主役でも脇で支える役でも、すっと物語に溶け込む小林薫さん。
静かな存在感で場を引き締める人だと、作品を見るたび感じます。
たとえば『深夜食堂』のマスターのように、派手さはなくても余韻が長く残る演技が魅力でしょう。
実は、その確かな表現の裏には、若い頃の劇団での鍛錬や家族の影響が息づいています。
どんな道のりを歩み、どんな家庭で感性を育てたのか。
素顔に少しずつ近づいていきます。
小林薫の若い頃は?
唐十郎が監督であるからキャストに「状況劇場」の団員の方々が沢山 若い頃の小林薫も出てるけど、今と変わらん容姿だわ(゚д゚)! pic.twitter.com/5GACiPjP9t
— archive (@a_archive) June 21, 2022
小林薫さんが役者として歩き出したのは、1971年に劇団「状況劇場」に入団したことがきっかけです。
唐十郎さんが率いる“赤テント”の世界で、根津甚八さんと並ぶ看板役者として注目を集め、濃密な舞台経験を重ねました。
荒々しさの中に静かな情感を宿す演技は、当時から多くの観客の心を掴んでいたといいます。
しかし、次第に劇団の型に収まりきらない想いが募り、1980年に退団を決意。
新しい表現を求めての一歩でした。
退団時には、才能を高く評価していた唐十郎さんが包丁を手に説得に訪れたという印象的なエピソードも残っています。
混乱の末、小林薫さんは劇団を離れ、自らの道を進むことを選びました。
この転機は決して決別ではなく、表現者として成長するための通過点。
舞台で培った身体感覚と熱量は、その後の映像作品でも息づき、静かな存在感を放つ礎になったのでしょう。
小林薫のプロフィールや経歴
皆さんにお知らせです!!
— 深夜食堂 オフィシャル (@meshiya) April 14, 2017
日本で最も権威ある映画賞「日本映画批評家大賞」にて、なんと小林薫さんが『続・深夜食堂』で主演男優賞を受賞しました!!おめでとうございます!
5月の授賞式ではスーツに身を包んだかっこいいマスターの姿が見られるかもしれませんね!^^#深夜食堂 #小林薫 pic.twitter.com/RSHVjXj8xm
生年月日:1951年9月4日
出身地:京都府
血液型:A型
身長:175cm
所属事務所:ニコフィルム
小林薫さんが芝居の道へ進むきっかけは、お兄さんの影響でした。
兄が演劇活動をしていたことから舞台に興味を持ち、やがて劇団「状況劇場」の京都公演を観てその熱に心を動かされます。
迷うことなく上京し、唐十郎さんのもとで役者としての基礎を磨くことになりました。
舞台の熱気や観客との距離感を肌で感じながら、演じる喜びと難しさを身に刻んだ時期だったのでしょう。
1980年に劇団を離れてからは、映像の世界へと活躍の場を広げます。
テレビドラマや映画で幅広い役柄を演じ、その存在感が一層際立つようになりました。
1986年には『迷走地図』で日本アカデミー賞最優秀助演男優賞を受賞。
2009年には『東京タワー 〜オカンとボクと、時々、オトン〜』でヨコハマ映画祭主演男優賞を受賞するなど、確かな演技力が高く評価されています。
また意外な一面として、競走馬の馬主でもあります。
派手な投資ではなく、あえて手頃な価格の馬を見極めて買うスタイルで知られ、堅実に成果を上げているそうです。
芝居でも競馬でも、派手さより「長く続ける力」を大切にしている姿勢が伝わってきますね。
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小林薫さんを幅広い世代に知らしめたのが、主演作『深夜食堂』です。
寡黙なマスターの所作と温かな眼差しが胸に残り、第1部(2009年10月期)から第2部(2011年10月期)、第3部(2014年10月期)へと静かな熱を帯びて支持が広がりました。
たとえば深夜にふっと観たくなる、余白のあるドラマ。
日常の小さな皺にそっと寄り添う語り口が魅力です。
第4部以降はNetflixオリジナルとして配信され、舞台はテレビの枠を越えて世界へ。
さらに2015年・2016年には映画化も実現し、マスターの世界観が劇場のスケールで描かれました。
派手さより余韻。
