ドラマや映画はもちろん、バラエティー番組でも軽妙なトークで人気を集めている俳優の沢村一樹さん。
その整ったルックスと柔らかな人柄に惹かれるファンも多い中、ふと気になるのが「家族はどんな人たちなのか」という素朴な疑問です。
父親や母親、兄弟姉妹との関係性や、鹿児島にあるという実家の暮らしぶりはどうだったのでしょうか。
今回は、沢村一樹さんの家族構成や生い立ち、そして姪である女優・野村麻純さんとの親戚関係まで含めて、その素顔に迫ります。
沢村一樹はハーフでない!
沢村一樹 さんのインタビューを読んで、おっさんずラブ の現場は
— (天空)いつまでも (@OLnuma_Zuto) July 17, 2019
特別なんやなぁ💓と嬉しくなり
なぜか一人だけ
牧凌太の林遣都 って書いてて
やっぱり牧凌太は存在してるのね
と納得した😆#おっさんずラブ#劇場版おっさんずラブ
ザテレビジョン7/26号
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沢村一樹さんが「ハーフではないか」との噂がネット上でたびたび取り上げられていますが、実際には純粋な日本人です。
整った顔立ちや彫りの深い目鼻立ちが印象的なため、初見ではハーフやクォーターのように見えると感じる人も多いようです。
確かに、モデル出身ということもありスタイルも抜群で、一般的な日本人男性と比べても洗練された雰囲気がありますが、両親ともに日本国籍の生粋の日本人だと公表されています。
とくに本人がテレビ番組やインタビューで「鹿児島出身」であることをたびたび語っており、家族やルーツについてもオープンに話す場面が多いことから、ハーフ説には根拠がないことが明らかです。
このような外見からくる誤解は芸能人にとって珍しくないものの、実際の出自を知ることで、より親しみを感じるファンも少なくありません。
沢村一樹の実家は鹿児島?
沢村一樹さんの実家は、鹿児島県鹿児島市にあります。
本人もたびたびメディアで地元愛を語っており、テレビ番組では「鹿児島に帰ると地元の友達と集まるのが楽しみ」と話していたこともあります。
幼少期は決して裕福な家庭環境ではなかったとされ、4人家族で6畳と4畳半の二間、風呂なし・汲み取り式トイレという、かなり年季の入ったアパートでの生活を送っていたそうです。
当時を振り返って「冬は寒くて辛かった」と語る一方で、そんな環境の中でも家族との絆を大切にしていた様子が伝わってきます。
このアパートは現在も取り壊されることなく残っているといわれていますが、具体的な住所などの詳細は公表されていません。
また、現在は家族全員が別の地域で暮らしているため、沢村本人も含め、誰もその場所には住んでいないとされています。
芸能界での成功を収めた今でも、原点である鹿児島への思いを大切にしている姿勢に、多くのファンが共感を寄せています。
野村麻純は沢村一樹の姪っ子!
女優の野村麻純は姪っ子 沢村一樹の初告白にファン驚き「似てますね」 https://t.co/1gr3Y5iGOI pic.twitter.com/y7dcVRQTqO
— 健康と美容 長寿の秘訣を考える 相互 (@xa737e01) October 8, 2022
沢村一樹さんの姪にあたるのが、女優の野村麻純さんです。
2011年に芸能界デビューを果たした彼女は、宮藤官九郎さん脚本のドラマ『11人もいる!』(テレビ朝日系)で注目を集め、その後もNHKの連続テレビ小説『とと姉ちゃん』をはじめ、数多くのテレビドラマや映画でキャリアを積んできました。
透明感のある演技と落ち着いた佇まいが印象的で、着実に女優としての地位を築いています。
2022年10月、沢村一樹さんが自身のInstagramで野村さんとのツーショット写真を投稿したことで、2人が親戚関係であることが初めて公に知られることとなりました。
投稿には「姪っ子です」とのコメントが添えられており、これに多くのファンが驚きとともに好意的な反応を示しました。
それまで家族関係については明言されていなかったことから、突然の“公表”が話題となり、芸能界で活躍する2人の血縁関係に注目が集まることとなったのです。
沢村一樹の兄弟や姉妹
沢村一樹さんには、妹が1人います。
この妹こそが、女優・野村麻純の母親にあたります。
名前は「真美」さんで、芸能界には属しておらず、一般の方として生活されています。
過去に沢村さんが出演したバラエティ番組において、ごく短い形で映像出演をしたことがあるものの、それ以外でのメディア露出はなく、年齢や職業、詳しい経歴などの情報も明かされていません。
