お笑いコンビ「ピンクの電話」の清水よし子さんには、一人娘がいます。
名前は浅田梨々香さんといい、学生時代はスケート競技の日本代表として世界の舞台に立っていました。
16人で滑るシンクロナイズドスケーティングという団体種目で、2017年には世界選手権にも出場しています。
しかも驚くことに、母である清水さん自身もスケートの大会に出場し、2位を獲得した経験があります。
親子で挑んだのはスケートだけではありません。
日本舞踊では二人そろって名取になり、清水さんは9つもの習い事に熱中するあまり、夫から念書を突きつけられたこともあるそうです。
この記事では、清水よし子さんの娘・浅田梨々香さんの経歴と結婚、旦那さんとの家庭や自宅のエピソード、そして実家についてまとめました。
清水よし子の娘・浅田梨々香|スケート日本代表
清水よし子さんには、一人娘がいます。
名前は浅田梨々香さんといい、学生時代にスケート競技の日本代表として活躍していました。
国際大会にも出場した経歴を持っています。

日本代表だったんですか。

団体種目の代表です。
幼少期からスケートを続けてきた
梨々香さんがスケートを始めたのは、幼い頃のことです。
2017年、清水さんはテレビ番組に出演した際、娘が小さい頃からスケートをしていたと語っています。
その時点で梨々香さんは大学4年生で、卒業を機に競技から退く予定であることも明かされました。
幼少期から大学卒業まで、長く競技を続けてきたことになります。
芸能人の子どもという立場でありながら、自身は競技の世界で結果を残してきた形です。
母が語った日本代表という経歴
梨々香さんの経歴が広く知られるようになったのは、母である清水さんが番組で語ったことがきっかけでした。
2017年、清水さんは娘が16人で滑るシンクロナイズドスケーティングの日本代表であることを紹介しています。
この内容はスポーツ紙でも報じられ、大きな驚きをもって受け止められました。
2026年に清水さんがテレビ番組に出演した際にも、あらためて娘の日本代表としての経歴が紹介されています。
そこでは、学生時代にスケート競技の日本代表として活躍し、国際大会にも出場したと伝えられました。
なお、梨々香さんは芸能活動をしている人物ではありません。
そのため、公開されているのは母である清水さんが語った範囲と、競技の公式記録に残っている内容が中心になります。
ここからは、梨々香さんが打ち込んだシンクロナイズドスケーティングという競技について紹介します。
シンクロナイズドスケーティングとは
シンクロナイズドスケーティングは、フィギュアスケートの団体種目です。
「日本代表」と聞くと女子シングルの選手を思い浮かべる人が多いかもしれませんが、梨々香さんが出場していたのはこちらの競技になります。

シングルとは別の競技です。
16人で滑る団体種目
最大の特徴は、出場する人数です。
1チーム16人が同時に氷上に立ち、ひとつの演技を作り上げます。
補欠を含めると、チームは20人前後の規模になります。
清水さんも番組で「16人で滑る競技」として娘の活動を紹介していました。
個人競技であるシングルとは、まったく性質の異なる種目です。
求められる技術
この競技で問われるのは、全員の動きがどれだけそろっているかです。
隊形を次々と変化させながら、16人が一糸乱れず滑る精度が評価されます。
手足の角度やタイミングをそろえるユニゾン、リフトなどの技術要素、そしてスケーティングそのものの質も採点対象です。
一人でも動きがずれれば、演技全体の印象が変わってしまいます。
個人の技術に加えて、チーム全体で息を合わせる練習が欠かせない競技だといえます。

