King & Princeのセンターとして一世を風靡し、今はTOBE所属の「Number_i」として、世界を本気で視野に入れた活動を続けている平野紫耀さん。
圧倒的なビジュアルとパフォーマンス力に加えて、「Mステーション」「ドラム缶テレビ」といった迷言や、干し柿を洗濯機で作ろうとする衝撃の天然エピソードまで、とにかくギャップがすごくて、見ている側の心をつかんで離しません。
この記事では、そんな平野紫耀さんの“天然伝説”から、BOYS AND MEN時代〜ジャニーズ入所、King & Princeでの活躍、退所理由、そして現在のNumber_iでの活動までを、出身中学・高校といった学歴の情報もあわせて整理していきます。
一緒に振り返りながら、「やっぱりこの人すごいし、好きだな」と感じていただけたらうれしいです。
平野紫耀の天然エピソードがすごい!
平野紫耀さんは、デビュー当時からずっと“イケメンなのに天然”というギャップで注目されてきました。
最近も音楽フェスや海外アーティストとのコラボステージで、絶妙なボケをかまして相手をポカンとさせてしまう場面があり、その様子がSNSで一気に拡散されていました。
「トーク中に天然が炸裂しててかわいすぎる」「海外アーティストも困り顔で笑ってて和んだ」みたいな声もあって、見ている側も思わずニヤニヤしてしまいます。
そんな“国宝級天然”とも言われる中から、特に語り継がれているエピソードをいくつかピックアップしていきます。
平野紫耀の天然エピソード①音楽番組「ミュージックステーション」を「M(エム)ステーション」と発言
2019年12月放送の「ミュージックステーション ウルトラSUPER LIVE」でのワンシーンです。
普通なら「ミュージックステーション」か「Mステ」とどちらかの言い方になりますよね。
ところが平野さんは、真顔で「M(エム)ステーション」と紹介してしまったんです。
略しているのかフルネームなのか、聞いている側からするとちょっとだけ混乱する呼び方で、思わず一瞬間が空ったあと、スタジオがふっと笑いに包まれました。
すかさず永瀬廉さんが「略すかどっちかにして」とツッコミを入れて、いつものキンプリらしい空気に戻っていく感じが、見ていてすごく微笑ましかったですよね。
生放送で番組名を言い間違えるって、普通ならかなりヒヤッとする場面だと思うのですが、平野さんの場合は「またやってる」「そういうところが好き」と笑いに変わってしまうところに、愛されキャラぶりを感じました。
平野紫耀の天然エピソード②「干し柿を作るために柿を洗濯機に突っ込んだ」
日常生活のエピソードも、なかなかインパクトがあります。
干し柿を作ろうとしたとき、「乾燥させるなら洗濯機の乾燥機能でいけそう」とひらめいてしまい、本当に柿を洗濯機に入れて回してしまったという話があります。
まさかの家電フル活用で、一気に仕上げようとした発想がすごいですよね。
当然お母さんにはしっかり怒られたそうですが、そのあとも諦めず、今度は柿を洗濯ネットに入れて再チャレンジしたというから、ある意味では行動力と好奇心の塊だなと感じました。
普通なら「干し柿=洗ってから天日干し」という流れをイメージするところを、「乾燥させる機械が家にあるならそっちのほうが早い」と考えてしまうあたり、発想の飛び方が天才肌の天然というか、「そうきたか…!」と驚かされます。
平野紫耀の天然エピソード③「弟の漢字が分からない」
平野紫耀さんの弟さんの名前は「莉玖(りく)」さん。
少し珍しくて、おしゃれな漢字ですよね。
ドラマやバラエティ番組の情報でも、この名前はたびたび紹介されています。
平野さんは以前、この弟の名前の漢字をうまく書けなかった時期があったと話していて、「家族の名前なのに書けないの?」と周りを驚かせていました。
さらに、自分の名前「紫耀」に関しても、中学生になるまで漢字で書けなかった時期があったそうで、ここでもしっかり天然ぶりを発揮しています。
確かに「紫」も「耀」も画数が多くて難しい漢字ですし、小学生のうちは苦戦してもおかしくないとは思うのですが、「中学まで自分の名前を書けなかった」というエピソードとして聞くと、スタジオが一瞬固まって、それから一気に大笑いになっていった空気が目に浮かぶようです。
こうしたエピソードは本当にごく一部で、ほかにも「ブラウン管テレビ」を「ドラム缶テレビ」と言い間違えたり、「やってみたいアルバイトは?」と聞かれて「バイトリーダー」と答えてしまったりと、言葉のチョイスから行動まで、こちらの予想の斜め上をいく出来事がたくさん語られています。