芸能人の親族とはいえ、プライバシーを尊重する形で情報管理がなされているようです。
なお、沢村さん自身は家族との関係を大切にしており、テレビやインタビューなどでも妹や甥姪にまつわるエピソードを軽快に話す場面が見られます。
そうした人柄もあって、身内に芸能人がいることが後から知られて話題になるケースが多く、親しみやすさとギャップのある家庭的な一面としてファンに受け入れられています。
沢村一樹の生い立ち
1967年7月10日、鹿児島県鹿児島市に生まれた沢村一樹さんは、幼い頃から映画に強い興味を持ち、スクリーンの中の世界に心を惹かれて育ちました。
小学生の頃にはすでに「将来は映画の仕事に関わりたい」という夢を抱くようになり、卒業文集には「大スターになって女の子にモテモテな自分を先生に見せたい」と書き残していたというエピソードも残っています。
家計的には決して裕福ではなく、現実的な生活の中で「普通に就職しても家族を十分に養えないかもしれない」と感じていたことが、芸能界を目指す強い動機にもなったようです。
さらに、母親自身にもかつて芸能界への憧れがあったことが後押しとなり、高校卒業と同時に上京を決意。
芸能界入りのチャンスを求めながら生活する中、21歳のときにアルバイト先のライブハウスで知り合った客の紹介でモデル事務所に所属することが決まります。
そこから着実にキャリアを重ね、25歳で『MEN’S CLUB』の専属モデルに抜擢。
1年間にわたって同誌の表紙を飾り続け、洗練されたルックスと存在感で注目を集めるようになりました。
俳優としての転機を迎えるまでのその歩みは、本人の強い意思と下積み時代の努力が支えていたことがうかがえます。
沢村一樹の父親
沢村一樹さんの父親は、芸能活動とは無関係の一般人で、かつてはごく普通の会社員として働いていました。
しかし、知人の保証人を引き受けたことで2,000万円〜3,000万円という多額の借金を背負い、沢村一樹さんが中学生の頃、家族のもとから突然姿を消してしまいます。
経済的にも精神的にも厳しい状況の中、沢村一樹さんは母親に「離婚してもいい」と背中を押し、両親は正式に離婚。
父親とはその後長らく疎遠のままとなりました。
ところが数年後、酒に酔った父親が突然帰宅し、母親の悪口を口にしたことで、沢村一樹さんは感情を抑えきれず、「お母さんの悪口を言うな!」「二度とうちに来るな!」と怒りを爆発させたといいます。
このやり取りが、父親と顔を合わせた最後の瞬間となりました。
その後、沢村一樹さんが19歳の時に父親は亡くなりましたが、葬儀には参列しなかったそうです。
それでも本人は「父を憎んでいたわけではない」と振り返っており、複雑な家族関係の中にも葛藤と愛情が交錯していたことがうかがえます。
なお、父親が亡くなった当初はお墓もなかったそうで、家族がその存在を整理するまでに時間を要したことも語られています。
このような経験は、沢村一樹さんの人柄や演技力の奥行きにも少なからず影響を与えているのかもしれません。
沢村一樹の母親
沢村一樹さんの母親も芸能界とは無縁の一般人です。
もともとは化粧品販売の仕事をしていましたが、父親との離婚を機に家庭を一人で支えることとなり、昼夜問わず働き詰めの日々を送るようになりました。
生活は決して楽ではなかったものの、子どもたちにはその苦労を感じさせまいと懸命に向き合っていたようです。
とくに「父親がいないからってグレるようなことは絶対に許さん!甘えは厳禁!」という言葉は、沢村一樹さんが今でも忘れられない母親の口癖として記憶しているほど、強く印象に残っているといいます。
そうした厳しさの裏には、深い愛情が常にあったと感じていたそうで、「厳しさも含めて、いつも愛情を注いでくれました」と沢村一樹さん自身が語っています。
現在、母親は特別養護老人ホームで穏やかな生活を送っているとされており、沢村一樹さんは今でもたびたび母親を気遣う言動を見せています。
長年にわたって家族を支え続けた母親の存在が、沢村一樹さんの芯の強さや優しさの根底にあるのかもしれません。
まとめ
沢村一樹さんは、幼い頃に経済的な困難や家族の離別といった厳しい状況を経験しながらも、モデル・俳優として大きな成功を収めてきました。
その背後には、昼夜働きながら家族を支えたお母さんの存在や、穏やかに暮らす妹さん、そして親族として同じ芸能界で活躍する野村麻純さんとの繋がりがあります。
現在では、それぞれが自分らしい生活を築いているようで、沢村一樹さん自身も家族への感謝を忘れずに過ごしている様子がうかがえます。
芸能人としてだけでなく、一人の家族思いの人間としての姿勢に、今後も多くの人が共感し続けることでしょう。