16人そろえるって大変そうです。

ひとりのずれが全体に響きます。
国内での知名度
シンクロナイズドスケーティングは、日本ではまだ広く知られている競技とはいえません。
シングルやペアに比べてテレビで中継される機会が少なく、選手個人が注目されることも多くありません。
それでも世界選手権は毎年開催されており、日本からも代表チームが継続して出場しています。
梨々香さんは、その日本代表チームの一員として世界の舞台に立っていました。
次の章では、実際に出場した大会の記録を見ていきます。
2017年の世界選手権に日本代表として出場
梨々香さんの競技経歴で最も大きな舞台が、2017年の世界選手権です。
日本代表チームの一員として、この大会に出場しています。
神宮アイスメッセンジャーの一員として
梨々香さんが所属していたのは、神宮アイスメッセンジャーというチームです。
東京都を拠点とする国内屈指の強豪チームで、日本スケート連盟の強化選手にも指定されています。
全日本選手権での優勝を重ね、世界選手権にも継続して出場してきた実績を持つチームです。
2017年の世界選手権では、このチームがそのまま日本代表として派遣されました。
総合12位という結果
大会が開かれたのは、2017年4月7日から8日にかけてのことです。
会場はアメリカのコロラドスプリングスでした。
国際スケート連盟の公式記録によると、日本代表チームはショートプログラムで13位、フリースケーティングで11位という順位でした。
総合得点は146.84点、最終順位は出場24チーム中12位です。
世界の強豪が集まる大会で、上位半分に食い込んだことになります。

世界大会に出てたんですね。

24チーム中12位でした。
学生時代の競技記録
梨々香さんは、団体競技と並行して個人の大会にも出場していたようです。
スケートの大会記録には、2015年と2016年の東日本学生フィギュアスケート選手権に出場した記録が残っているとされています。
いずれも成城大学の選手として名前が掲載されていると言われています。
また、2017年10月に行われた同大会でも、女子のクラスに出場した記録が確認できるとされています。
大学の在籍については公式に発表されているものではないため、あくまで大会記録上の情報になります。
シンクロナイズドスケーティングを主軸に置きながら、個人競技の大会にも継続して参加していたことがうかがえます。
2017年に清水さんが番組で語った「大学4年生で引退する予定」という言葉と重ねると、この年が競技生活の区切りだったとみられます。
娘・浅田梨々香は2025年に結婚
競技を退いた梨々香さんは、2025年に結婚しています。
この結婚は、母である清水さん自身が公表しました。
母がブログで報告した結婚式
清水さんは公式ブログ「ハイトーンヴォイス」で、娘の結婚式と披露宴が行われたことを報告しています。
ブログのなかで清水さんは、娘を「りーちゃん」という愛称で呼んでいます。
「私の可愛い可愛い娘」という表現も添えられており、母親としての率直な気持ちがそのまま綴られた投稿になっています。
2026年にテレビ番組へ出演した際にも、娘が前年に結婚したことが紹介されました。

お母さんうれしいでしょうね。

本人の言葉で綴られています。
スケートで結ばれた縁
清水さんのブログには、披露宴で娘のスケートコーチが主賓の挨拶をしたことも記されています。
人生の節目に競技時代の恩師が立ち会っているという事実が、梨々香さんにとってスケートがどれほど大きな存在だったかを物語っています。
幼少期から大学卒業まで続けた競技と、そこで築いた人間関係が、引退後も続いていることが分かります。
なお、梨々香さんは一般の方です。
お相手の方や結婚生活の詳細については、清水さんもブログで詳しく触れていません。
現在の職業や住まいについても公表されていないため、明らかになっているのは母親が発信した範囲にとどまります。
ここまで梨々香さんの経歴を見てきましたが、実は母である清水さん自身にもスケートの経験があります。
母親としての清水よし子|自身もスケートで2位
娘がスケートに打ち込むなかで、清水よし子さん自身も氷の上に立っていました。
しかも、大会に出場して2位を獲得した経験があります。

