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風間トオルの貧乏エピソード|草やカマキリを食べ洗濯機で体を洗った日々

風間トオルの貧乏エピソード|草やカマキリを食べ洗濯機で体を洗った日々 俳優

俳優の風間トオルさんは、幼い頃にとても貧しい暮らしをしていたことを繰り返し語っています。

多摩川の河川敷で草を食べ、風呂のないアパートでは洗濯機に入って体を洗っていたそうです。

いったいどんな生活を送っていたのでしょうか。

今回は、風間トオルさんの貧乏エピソードと、著書『ビンボー魂』で語られた人生観について調べてみました。

2026年に新たに明かされたエピソードも紹介しています。

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風間トオルはなぜ貧乏だったのか

風間トオルさんといえば、1980年代後半から90年代にかけて活躍したトレンディ俳優のイメージを持つ方も多いのではないでしょうか。

整った顔立ちと長身のスタイルから、裕福な家庭で育ったと思われることも少なくありませんでした。

ところが実際の幼少期は、想像とはまったく違うものだったのです。

風間トオルさんは、テレビ番組や著書で自身の貧乏エピソードを繰り返し語ってきました。

祖父母の年金だけが頼りだった家計

風間トオルさんは1962年8月19日に生まれ、神奈川県川崎市で育ちました。

5歳のときにご両親が離婚し、その後はお父さん方のおじいさんとおばあさんに育てられています。

つまり、家庭に働き手となる大人がいない状態になりました。

おじいさんとおばあさんはすでに年金で生活する年齢に入っており、家計を支える収入は年金だけだったのです。

モモ
モモ

どうしてそんなに貧しく?

ナギ
ナギ

事情は家族にありました

さらにおじいさんは糖尿病を患っており、後には認知症も始まります。

医療費がかかる一方で収入は増えません。

そこに成長期の子どもが1人加わることになりました。

食べ盛りの子どもを年金だけで育てるのは、現実的に厳しい状況だったといえます。

風間トオルさんの家族関係については、こちらの記事で詳しくまとめています。

風間トオルの母親と父親は今?5歳で離婚し祖父母に育てられた生い立ち

長屋から六畳一間のアパートへ

住まいの環境も、当時としてかなり厳しいものでした。

風間トオルさんが最初に暮らしていたのは長屋で、トイレは隣の家との共用だったそうです。

自分の家の中にトイレがないという生活を、風間トオルさんは子どもの頃から当たり前のものとして過ごしていました。

その後、住まいは六畳一間のアパートへ移ります。

大人2人と子ども1人で、六畳一間です。

部屋を仕切ることもできませんから、生活のすべてがその一室で完結していたことになります。

そしてこのアパートには、お風呂がありませんでした。

風間トオルさんが洗濯機を風呂代わりにしていたという有名なエピソードは、この住環境から生まれたものです。

こうした暮らしの中で、風間トオルさんは食べること、体を洗うこと、寒さをしのぐことのすべてに自分なりの工夫を重ねていきました。

その工夫の数々が、後にテレビで語られるたびに視聴者を驚かせることになります。

ただ、風間トオルさん本人がこの時期を語るときの口調は、いつも明るいものです。

同情を求める語り口ではなく、笑い話として差し出すような話し方をします。

そこには、貧しさを不幸とは考えていない風間トオルさんなりの人生観がありました。

風間トオルの貧乏エピソード|食べるもの編

風間トオルさんの貧乏エピソードの中でも、最も驚かされるのが食事に関する話です。

年金だけの家計では、毎日十分な食事を用意することができませんでした。

そこで幼い風間トオルさんが取った行動は、身の回りにあるものを片っ端から口に入れてみることでした。

その対象は、草花から昆虫、さらには石にまで及びます。

多摩川の河川敷で草を食べていた

風間トオルさんが暮らしていた川崎市の家の近くには、多摩川が流れていました。

お腹が空いたとき、風間トオルさんはこの河川敷に出かけて草を食べていたのです。

本人は2024年の番組でも、このときの様子を具体的に語っています。

「近くに多摩川があったんで、片っ端に口に入れて、しびれそうなヤツと苦いのは、ペッと吐いて、それ以外にいけるのは食べてましたね」という説明です。

つまり、食べられる草を最初から知っていたわけではありませんでした。

実際に口に入れて、味と体の反応で選別していたことになります。

モモ
モモ

全部試したの…?

