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倉本聰の出身高校や大学は?二宮和也との関係や代表作・自宅は富良野?杉並区?

kuramotosou_career 作家

多数のテレビドラマや映画を作り話題を集めてきた脚本家の倉本聰さんは、どこの学校に通っていたのでしょうか。

これまでにどんな作品を世に送り出したのでしょうか。

今回は、倉本聰さんの経歴や出身学校、代表作などについて調べてみました。

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倉本聰の学歴

倉本聰さんが通っていた学校について調べてみました。

倉本聰の出身小学校

倉本聰さんは、豊島師範附属小学校(現・東京学芸大学附属小金井小学校)出身です。

小学生の頃のエピソードは明かされていません。

倉本聰の出身中学

小学校卒業後は、麻布中学校に進学しました。

現在の偏差値は、68です。

中学生の頃から演劇にハマっていたそうです。

倉本聰の出身高校

中学校卒業後は、麻布高等学校に進学しました。

中高一貫校のため、偏差値は推定75です。

西武鉄道グループの元オーナーの堤義明さんは、中学・高校時代の同級生だったそうです。

倉本聰の出身大学

高校卒業後は、2浪を経て東京大学に進学しました。

倉本聰さんは文学部美学科に在籍、現在の文学部の偏差値は67.5です。

在学中に俳優座のスタジオ劇団「仲間」の文芸部に所属して戯曲を書き始めました。

倉本聰と二宮和也の関係

二宮和也さんは、倉本聰さん脚本の『優しい時間』、『拝啓、父上様』に出演しています。

倉本聰さんは二宮和也さんのアイドルとしての活躍っぷりを知らず、『優しい時間』を手掛けた時にフジテレビの方が連れてきて初めて会ったそうです。

当時はまだ俳優業が高く評価されていなかった二宮和也さんでしたが、倉本聰さんは「いい役者だ」と評価しました。

そんな二宮和也さんは倉本聰さんのことを“聰ちゃん”と呼ぶほど打ち解けており、倉本聰さんは「それもあの子の才能」と話していました。

倉本聰の代表作

倉本聰さんの代表作は、『北の国から』です。

この作品は連続ドラマとして「金曜劇場」枠で1981年10月9日から1982年3月26日まで放送された後、ドラマスペシャルとしてシリーズ化され、8編のドラマスペシャルが1983年から2002年まで放送されました。

北海道富良野市(主に麓郷地区)を舞台に北海道の雄大な自然の中で田中演じる主人公・黒板五郎と2人の子どもの成長を21年間にわたって描き、主演は田中邦衛さん、子供たちは吉岡秀隆さんと中嶋朋子さんが務めました。

倉本聰のプロフィールや経歴

名前:倉本聰
生年月日:1934年12月31日(戸籍上では1935年1月1日)
出身地:東京都
血液型:O型
身長:非公開

大学2年生の時にデビュー作『鹿火』を執筆した倉本聰さんは、大学4年の時に新日本放送(現・毎日放送)から依頼されたラジオドラマの脚本を執筆、1959年にニッポン放送に入社しました。

本当はフジテレビが第一志望だったものの、この年はフジテレビ・ニッポン放送・文化放送の3局が合同で新卒採用を行っており、気がついたらニッポン放送に回されていたそうです。

局では本名でディレクター・プロデューサーとして勤務する傍ら「倉本聰」のペンネームで脚本家としての活動を行い、脚本家としては『パパ起きて頂だい』がデビュー作になりました。

1963年にニッポン放送を退社すると、1984年に富良野市布礼別にて「富良野塾」を私財を投じて開設、26年にわたって主宰しました。

2005年には北海道功労賞、2010には春の叙勲 旭日小綬章を受章しています。

倉本聰の所属事務所

倉本聰さんは、芸能事務所には所属していません。

ニッポン放送を退社してからは個人で活動しています。

倉本聰の年収

倉本聰さんの年収は公表されていません。

これまでにひいっとした作品の数が多いこと、現在も現役であることから数千万円以上になると思われます。

倉本聰の自宅は富良野?杉並区

倉本聰さんは、東京都渋谷区で生まれ、4歳の時に杉並区に引っ越しました。

そして1977年より富良野市に移住しており、現在も市内で生活しています。

まとめ

倉本聰さんの作品は、老若男女問わず支持されているだけではなく、何年経っても観続けたいと思うものばかりです。

これからも倉本聰さんのペースで作品を作っていってほしいですね。

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