お母さんも滑ってたんですか。

大会で2位を取っています。
自身も大会に出場していた
清水さんがスケートの大会に出場し、2位に入ったことは2026年に報じられています。
娘の付き添いから始まったのか、自身の興味から始まったのかまでは明かされていません。
ただ、応援する側にとどまらず、自分も競技に挑戦して結果を出しているという点が清水さんらしいところです。
当時すでに芸能界で長く活動していた年代であることを考えると、簡単なことではありません。
娘の応援に通った日々
清水さんは、梨々香さんの現役時代に会場へ足を運んで応援していたことも紹介されています。
シンクロナイズドスケーティングは16人で滑る競技です。
娘一人が主役になる場面は多くありませんが、それでも客席に通い続けていたことになります。
スケートリンクは冷え込みが厳しく、練習も早朝から行われることが少なくありません。
幼少期から大学卒業までとなれば、その期間は十数年に及びます。
舞台やテレビの仕事と並行しながら、母親として娘の競技生活を支え続けたことがうかがえます。
そして清水さんと梨々香さんが一緒に取り組んだのは、スケートだけではありませんでした。
親子でさまざまな習い事に挑戦し、そのなかには本格的な域に達したものもあります。
清水よし子の自宅と習い事|夫が出した念書
清水よし子さんは、習い事に打ち込むことでも知られています。
しかもその多くを、娘の梨々香さんと一緒に続けてきました。
ただ、熱中しすぎたことで家庭に思わぬ影響が出たこともあります。
日本舞踊で親子そろって名取に
親子で取り組んだ習い事のなかで、最も本格的なのが日本舞踊です。
清水さんと梨々香さんは、そろって名取になっています。
名取とは、日本舞踊の世界で師匠から芸名を許される段階のことです。
長年の稽古を積んだ人だけが到達できる位置づけで、趣味の範囲を大きく超えています。
清水さんの名取名は山村昇甘といい、所属事務所の公式プロフィールにも記載されています。
シャンソンではショーにも出演
もうひとつ本格的な域に達したのが、シャンソンです。
清水さんはシャンソンのショーに出演するまでになりました。
あの甲高い声からは想像しにくいかもしれませんが、公式プロフィールでも特技として日本舞踊と並んで挙げられています。
近年の舞台出演が増えている背景にも、こうした積み重ねがあると考えられます。
9つの習い事で自宅が片付かなくなった
問題は、その習い事の数でした。
2018年に夫婦でテレビ番組に出演した際、清水さんが当時9つの習い事をしていたことが紹介されています。
その内訳は、シャンソン、小唄、ピアノ、俳句、弾き語り、フランス語、日本舞踊、英語、そして弓道です。
仕事と並行してこれだけの稽古に通えば、当然ながら家にいる時間は減ります。
その結果、自宅が片付かない状態になっていたと番組で取り上げられました。
夫の両親が上京してきた際には、家が片付いていないことを理由に、清水さんが自宅への入室を断ったというエピソードまで紹介されています。

9つは多すぎませんか。

家庭に影響が出るほどでした。
夫が出した念書
そしてついに、夫が行動に出ます。
習い事の数を減らさなければもう帰宅しない、という内容の念書を清水さんに突きつけたと報じられています。
夫婦そろって番組に出演し、この家庭内のやり取りが取り上げられる形になりました。
深刻な対立というよりも、夫の困り顔が見えてくるような出来事です。
清水さんの好奇心の強さがそのまま家庭のエピソードになっているところに、この夫婦らしさがあらわれています。
最近はマジックを
念書を突きつけられてからも、清水さんの探究心は止まっていません。
2026年時点で新たに習っているのが、マジックです。
テレビ番組に出演した際には、スタジオでマジックを披露したことも伝えられています。
60代後半になっても新しいことを始め続ける姿勢が、清水さんの変わらない魅力につながっているのかもしれません。
清水よし子の旦那|1992年に出版社社長と結婚
清水よし子さんは結婚しています。
お相手は一般の方ですが、結婚した時期と職業については報じられています。
結婚は1992年
清水さんが結婚したのは、1992年のことです。
お相手は出版社の社長だと報じられています。
ピンクの電話がテレビで大きな人気を集めていた時期にあたります。
清水さんの本名は浅田美子さんです。
これは所属事務所の公式プロフィールに明記されています。
芸名の「清水」については、ネット上では結婚前の姓であり、結婚を機に浅田姓になったと言われています。
芸名だけは結婚前の姓を使い続けている形になります。
夫について語られていること
ネット上では、夫の名前を浅田正行さん、勤め先を第一出版という会社の社長とする記述が複数のサイトに見られます。
ただし、これらは百科事典型のサイトやまとめ記事に共通して掲載されているもので、所属事務所や本人が公表したものではありません。
報道で確認できるのは「出版社の社長」という職業までになります。
年商10億円とも言われる会社だと紹介されており、そこから玉の輿婚だと語られることもあります。
出会いのきっかけや交際期間については明かされていません。