ナギ
ナギ

体で覚えたそうです

家の前の公園でも草を物色していたという話もあり、行動範囲の草はひと通り試したようです。

一番おいしかったのはアサガオの花びら

数々の草花を試した風間トオルさんには、お気に入りもありました。

本人が「絶品」と表現したのが、アサガオの紫色の花びらです。

「絶品はですね、アサガオのムラサキかなぁ」と語っており、甘みを感じたのだそうです。

一方で、よく知られたタンポポについては評価が分かれました。

「タンポポはちょっと固いんですよね、葉っぱが」と話しています。

食用としてイメージされやすいタンポポよりも、アサガオの花びらの方が食べやすかったということになります。

こうした細かい比較ができるのは、実際に何度も食べていたからにほかなりません。

家に入ってきたカマキリをかじった

草だけでなく、昆虫を口にしたこともありました。

ある日、家の中にカマキリが入ってきたときのことです。

風間トオルさんはその緑色を見て、食べ物として認識してしまいました。

「あまりにきれいなグリーンで美味しそうだな」と思ったのだそうです。

そして実際に足の部分をかじってみました。

結果は苦かったとのことで、期待したような味ではありませんでした。

モモ
モモ

カマキリを!?

ナギ
ナギ

味は苦かったそうです

このエピソードは番組で紹介されるたびに反響を呼んでおり、風間トオルさんの貧乏エピソードの代表格になっています。

歯ごたえがあってお腹にたまったという話もあり、空腹を満たす手段の一つだったようです。

河原の石をなめると焼き芋の味がした

食べるものがないときの工夫は、さらに意外な方向にも向かいました。

夏場、多摩川の河原にある石は、日光で熱せられて温かくなっています。

風間トオルさんはその石をなめていたのだそうです。

そして、その味を「焼き芋の味がした」と表現しています。

実際に焼き芋の成分があるわけではありませんから、温かさと土の香りがそう感じさせたのでしょう。

食べ物にたどり着けないとき、せめて食べ物を連想させるものを探していたことがうかがえます。

国語の教科書が一番甘かった

このエピソードは、2026年2月の情報番組で新たに語られたものです。

風間トオルさんは学校で空腹を感じたとき、教科書の端をガム代わりにかんでいたと明かしました。

しかも教科によって味が違ったのだそうです。

「一番甘いのは国語の教科書」と話し、続けて「算数はちょっと苦くて。で、国語が一番甘かったんですよ」と説明しています。

紙やインクの違いによるものと思われますが、教科ごとの味を比べられるほど日常的にかんでいたということになります。

デビューから40年近くが経った今も新しいエピソードが出てくるあたりに、風間トオルさんの幼少期の壮絶さが表れています。

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風間トオルの貧乏エピソード|お風呂は洗濯機

風間トオルさんの貧乏エピソードの中で、最も広く知られているのが洗濯機の話です。

暮らしていた六畳一間のアパートには、お風呂がありませんでした。

銭湯に通うお金もない状況で、風間トオルさんが行き着いた方法が洗濯機だったのです。

この発想は、番組で紹介されるたびに大きな反響を呼んでいます。

水を張った洗濯機に入って体を洗う

風間トオルさんは、洗濯機に水を張って自分が中に入り、スイッチを入れていました。

洗濯機が回転する力で、体を洗っていたことになります。

しかも手には石けんを持っていたそうです。

つまり、洗濯機の回転が体をこする役割を果たし、石けんが泡立つという仕組みでした。

モモ
モモ

洗濯機に入るの!?

