堂珍嘉邦さんは、男性デュオ「CHEMISTRY」のメンバーとして活動を始め、ソロ歌手や俳優と活動の幅を広げています。
そんな堂珍嘉邦さんはどこの学校に通っていたのでしょうか。
今回は、堂珍嘉邦さんの経歴や出身学校などについて調べてみました。
堂珍嘉邦の学歴
堂珍嘉邦さんが通っていた学校について調べてみました。
堂珍嘉邦の出身小学校
堂珍嘉邦さんは、安芸高田市立刈田小学校出身です。
こちらの学校は2018年に統合のため閉校しました。
堂珍嘉邦の出身中学
小学校卒業後は、広島新庄中学校に進学しました。
偏差値は、53です。
地元の公立学校はちょっと荒れていたため、離れたいという気持ちから受験をしたそうです。
堂珍嘉邦の出身高校
中学校卒業後は、広島新庄高等学校に進学しました。
偏差値は、56です。
漫画の影響からバスケットボールに熱中だった堂珍嘉邦さんは、音楽にも力を入れていました。
16歳の頃にはアメリカにホームステイに行き、そこで人前で歌ったことを褒められ、帰国後は友達のバンドに「コーラスでもいいから」と途中参加したそうです。
堂珍嘉邦の出身大学
高校卒業後は、進学していません。
歌手になるためのオーディションを受けながら、生活費を稼ぐために広島市民球場やテレビ局のADのアルバイトをしていました。
CHEMISTRYや川畑要との関係は?
J-WAVE「GROOVE LINE」のナビゲーター ピストン西沢さんの夏休み期間中
— CHEMISTRY (@CHEMISTRY_2011) July 22, 2019
ゲストナビゲーターとして川畑要の出演が決定!ゲストとして堂珍嘉邦も登場!
✔詳細https://t.co/n5XLLPlrgk pic.twitter.com/Wno3wY9NPW
堂珍嘉邦さんは、オーディション番組『ASAYAN』の企画「男子ボーカリストオーディション」に参加し、ここで川畑要さんと共に合格しデュオを組むことになりました。
元々はソロでオーディションを受けていたものの、堂珍嘉邦さんは「これはチャンスだから」とデュオ結成を辞退しなかったそうです。
デビューからベタベタした関係ではなく、2012年に「CHEMISTRY」が活動休止になったことから「不仲ではないか?」という噂も浮上しました。
しかし再結成後に二人は不仲説を否定、これまでに喧嘩をしたことは一度もないそうです。
「CHEMISTRY」の活動休止もお互いに「ソロでやりたい」という思いがあったからで、決して相手に対しての不満がたまって爆発したわけではありません。
川畑要さんから「CHEMISTRY」の活動再開を提案された時は1週間悩んだことを明かしている堂珍嘉邦さんですが、今も川畑要さんとの関係は良好です。
堂珍嘉邦のプロフィールや経歴
🌟堂珍嘉邦4/29📷
— Otomeshi Festival 2024 (@otomeshi_fes) April 29, 2024
ステージを終えたばかりの堂珍嘉邦👏
落ち着いた歌声と抜群の音程感でずっと聴いていたくなるステージでした🔥https://t.co/T6WblnXwNT#音飯フェス #OtomeshiFestival2024#フェス #食フェス pic.twitter.com/mdk9n1xx7R
名前:堂珍嘉邦
生年月日:1978年11月17日
出身地:広島県
血液型:O型
身長:174cm
高校卒業後からオーディションを受けるようになった堂珍嘉邦さんは、1997年に開催された『THE JAPAN AUDITION』で50人まで勝ち残ったものの最終審査出場は出来ませんでした。
その後受けたのが『ASAYAN』の企画「男子ボーカリストオーディション」で、見事合格すると「CHEMISTRY」として2001年3月7日にシングル『PIECES OF A DREAM』でデビューしました。
同年11月に初のオリジナルアルバム『The Way We Are』を発売するとトリプルミリオンを記録、このアルバムのセールスで、オリコンに於ける男性アーティストのデビューアルバムとしての歴代1位記録を樹立しています。
2012年にはソロデビューシングル『Shout/hummingbird』をリリースし本格的にソロ活動をスタート、俳優としても映画『真夏のオリオン』や『劇場版 仮面ライダーエグゼイド トゥルー・エンディング』などに出演しました。
堂珍嘉邦の所属事務所
堂珍嘉邦さんは、「株式会社キノミュージック」に所属しています。
こちらは個人事務所ではないものの、現在は堂珍嘉邦さんのみが在籍しています。
堂珍嘉邦の年収
堂珍嘉邦さんの年収は公表されていません。
「CHEMISTRY」としてだけではなくソロとしても活躍しているため、数千万円ほどになるのではないかと思われます。
まとめ
オーディションで出会った川畑要さんと「CHEMISTRY」としてブレイクした堂珍嘉邦さんは、ソロでも楽曲のリリース、ライブ開催など積極的に活動しています。
これからも堂珍嘉邦さんの歌声を多くの人に届けてほしいですね。