最近のライブツアーや音楽イベントでも、海外アーティストとのトーク中に天然が炸裂して相手が思わず苦笑いしてしまう場面があり、その様子がSNSで拡散されていました。
「完璧なビジュアルなのに中身がちょっとポンコツで愛しい」という感想が多くて、読んでいてもすごく共感してしまいます。
整った顔立ちと圧倒的なパフォーマンス力、そしてちょっと不思議な天然キャラ。
そのギャップこそが、今も変わらない平野紫耀さんの大きな魅力なんだと感じます。
平野紫耀がジャニーズ事務所を退所した理由
2022年11月、King & Princeの平野紫耀さん・岸優太さん・神宮寺勇太さんが、2023年5月をもってグループを離れること、そして平野さんと神宮寺さんが同時にジャニーズ事務所(当時)を退所することが発表されました。
公式に説明された理由としては、デビュー当時から掲げてきた「世界進出」という目標を、現在の環境では実現しづらいと感じたことや、海外進出に対する考え方・グループの方向性に差が出てきたことなどが挙げられました。
さらにファンクラブ向け動画などでは、「このままの環境では海外で挑戦するという夢を叶えられないかもしれない」「年齢や人生を考えたとき、今決断しないと後悔する気がした」といった、より本音に近い心情も語られたとされています。
その言葉の一つひとつが重くて、画面越しでも胸が締め付けられたという声が多かったのもよく分かります。
一方で、当時の報道では、ジャニー喜多川さんの時代から続いていた“派閥構造”の変化や、事務所全体の方針転換が背景にあるのでは、という指摘もありました。
「ジャニーさんと一緒に描いていた世界進出のビジョン」と「新体制の事務所が描く戦略」との間にズレが生じていったのではないか、という見方です。
ただ、ここはあくまで外部メディアの分析であり、平野さん自身が明言しているわけではないので、事実として断定することはできません。
退所発表から5人体制ラストまでの流れは、2022年11月に発表、2023年5月に5人での最後のシングルやテレビ出演、コンサートを行い、同年5月22日に平野さんと神宮寺さんが退所(岸さんはのちに退所)という時系列でした。
SNSでは「さよならキンプリ」と呼ばれるほど大きな出来事で、タイムラインが悲しみと戸惑いで埋め尽くされていたように感じます。
それでも、「海外で挑戦するための前向きな決断だと思う」「環境が変わっても、夢を追いかける姿を応援したい」という声も多くて、泣きながらも背中を押そうとするファンの気持ちが伝わってきました。
今振り返ると、この退所という大きな選択があったからこそ、現在のNumber_iとしての活動や、世界をしっかり見据えた新しいステージへとつながっているように感じます。
あのときの寂しさと、今のワクワクが一本の線でつながっていると思うと、少しだけ救われるような気持ちになりますよね。
平野紫耀のプロフィールや経歴
The王道アイドルしてた平野紫耀はマジで最強だった pic.twitter.com/szyoqzB8vD
— (たなは) (@QXA7KsUAPfo1rN2) December 7, 2025
出身地:愛知県名古屋市
血液型:O型
ジャニーズ時代には、King & Princeのメンバーカラーが「深紅」として知られていて、そのイメージから「真紅の王子様」なんて言われることもありました。
赤が似合う平野さんを思い浮かべると、この表現にもすごく納得してしまいます。
平野紫耀はBOYS AND MENの初期メンバーだった
ジャニーズ事務所に入る前、中学2年生の頃に、名古屋の芸能事務所・セントラルジャパンに所属していました。
その流れで、名古屋のご当地男性グループ「BOYS AND MEN(ボイメン)」の前身プロジェクトに参加し、初期メンバーとして舞台やイベントに出演していた時期があります。
BOYS AND MENは、学ラン姿の“ヤンキー風・応援団風”のビジュアルが特徴で、歌やダンス、芝居を組み合わせたエンタメ集団として地元を盛り上げてきました。
平野さんもミュージカル「ストレートドライブ!」などの公演に出演しながら、表現力やステージ度胸を磨いていったように見えます。
グループからの脱退時期は公式には発表されていませんが、2011年9月にメンバーだった清水天規さんのブログで「いつの間にかボイメンを卒業してたショウ」と書かれていて、この頃にはグループを離れていたとみられています。
当時は「ボイメンを辞めてジャニーズに行った」という言われ方から、少し気まずさや確執があったのでは、と想像されることも多かったのですが、2025年には音楽賞の場でボイメンの辻本達規さんと再会し、笑顔でハイタッチする様子が報じられました。