公にされているのは職業までです。
一方で、2018年には夫婦そろってテレビ番組に出演しています。
習い事に熱中する妻に念書を突きつけたのがこの夫にあたります。
顔出しで番組に出るという選択をしていることからも、極端に表舞台を避けているわけではないことがうかがえます。
妊娠中も仕事を続けた日々
結婚と出産を経ても、清水さんは仕事を止めませんでした。
本人はインタビューで、妊娠後の働き方についてこう振り返っています。
すでに決まっていた海外ロケには行ったものの、周囲に迷惑をかけないよう徐々に行かなくなったといいます。
一方で国内の仕事は、臨月まで続けていました。
そして早朝の新幹線で大阪の生放送に向かおうとした直前に破水し、そのまま入院したという出来事もあったそうです。
このとき代役を務めたのが、当時同じく臨月だったハイヒール・モモコさんでした。
仕事に対する姿勢がそのまま伝わってくるエピソードです。
このとき生まれたのが、一人娘の梨々香さんということになります。
清水よし子の実家と母親|大阪から上京するまで
清水よし子さんは大阪府の出身です。
芸能界に入ったのは、上京してからのことになります。
大阪府の出身
所属事務所の公式プロフィールには、出身地として大阪府が記載されています。
実家の詳しい場所については公表されていません。
ただ、清水さんは現在も公式ブログで、大阪での稽古や仕事について報告することがあります。
上京してから長い年月が経ったあとも、生まれ育った土地との縁は続いているようです。
女優になりたくて上京した
清水さんが大阪を離れた理由は、女優になるためでした。
本人がインタビューで、女優になりたくて大阪から上京したと語っています。
上京後に入ったのは、現在も所属する事務所の社長である石井光三さんが主宰していた劇団七曜日です。
その後、石井さんからコントを勧められたことで、お笑いの道へ進むことになりました。
お笑い芸人として知られる清水さんですが、出発点は演技だったことになります。

女優志望だったんですね。

日本舞踊やシャンソンもその延長です。
両親について語られていること
清水さんのお父さんやお母さんについては、氏名や職業などは公表されていません。
きょうだいの有無についても明らかにされていません。
ただしネット上では、両親の反対を押し切って単身で大阪から上京したと言われています。
この話については本人が語った記録が見当たらないため、そうした見方があるという範囲にとどまります。
もっとも、1970年代から80年代にかけて、女優を目指して若い女性が単身で上京するというのは簡単な決断ではありません。
家族が心配したとしても不思議はない時代です。
そこから40年近くにわたって芸能界で活動を続け、娘とともに名取にまでなったことを考えると、当初の決断が実を結んだと言えるのかもしれません。
まとめ
清水よし子さんの家族について紹介してきました。
最後に要点をまとめます。
- 一人娘は浅田梨々香さん。学生時代はシンクロナイズドスケーティングの日本代表として活動
- 2017年の世界選手権に神宮アイスメッセンジャーの一員として出場し、総合12位
- 梨々香さんは2025年に結婚。清水さんが公式ブログで報告している
- 清水さん自身もスケートの大会で2位を獲得した経験がある
- 親子で日本舞踊の名取になり、シャンソンではショーにも出演
- 9つの習い事に熱中し、自宅が片付かず夫から念書を出されたことも
- 結婚は1992年。お相手は出版社の社長と報じられている
- 大阪府出身。女優になりたくて上京したと本人が語っている
スケートも日本舞踊も、娘と一緒に取り組んできたものです。
応援するだけでなく自分も大会に出てしまうところに、清水さんらしさがあらわれています。
60代後半になった今もマジックという新しい世界に挑んでいます。

素敵な親子ですね。

好奇心が家族をつないでいます。
出典まとめ
本記事は以下の情報を参考にしました。
- 石井光三オフィス|清水よし子
- 清水よし子オフィシャルブログ「ハイトーンヴォイス」
- マイナビニュース|ひとり娘はスケート競技で日本代表として活躍
- デイリースポーツ|清水よし子 大学生の娘はあるスケート競技の日本代表選手
- テレ朝POST|清水よし子、家事放棄し習い事に熱中する彼女に夫が念書を提示
- 週刊女性PRIME|ピンクの電話・清水よし子が振り返る共演時代
- 日本スケート連盟|世界シンクロナイズドスケーティング選手権大会2017
- ISU|World Synchronized Skating Championship 2017 Result
