元陸上競技選手で現在は指導者の藤田敦史さんは、どんな人なのでしょうか。
どこの学校に通っていたのか、家族はどんな人なのか、結婚はしているのか、気になりますね。
そこで今回は、藤田敦史さんの経歴や出身学校、家族について調べてみました。
藤田敦史の年収がすごい?
藤田敦史さんの年収は公表されていません。
大学卒業後は富士通に入社し、2015年に駒澤大学に出向しました。
そして2023年に駒澤大学陸上競技部の監督に就任しています。
藤田敦史さんは教師ではないものの、監督として1000万円ほどの年収があるのではないかと言われています。
藤田敦史(駒澤大学陸上部監督)のプロフィールや経歴
藤田敦史監督ヾ(*>∀<)ノ゙
— mayunoshuke (@mayunoshuke) October 4, 2023
(出雲駅伝🎽そうか監督デビュー戦✨)
(駒ず💜勝たせますのでご安心ください😍) pic.twitter.com/T2ked2s3cu
名前:藤田敦史
生年月日:1976年11月6日
出身地:福島県
血液型:B型
身長:166cm
1999年3月にびわ湖毎日マラソンで初マラソンを経験、日本学生記録を20年ぶりに更新した藤田敦史さんは、大学卒業後に富士通に入社し、1999年8月の世界陸上セビリア大会男子マラソンでは6位入賞を果たしました。
2000年3月のびわ湖毎日マラソンにはシドニー五輪代表選出へ再挑戦する予定だったものの故障により欠場、再起をかけた2000年12月の福岡国際マラソンでは3度目のマラソンで念願の初優勝しています。
この時の2時間06分51秒は当時の日本男子最高記録、並びに当時の福岡国際マラソン大会新記録でした。
2013年4月21日の長野オリンピック記念長野マラソンでラストランを表明したもののマラソン本番で左脹脛に痙攣を起こした為30Km過ぎで涙の途中棄権、現役引退後は富士通陸上競技部の長距離コーチに就任しました。
2015年4月からは富士通から駒澤大学に出向し駒澤大学陸上競技部コーチに就任、2023年に大八木弘明さんが監督を退任し藤田敦史さんが監督に選ばれました。
藤田敦史と言えば箱根駅伝
藤田敦史さんは現在駒沢大学の監督として箱根駅伝に関わっていますが、自身が大学生の時も出場していました。
第72回〜第75回までに4年連続箱根駅伝出場を果たし、当時順天堂大学のエースと言われていた三代直樹さん、東海大学の諏訪利成さんらと名勝負を演じました。
4年生の時は4区を走り1時間00分56秒を記録、小林雅幸さんの持つ区間記録を39秒更新しています。
藤田敦史の嫁はどんな人?
藤田敦史さんは、2018年に結婚しました。
奥さんは一般人で、名前や経歴などは一切公開されていません。
現時点ではある方のブログで後ろ姿が公開されたのみで、顔がはっきりわかる姿もありませんでした。
藤田敦史の子供は?
藤田敦史さんの子供の有無は公表されていません。
情報が一切なかったことから、子供はいないのではないかと言われています。
藤田敦史の学歴
藤田敦史さんが通っていた学校について調べてみました。
藤田敦史の出身小学校
藤田敦史さんは、東村立小野田小学校(現・白河市立小野田小学校)出身です。
小学生の頃はスポーツ全般が苦手だったそうです。
藤田敦史の出身中学
小学校卒業後は、東村立東中学校(現・白河市立東中学校)に進学しました。
中学ではテニス部に所属していました。
スポーツが苦手だったにもかかわらず運動部に入ったのは、「部活をやってた方が高校受験の内申点で有利だから」「一つ上のいとこのお姉さんがテニス部に入ってたから」という理由からだったそうです。
藤田敦史の出身高校
中学校卒業後は、福島県立清陵情報高等学校に進学しました。
偏差値は、52です。
2年生の時に市町村対抗の「ふくしま駅伝」で1区を走り、インターハイに出ている3年生を抑えて区間賞を受賞、このことがきっかけで注目を集めるようになりました。
藤田敦史の出身大学
高校卒業後は、駒澤大学に進学しました。
藤田敦史さんは経営学部に在籍、偏差値は50〜52.5です。
藤田敦史の実家
藤田敦史さんは、福島県西白河郡東村(現・白河市)出身です。
実家の詳しい場所は公開されていません。
藤田敦史の生い立ち
1976年11月6日に誕生した藤田敦史さんは、スポーツが苦手だったことから小学校の卒業文集に書く将来の夢は「サラリーマン」でした。
当時は「いい高校、いい大学、いい会社に入る」ということしか考えておらず、現実を見る子だったそうです。
しかし中学2年生の時に学校内のマラソン大会で「すごく嫌だけど、自分なりに頑張ってみよう」と走ってみると上位に入り、それを見ていた体育の先生が「お前は短距離は遅いけど、長距離はもしかしたら向いてるんじゃないか?」と言いました。
この言葉が心の中に残っていた藤田敦史さんは、郡市対抗駅伝に体育の先生や幼なじみに誘われしぶしぶ走ってみるとだんだん面白くなり、「こういう世界もあるんだな」と感じるようになったそうです。
そして3年生の時に初めてメンバーに選出され駅伝に参加、区間賞を取ったことで「高校で陸上をやろう」と、走るようになりました。
藤田敦史の父親
藤田敦史さんのお父さんは一般人です。
名前や職業、顔写真などは公開されていません。
藤田敦史の母親
藤田敦史さんのお母さんも一般人です。
時期は不明ですが、お母さんは病気を患いすでに亡くなっています。
藤田敦史の兄弟や姉妹
藤田敦史さんには、妹さんが2人います。
10歳下の妹さんは藤田明日佳さんといい、「ASUKA」名義で歌手活動をしています。
2011年にはロンドンオリンピックを目指す藤田敦史さんへの応援ソング「一歩ずつ」をリリースしました。
もう一人の妹さんについては情報がなかったため一般人のようです。
まとめ
子供の頃はスポーツが苦手だったという藤田敦史さんですが、中学生の時に参加したマラソンや駅伝がその後の人生が大きく変わりました。
これからも指導者として素敵な選手を育てていけるよう、頑張ってほしいと思います。