんの奥さんは、倉島侑里さんと言います。
倉島侑里さんは、6歳からテニスを始め、16歳以下関東ジュニアベスト8、全日本ジュニア出場、フロリダのテニスアカデミーでの2年半猛特訓を経て数々の試合で優勝し、ジュニア時代トロフィーを30個以上も獲得しました。
高校3年生の時にジジ・フェルナンデス(元WTAダブルスランキング1位)さんにスカウトされ、University of South Floridaのディビジョン1 テニスチームの一員として活躍、その後さらなるレベルアップのためTemple Universityへ転校し、3年間シングル、ダブルス共にNo.1プレイヤー、チームキャプテンとして活躍しました。
2007年に日本に帰国し、東京大学女子庭球部監督、立教女学院高等学校庭球部監督を経て、2009年冬にハーバード大学女子テニスチームのアシスタントコーチを務めました。
現在はプロとして活動しながら、服飾デザイナーも行っています。
嫁・倉島侑里は西田武生の孫
早くじーじに会いたいな😊このレディニシダのスーツお気に入り❤️キャサリン妃👑#倉島侑里#西田武生 pic.twitter.com/1t2pbNGnOH
— ❤️Yuri Kurashima❤️倉島侑里 (@YuriKurashima) March 25, 2021
倉島侑里さんの祖父は、ファッションデザイナーの西田武生さんです。
西田武生さんは、1962年に西田武生デザインルームを創設し、ブランド「TAKEO NISHIDA(タケオ ニシダ)」を立ち上げました。
1963年より全国の専門店や百貨店に「西田武生プレタポルテ」コーナーを設置するとその後ブテック武生を設立、1985年にはエジンバラ城ロイヤル・コレクションに参加しています。
2012年に新ブランド「Lady Nishida(レディ ニシダ)」を立ち上げ、2022年7月6日に老衰のため100歳で亡くなりました。
原田慶太楼と嫁の馴れ初め
原田慶太楼さんと倉島侑里さんの出会いのきっかけは、二人のお母さんでした。
お互いのお母さんが共通の知人を介して東京のレストランで初めて出会い、そこで子供たちの情報を交換したそうです。
当時原田慶太楼さんがアメリカ、倉島侑里さんが日本という生活だったため最初はInstagramで連絡を取り合い、交流を深めました。
その後倉島侑里さんが原田慶太楼さんのいるアメリカに行き初対面、原田慶太楼さんは出会ってすぐに倉島侑里さんとの結婚を意識し、2017年に入籍しました。
原田慶太楼の子供
しろちゃんとペアルックで勉強してる慶太楼。#ポメラニアン@KHconductor pic.twitter.com/OJ0mONNVii
— ❤️Yuri Kurashima❤️倉島侑里 (@YuriKurashima) December 12, 2020
原田慶太楼さんと倉島侑里さんの子供は公表されていません。
二人のSNSには愛犬との写真が多く投稿されており、子供はいないようです。
原田慶太楼の自宅
原田慶太楼さんの自宅の場所は公開されていません。
アメリカと日本を行き来する生活を送っており、日本にいるときは長野県軽井沢町にある別荘で過ごすことが多いそうです。
軽井沢は自然豊かな環境で知られ、多くの著名人が別荘を構える場所としても有名です。
原田慶太楼さんもこの地でリラックスし、音楽活動の合間に英気を養っているのかもしれませんね。
まとめ
音楽一家ではなかったという原田慶太楼さんは、『ウエストサイド物語』をきっかけにその後の道が大きく変わっていきました。
これからも倉島侑里さんら家族と支え合いながら仕事もプライベートも充実した日々を過ごしてほしいですね。