ナギ
ナギ

合理的ではあります

子どもの体だからこそ入ることができた方法です。

現在の洗濯機では構造上まねができませんし、危険もともないます。

当時の二槽式洗濯機だったからこそ成り立った工夫だったといえます。

洗濯機を使えないときには、別の方法も取っていました。

外に出て日光浴をすることで、殺菌効果を得ようとしていたのだそうです。

体を清潔に保つ手段を、風間トオルさんは自分の頭で考え出していました。

冬はTシャツを着たまま入った

さらに驚かされるのが、冬場の入り方です。

風間トオルさんは寒い季節、Tシャツを着たまま洗濯機に入っていました。

その理由を「冬はTシャツを着て入った。意外と温かい」と説明しています。

服を着ていた方が水の冷たさが和らぐという感覚だったようです。

そしてもう一つ、大きな利点がありました。

「体もTシャツもきれいになる!」という言葉です。

自分を洗うと同時に、着ている服の洗濯も済ませていたことになります。

ナギ
ナギ

一石二鳥だったそうです

モモ
モモ

発想がすごい…

洗濯物を別に洗う手間も、洗剤の量も節約できます。

限られた条件の中で最大限の効率を追求した結果が、この方法でした。

初めて銭湯に行ったときの感想

そんな風間トオルさんが、生まれて初めて一般的な銭湯に行ったときのことです。

広い浴槽を目にした風間トオルさんは、それを風呂だと認識できませんでした。

「プールみたいと思った」と当時の感想を語っています。

洗濯機の中で体を丸めて洗っていた子どもにとって、大人が何人も入れる湯船は別世界だったのでしょう。

この一言に、風間トオルさんが育った環境の特殊さが凝縮されています。

なお風間トオルさんは現在、趣味の一つに温泉を挙げています。

2026年6月に公開された主演映画『おかえりの湯』でも、温泉旅館の支配人役を演じました。

子どもの頃に洗濯機で体を洗っていた人が、温泉を舞台にした映画の主演を務めているのです。

この対比を知ると、作品の見え方も少し変わってくるかもしれません。

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風間トオルの貧乏エピソード|給食とチョコレート

草や虫を口にしていた風間トオルさんにとって、小学校への入学は生活が変わる出来事でした。

給食という、確実に食べられる食事が手に入るようになったからです。

そしてもう一つ、思いがけない食料源がありました。

バレンタインデーにもらうチョコレートです。

栄養のほとんどは給食から

小学生になった風間トオルさんは、栄養のほとんどを給食に頼っていました。

家では十分な食事が用意できませんから、1日のうちで確実に食べられるのは給食だけという状態です。

その中でも風間トオルさんが重視していたのが牛乳でした。

カルシウムを摂取するために、自分の分をしっかり飲んでいます。

さらに、牛乳を飲まない同級生の分や、余った分ももらっていたのだそうです。

モモ
モモ

牛乳をおかわり…

ナギ
ナギ

体をつくるためですね

給食のない日や長期休みの間は、また草を探す生活に戻ることになります。

学校が始まることを心待ちにしていた子どもだったのでしょう。

バレンタインのチョコを365等分にした

風間トオルさんは幼少期から整った顔立ちで知られていました。

そのため、バレンタインデーにはたくさんのチョコレートをもらっていたそうです。

その数は20個から40個ほどにのぼったといわれています。

普通の子どもであれば、うれしくてすぐに食べてしまうところです。

ところが風間トオルさんは違いました。

もらったチョコレートを365等分にして、1日1個ずつ食べていたのです。

モモ
モモ

365等分って…

ナギ
ナギ

1年分の計算です

つまり、次のバレンタインデーまで持たせる計算でした。

2月にもらったチョコレートが、1年間の楽しみになっていたことになります。

甘いものが貴重だった風間トオルさんにとって、チョコレートは特別な存在だったのでしょう。

食べ物を計画的に配分する感覚も、この頃に身についたものと思われます。

デビュー後に初めて食べた肉の味

芸能界に入った風間トオルさんは、それまで経験したことのない食事に出会います。

その一つがポークステーキでした。

肉を食べ慣れていなかった風間トオルさんは、初めて口にしたときに「これが肉なんだ!」と感動したそうです。

ところが、そこで思わぬ事態が起こります。

あごが疲れてしまい、最後まで食べ切ることができなかったのです。

草や柔らかいものを中心に食べてきた体は、肉をかみ続ける力を持っていませんでした。

ナギ
ナギ

体が慣れていなかったのです

モモ
モモ

そこまでとは…

このエピソードは、風間トオルさんの幼少期がいかに特殊だったかを物語っています。

一般的な家庭であれば当たり前の食事が、風間トオルさんには未知の体験でした。

現在の風間トオルさんは、趣味に料理を挙げるほど食に関心を持っています。

