お笑いコンビ「ドランクドラゴン」でボケを担当し、個性的な演技でも注目される塚地武雅さん。
テレビで見かけるたびに、その親しみやすいキャラクターに惹かれるという方も多いのではないでしょうか。
そんな塚地武雅さんの「本名って何だろう?」「どんな学校に通っていたの?」「家族構成は?」と、ふと気になったことはありませんか。
芸人としての実力はもちろん、俳優としても高く評価される塚地武雅さんですが、実は意外な経歴やバックグラウンドも多く、知れば知るほど奥深い人物です。
年収の推測や出身高校・大学、実家や両親・兄弟にまつわる情報まで、多角的に掘り下げていきます。
知名度の高さだけでは見えてこない、塚地武雅さんの素顔に少しずつ迫っていきましょう。
塚地武雅のプロフィールや経歴
生年月日:1971年11月25日
出身地:大阪府
血液型:A型
身長:168cm
趣味:スキー
特技:剣道
所属事務所:プロダクション人力舎
元々幼い頃からお笑いが好きで芸人に憧れていたという塚地武雅さんは、中学生の頃からネタ作りをしていたものの、芸人にはならずに大学卒業後には仏壇メーカーの八木研に就職、営業を担当していました。
就職後もネタを作ることは続けており、ある日ネタ帳が2冊目に突入していることに気付き、「やっぱり自分はお笑いをやりたいんだな」と感じたそうです。
そこで家族の猛反対を受けながら24歳でお笑いを志し、事務所の養成所(スクールJCA)に入学、ここで鈴木拓さんと出会い、1996年にコンビ「ドラングドラゴン」を結成しました。
2003年頃からは俳優としても活動を始め、2006年には映画『間宮兄弟』で佐々木蔵之介さんとW主演を務め、キネマ旬報、ブルーリボン賞、毎日映画コンクールの三冠映画賞新人賞を受賞しています。
2007年にはテレビドラマ版『裸の大将』の山下清役に抜擢され、話題を集めました。
Youtubeもやっている?
塚地武雅さんは、2018年から「グラリオサ音子」としてYouTube動画を投稿していました。
グラリオサ音子さんは、「ジェンダーレス、エイジレス、体ボンレス」が合言葉の男性とも女性ともつかない謎の人物で、塚地武雅さんとは設定上、別人ということになっています。
これまでに投稿された動画は202本と精力的に活動していましたが、2020年12月に「チャンネル登録者数が2年間で20万人に達しなかった」ことを理由に、動画配信を休止しました。
塚地武雅の本名
塚地武雅さんは、本名そのままで芸能活動をされています。
「塚地(つかじ)」という苗字は非常に珍しく、戸籍上では全国に10世帯ほどしか存在しないとされており、主に高知県にルーツを持つ姓として知られています。
現在も非常に少数派で、名字由来netなどのデータベースによると、日本全国の中でも特に希少な姓のひとつです。
一方、「武雅(むが)」という名前については、塚地武雅さんご本人がテレビ番組などで由来を語る場面がありました。
それによると、「父親の名前が”武志”なので、そこから一字を取りたかった」とのこと。
また、歴史上の剣豪・宮本武蔵の「武(む)」という響きを意識し、「雅(が)」という漢字と組み合わせて”むが”と音読みさせたというエピソードも明かされています。
このように、「武雅」という名は家族とのつながりと憧れの人物にちなんだ、個人的な思いが込められた名前だということがわかります。
また、近年では”塚地武雅”という名前自体が芸名としてのブランドを確立しており、俳優としてクレジットされる際にも本名で出演するスタイルを貫いています。
芸名と本名を使い分ける芸能人が多い中で、名前に対する愛着や誇りがうかがえるポイントかもしれません。
なお、「塚地」という苗字の希少性については、SNSや名字検索サービスを通じて知ったというファンの声も見られ、「初めて聞いた姓」「読むのが難しいけどインパクトがある」といった反応が寄せられています。
こうした独特の響きと背景も、塚地武雅さんの魅力の一部として親しまれているようです。