小林薫さんの“静けさの説得力”が最も美しく届いた代表作といえるでしょう。
小林薫の学歴
小林薫さんの学歴については、あまり多くが語られていません。
それでも、どんな環境で感性を育ててきたのかを辿ると、彼の演技の深みが少し見えてきます。
小林薫の出身中学
出身中学校の校名は公表されておらず、公式情報としては確認できません。
ただ、京都府出身であることから、府内の公立校に通っていた可能性が高いでしょう。
1960年代後半の京都は映画館や小劇場が身近にあり、文化へ触れる機会が多い土地柄です。
そうした環境に加えて、お兄さんの演劇活動という家庭内の刺激も重なり、思春期のうちに芝居への関心が育ったと考えられます。
具体的な学校名は語られないものの、この時期に培った観察眼や人間へのまなざしが、のちの「状況劇場」入団へつながる下地になったはず。
放課後の街の空気、舞台芸術の匂いを吸い込みながら、表現の芽が静かに芽生えた中学時代だったのでしょう。
小林薫の出身高校
中学を卒業した小林薫さんは、京都府立洛東高等学校へ進学しました。
地元では歴史ある学校として知られ、当時から文化活動が盛んな環境だったといいます。
穏やかな気質の中にも芯の強さを持つ小林薫さんにとって、自由な校風は自分の感性を伸ばすのにちょうどよい場所だったのかもしれません。
一部では「中退した」という噂もあるようですが、確かな記録は見つかっていません。
そのため、一般的には卒業していると考えられています。
とはいえ、学生時代からすでに演劇への関心が強く、心はすでに舞台へ向かっていたようです。
京都で観た「状況劇場」の公演に衝撃を受け、俳優として生きる決意を固めたのもこの頃。
学業を終えると同時に、彼の人生は演劇一色へと動き出しました。
小林薫の実家や家族
小林薫さんは京都府のご出身ですが、実家の所在地や詳しい家族構成は公表されていません。
ただ、上京の際に家族同行の記録は見当たらず、当時もご実家は京都に残っていた可能性が高いでしょう。
家族との関係で語られるのは、お兄さんの存在です。
お兄さんが演劇活動をしていた影響で芝居への関心が芽生え、のちの「状況劇場」入団へつながります。
お父さんとお母さんの詳細は明かされていないものの、静かな応援が背中を押したのだと想像できますね。
小林薫の兄弟
小林薫さんにはお兄さんがいます。
幼い頃からお兄さんが演劇活動をしており、その背中を見て芝居への興味が育ったと考えられます。
たとえば台本を読む姿や舞台に立つ空気感は、若い感性には何よりの刺激だったはずです。
一方で、ネット上で語られる「小林稔侍さんと兄弟では?」という噂に血縁関係はありません。
名前の印象が近いため生まれた推測でしょう。
お兄さんは学生期に演劇に関わっていたものの、近年の動向は公表されておらず、現在は役者とは別の道を歩んでいるとみられます。
静かに背中を押す存在であり、原点にある身近な“先輩”だったのだと思います。
小林薫の父親と母親
小林薫さんのご両親は一般の方で、名前や職業、顔写真などは公表されていません。
京都で育った小林さんにとって、静かに見守るお父さんとお母さんの存在は大きかったようです。
派手に表に出ることはなくても、息子の選んだ道を尊重し、そっと背中を押してくれる――そんな温かな家庭だったのではないでしょうか。
俳優の世界を志す若者にとって、家族の理解は何よりの支えです。
小林薫さんが上京し、厳しい舞台の世界で粘り強く努力を続けられたのも、両親の穏やかな応援があったからこそだと感じます。
公に語られることの少ない部分ですが、彼の落ち着いた人柄の根には、きっと家庭で育まれた温かさが息づいているのでしょう。
まとめ
小林薫さんは「先のことは考えない。現場に行くのがしんどくなるまで続ければいい」と穏やかに語っていました。
肩肘張らない姿勢は、欲を見せない所作や間の取り方にそのまま滲みます。
だからこそ大型の主役でも、名脇役でも、すっと物語に溶け込むのでしょう。
たとえば『深夜食堂』のマスターのように、声を荒げずに場を支える力。
年齢を重ねるほどに深みが増すタイプの俳優さんです。
次の作品でどんな温度の人物に出会えるのか、静かな楽しみが続きますね。