食べられなかった時代を経て、自分で作る楽しみにたどり着いたということかもしれません。

風間トオルが著書『ビンボー魂』で伝えたこと

ここまで紹介してきたエピソードは、いずれも風間トオルさん自身が語ってきたものです。

そして2016年、風間トオルさんはこれらの体験を1冊の本にまとめました。

『ビンボー魂 おばあちゃんが遺してくれた生き抜く力』という著書です。

タイトルにおばあさんのことが入っているところに、風間トオルさんの思いが表れています。

おばあさんが遺してくれた生き抜く力

この本には、テレビでは語られてこなかったエピソードや、当時の心境が収められています。

出版社の紹介ページでも、思い出や人生哲学を含む内容であることが説明されています。

つまり、貧乏エピソードを面白おかしく並べた本ではありません。

その体験から風間トオルさんが何を受け取ったのかを書いた本です。

モモ
モモ

読んでみたいかも

ナギ
ナギ

哲学が語られています

タイトルにあるとおり、その中心にいるのはおばあさんでした。

風間トオルさんは5歳のときにご両親と離れ、お父さん方のおじいさんとおばあさんに育てられています。

おじいさんは糖尿病を患い、後に認知症も始まりました。

家の中で日々の生活を回していたのは、おばあさんだったことになります。

年金だけの家計をやりくりし、孫を育て上げたおばあさんから、風間トオルさんは生きるための力を受け取りました。

風間トオルさんは別のインタビューでも、おじいさんとおばあさんについて「祖父母は親代わりではなく『両親』そのものです」と語っています。

さらに「僕の体の半分は2人からできていると思っています」という言葉も残しました。

貧乏エピソードの背景にある家族関係については、こちらの記事で詳しくまとめています。

風間トオルの母親と父親は今?5歳で離婚し祖父母に育てられた生い立ち

「貧乏でも不幸じゃなかった」という言葉

この本について、風間トオルさんはこんなコメントを寄せています。

「お金はあったほうがいいし、親はいたほうがいいけれど、無いなら無いなりに生きていこうよ、の記でもあります」という言葉です。

お金も親もあった方がいい。

そこは否定していません。

そのうえで、ないならないなりに生きていこうと呼びかけています。

ナギ
ナギ

否定から入らない言葉です

モモ
モモ

なんだか救われる…

風間トオルさんは近年のインタビューでも、同じ趣旨のことを語っています。

貧乏だったことは事実だけれど、それを不幸だとは思っていないという内容です。

2026年に公開された主演映画『おかえりの湯』の関連取材でも、こうした人生観が改めて語られました。

その動画や記事はSNSでも共有され、「勇気をもらえる」「地位やお金がちっぽけに思える」といった声が多く寄せられています。

草を食べ、洗濯機で体を洗っていた子どもが、そこから何を学んだのか。

風間トオルさんは後年、この時期を振り返って「今もお金が無くても辛抱できるし、少々のことでは動じないですね」と話しています。

物がない環境で身につけた工夫する力と、動じない心。

それが、おばあさんが遺してくれたものだったのでしょう。

まとめ

風間トオルさんの貧乏エピソードを、テレビや著書で語られてきた内容からたどってきました。

多摩川の河川敷で草を食べ、アサガオの花びらを絶品と評していた日々。

家に入ってきたカマキリをかじり、日光で温まった河原の石をなめて焼き芋の味を感じていたこと。

風呂のないアパートで洗濯機に入り、冬はTシャツを着たまま体と服を同時に洗っていたこと。

体操着代わりに普段着を裏返し、温めた石をポケットに入れて登校していたこと。

バレンタインのチョコレートを365等分にして、1年かけて食べていたこと。

どれも、限られた条件の中で自分なりの答えを見つけ出した記録です。

モモ
モモ

工夫の連続だったんだね救われる…

ナギ
ナギ

発想力が生活を支えました

これらの体験は、2016年の著書『ビンボー魂 おばあちゃんが遺してくれた生き抜く力』にまとめられました。

風間トオルさんがそこで伝えたのは、ないならないなりに生きていこうというメッセージです。

貧しさを嘆く物語ではなく、そこで身につけた力を語る本になっています。

風間トオルさんは現在もホリプロ・ブッキング・エージェンシーに所属し、俳優として活動を続けています。

テレビ朝日系『科捜研の女』シリーズへの出演を重ね、2026年には主演映画『おかえりの湯』も公開されました。

洗濯機で体を洗っていた子どもが、温泉旅館の支配人を演じているというのは、なんとも味わい深い巡り合わせです。

ナギ
ナギ

今も第一線で活躍中です

モモ
モモ

ずっと応援したい!

風間トオルさんの貧乏エピソードは、今も新しいものが語られ続けています。

2026年には国語の教科書が一番甘かったという話も明かされました。

これからも、驚かされるエピソードが出てくるのかもしれません。

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