塚地武雅の年収
塚地武雅さんは年収について公表していません。
そのため正確な年収の額は不明です。
塚地武雅さんは、鈴木拓さんとコンビを組んでから15年ほどは個人活動も含めてギャラを折半していたそうで、鈴木拓さんは「(塚地武雅さんの活躍は)株が当たったみたいなもの。不労所得」と明かしていました。
しかし鈴木拓さんがこのままではいけないと感じ、現在はコンビの仕事のみ折半という形になっているとのことです。
鈴木拓さんは以前マネージャーに「折半を辞めたい」と話したところ「給料が5分の1になるけどいいのか?」と聞かれたそうで、コンビとしてのギャラよりも個人活動のギャラの方が多いようですね。
塚地武雅さんの場合は、芸人としてだけではなく俳優としての仕事も多いため、年収は数千万円以上ではないかと思われます。
塚地武雅の学歴
塚地武雅さんが通っていた学校について調べてみました。
塚地武雅の出身高校
中学卒業後、塚地武雅さんは大阪府立佐野高等学校に進学しました。
高校時代は剣道部に所属し、主力選手として活躍していたそうです。
また「将来はお笑い芸人になりたい」と漠然と考えていたため、高校の全教科の先生のモノマネをし、学校中の人気者だったとのことでした。
塚地武雅の出身大学
高校卒業後は1年の浪人を経て、桃山学院大学に進学しました。
経済学部に在籍し、テニスやスキーのサークルに参加していたそうです。
当時はほっそりしていたことから、女の子にもそれなりにモテていたようです。
塚地武雅の実家や家族
塚地武雅さんは、大阪府泉南郡阪南町(現・阪南市)出身です。
現在もこちらに実家があるようですが、詳しい場所は分かりませんでした。
塚地武雅の父親
塚地武雅さんのお父さんは、「武志」さんといいます。
大手製鉄所のサラリーマンをしていました。
塚地武雅さんはお父さんについて「昔気質の頑固者で亭主関白。酒好きで家に友人を招いて酔っ払っては、ささいなことで言い合う。おやじが怒ることはしないようにしていました」と明かしていました。
塚地武雅さんが芸人を目指し上京した際には猛反対し「2度と帰ってこなくていい」と勘当宣言され、疎遠な時期もあったようです。
しかし塚地武雅さんが芸人や俳優として活躍していく中で徐々に理解をしてくれるようになり、NHK連続テレビ小説『まれ』への出演が決まったことを報告した時には「朝ドラ、楽しみやな」と喜んでくれたそうです。
ただお父さんにがんが発覚、「余命半年」と言われ、朝ドラ放送前の2015年2月3日に天国へと旅立ちました。
塚地武雅さんはあるインタビューで「『おやじに認めさせたい』というのが原動力だったのかもしれません」と話していました。
塚地武雅の母親
塚地武雅さんのお母さんは、「良子さん」といいます。
鹿児島県出身で、高校卒業後は大阪の大手製鉄所に就職、ここで武志さんと出会い、結婚しました。
塚地武雅さんはお母さんについて「一歩下がっておやじをたてるタイプ」とのことで、お父さん亡き後も「お父さんの家を最後まで守る」と言って、実家で暮らしているそうです。
塚地武雅の兄弟
塚地武雅さんには、弟さんが一人います。
「武雅」という名前が難しい読みの浸透しなさ、 一発で読まれず、 説明が必要なことを反省した両親が、弟さんには「だいすけ」と名付けたそうです。
弟さんについては一般人ということもあり情報がほとんどありませんでしたが、塚地武雅さんはSNSで「弟家族」、「姪っ子」と投稿していることから、結婚しているようですね。
まとめ
塚地武雅さんは、家族の反対を受けながらも自らの夢を諦めることなく、お笑いの道へと進みました。
努力を重ねた結果、芸人として成功し、現在では俳優としても高い評価を得ています。
その温かみのある人柄や演技力は、多くのファンを魅了し続けています。
これまでバラエティ番組やドラマ、映画など幅広い分野で活躍し、その才能を存分に発揮してきました。
今後もさらなる飛躍が期待される塚地さんの活動から目が離せません。
これからも応援していきたいですね。


