独特のヘアスタイルでテレビドラマや映画などに多数出演している酒井敏也さんは、どんな人なのでしょうか。
若い頃はどんな姿だったのでしょうか。
今回は、酒井敏也さんの経歴や出身学校、家族について調べてみました。
酒井敏也の学歴
酒井敏也さんが通っていた学校について調べてみました。
酒井敏也の出身小学校
酒井敏也さんは、土岐市立駄知小学校出身です。
子供の頃は内気なタイプだったそうです。
酒井敏也の出身中学
小学校卒業後は、土岐市立駄知中学校に進学しました。
中学時代はバレーボール部に所属していたそうです。
酒井敏也の出身高校
中学校卒業後は、岐阜県立多治見工業高等学校に進学しました。
酒井敏也さんは窯業科(現・セラミック工学科)に在籍、現在の偏差値は42~46です。
初めは卓球部に在籍していましたが、2年生の時に演劇部に入りました。
酒井敏也の出身大学
高校卒業後は進学していません。
地元の自動車販売会社に整備士として就職、2年間働いていました。
酒井敏也の若い頃
酒井敏也さんの若い頃の姿はこちらです。
若かりし頃のこのお方
— のりしお (@bluetopaz_nrk) June 29, 2019
フサフサ🌫️🌫️#酒井敏也 @retoro_mode pic.twitter.com/JzV3aW0KBx
ドラマ『まんが道』を観てて、なんかどこかで聴いたような声の人がいるなあと思ったら、酒井敏也さんだった。髪がふっさふさ!(笑) あのモヒカン風の髪型しか見たことないし、どこか赤ちゃんぽさもあるので、産まれた時からあの髪型じゃなかったのか! と思ってしまった(笑) pic.twitter.com/1SI440E3td
— オブ犬 (@obuken2nd) August 13, 2022
若い頃の酒井敏也さんは、「つかこうへいの秘蔵っ子」と言われていました。
小柄な体躯・愛らしいベビーフェイス・甲高い声と強い個性で根強いファン層を獲得していたそうです。
また俳優活動を始めたばかりの頃はつかこうへいさんの付き人をしながら稽古や舞台にアルバイトと、眠れないほど多忙な日々を過ごしていました。
酒井敏也の代表作
酒井敏也さんは、これまでに舞台、ドラマ、映画と多数の作品に出演しています。
ドラマでは銀河テレビ小説『つかこうへいのかけおち‘83』、短編ドラマ『姉』、BSドラマアベニュー『ギャートルズ~旅立ち』などで話題を集めました。
脇役の出演が多く、主演作はありません。
酒井敏也のプロフィールや経歴
おはようございます!
— しがない三四郎 (@shinya_bokudake) May 29, 2023
本日5月30日は、
俳優/酒井敏也さんの誕生日です!
おめでとうございます!!
\(^o^)/\(^o^)/\(^o^)/ pic.twitter.com/e4uqikn2uP
名前:酒井敏也
生年月日:1959年5月30日
出身地:岐阜県
血液型:O型
身長:165cm
21歳の時に劇団「つかこうへい事務所」に入団した酒井敏也さんは、ドラマ『弟よ!』でデビューしました。
その後はジャンルを問わず多数の作品で活躍し、近年は『踊る!さんま御殿!!』や『ぶらり途中下車の旅』などのバラエティー番組にも出演しています。
2001年にはドラマ『成田離婚』、『できちゃった結婚』で共演した阿部寛さん、近藤芳正さんらと劇団「ダンダンブエノ」を結成しました。
酒井敏也の所属事務所
酒井敏也さんは、阪口京子事務所に所属しています。
こちらの事務所には、内藤剛志さんやあめくみちこさん、西堀文さんも在籍しています。
酒井敏也の年収
酒井敏也さんの年収は公表されていません。
デビューからこれまで毎年絶えず作品に出演していること、芸歴が長いことなどから年収は数千万円ほどになるのではないかと思われます。
酒井敏也の生い立ち
1959年5月30日に誕生した酒井敏也さんは、高校生の時に演劇部に入りました。
当時所属していた卓球部がボロボロで壁の隙間から隣の演劇部の様子をのぞき見することが出来、工業高には数少ない女の子たちがいつもトランプをしており、あの楽しそうな空間に加わりたいといつも思っていたところに演劇部の知人から声を掛けられてすぐに入部したそうです。
ちょうど酒井敏也さんは実家が廃業し人生の目標を見失っていた頃だったものの、元々演劇に興味があったわけではなく、毎日トランプを楽しんでいました。
しかし3年生の時に学校創立80周年ということで演劇部は文化祭で劇を披露することになり、演劇のイロハも知らない部員らを卒業生が指導してくれ、演技を体験しました。
このことが酒井敏也さんの演劇人生の原点となり、さらに在学中につかこうへいさんの作品を見たことで卒業後もつかこうへいさんの作品を観に行くようになったそうです。
そして20歳の冬のある日思い切って同劇団の事務所に入団したい旨を電話、すると翌春に入団オーディションをするかもしれないと言われ「働いている場合じゃない!」と仕事を辞めてアルバイト生活に移行、いつでも自由に動けるように環境を整えました。
オーディションでは書類審査と募集している配役のセリフを吹き込んだデモテープを提出、酒井敏也さんの特徴ある声がつかこうへいさんの関心を引き、「すぐに電話が欲しい」との手紙が自宅に届いたため電話を掛けると直接つかこうへいさんから『あしたから来れるか?』と聞かれ、酒井敏也さんはすぐに上京しました。
酒井敏也の実家
酒井敏也さんは、岐阜県土岐市出身です。
実家は窯業を営んでいました。
主にどんぶりを生産していたそうです。
酒井敏也さんは長男のため跡を継ぐことを考えていたものの、高校2年生の時に廃業しました。
酒井敏也の父親
酒井敏也さんのお父さんは一般人です。
名前や顔写真は公開されていません。
実家が廃業してからの職業についてはわかりませんでした。
酒井敏也の母親
酒井敏也さんのお母さんも一般人です。
お父さんと同じく名前や顔写真などは公開されていません。
酒井敏也の兄弟や姉妹
酒井敏也さんには、お姉さんがいます。
お姉さんは酒井敏也さんの2歳年上で、久美子さんと言います。
両親が共働きだったため、お姉さんが幼い酒井敏也さんの面倒を見ていました。
酒井敏也さんが俳優になってからは酒井敏也さんの舞台を欠かさず見に来てくれているそうです。
まとめ
一般家庭で育った酒井敏也さんは、実家が廃業し、つかこうへいさんの作品に出会ったことで俳優の道に進みました。
これからも名バイプレーヤーの1人として、活躍し続けてほしいですね。