このシーンには、SNSでも「元ボイメン解禁って感じで胸が熱くなった」「違う道を選んでも、こうやって並んでいる姿が見られてうれしい」といった声が寄せられていて、過去のイメージがやさしく上書きされたように感じた方も多かったと思います。
2010年にジャニーズ入所
ローカルユニット「BOYS AND MEN」での活動を経て、2012年2月にジャニーズ事務所(現:STARTO ENTERTAINMENT)へ入所しました。
きっかけは、高校1年生のときに参加したダンススクールの合宿でした。
東京でのレッスン中に、光GENJIや少年隊などを担当していたインストラクターの先生のつながりから、ジャニー喜多川さんと直接会う機会があり、その場でオーディションなしの入所が決まったとされています。
ジャニーズの中でも、オーディションなしで入るメンバーは“逸材”として見られることが多く、当時から平野さんの才能にかなり期待が寄せられていたことが伝わってきます。
入所後は名古屋在住だったこともあり、「東京ジャニーズJr.と関西ジャニーズJr.のどちらに所属するか」をジャニーさんから選ぶように言われたそうです。
そこで平野さんは、「もっとダンスを鍛えてから大きなステージに立ちたい」と考え、表舞台に出る機会がやや少ないと言われていた関西ジャニーズJr.をあえて選びました。
関西ジャニーズJr.時代には、向井康二さん・金内柊真さんとのユニット「Kin Kan」に加入し、コンサートや舞台で活躍していました。
この頃から、フロントに立つ存在として扱われていたことがわかるエピソードも多く、Jr.時代からずっと“推されポジション”にいたことがうかがえます。
その後、約2年ほど関西で活動したのち、2014年に拠点を東京に移してジャニーズJr.として全国区での活動が本格的にスタートしました。
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Mr.Kingのプロフィール❤️💙💛
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平野紫耀 永瀬廉 髙橋海人 pic.twitter.com/eTKJhVEVrC
東京に拠点を移した平野さんは、2015年に「Mr.King vs Mr.Prince」が結成されたタイミングで、「Mr.King」のセンターに抜擢されます。
2015年には「Mr.King vs Mr.Prince」として期間限定ユニットで活動し、その後2016年以降もユニットは継続され、「Mr.King」としての活動が続きました。
そして2018年5月、King & Princeとして「シンデレラガール」でCDデビューを果たし、一気に“国民的アイドル”へと駆け上がっていきます。
King & Princeは、メディアやSNSで「顔面偏差値が高すぎるグループ」として何度も取り上げられ、平野さんはその中でも“ビジュアルエース”“絶対的センター”といった言葉で語られていました。
俳優としても『花のち晴れ〜花男 Next Season〜』『クロサギ』などの話題作で主演を務め、映画『ういらぶ。』『かぐや様は告らせたい』シリーズなどでも存在感を放っています。
完璧なビジュアルに、キレのあるダンスと歌のスキル、俳優としての確かな演技力、そしてあの予測不能な天然キャラ。
この全部がそろっているからこそ、「スターオーラが桁違い」「同じ人間とは思えない」とSNSで語られるのも、すごく納得してしまいます。
ジャニーズ退所後TOBEに所属・Number_iとして活動
ジャニーズ退所後の大きなニュースが、2023年7月7日の生配信でした。
平野紫耀さんと神宮寺勇太さんが、滝沢秀明さん率いる新事務所「TOBE」への合流を、公式YouTubeを通じて発表したのです。
その後、同じ年の10月15日に岸優太さんも合流し、3人組ユニット「Number_i」が結成されます。
Number_iは、音楽、ダンス、ファッション、ビジュアルやアートワークに至るまで、トータルでプロデュースしていく「クリエイティブチーム」としての色が強いグループです。
公式サイトでも、MVやビジュアル作りへのこだわりが伝わるコンテンツが多く、グループ全体で世界観を作り上げているように感じます。
デジタルシングル「GOAT」は、配信リリース直後からストリーミングで好調な数字を記録し、CMタイアップや大型音楽番組への出演も続きました。
平野さんはNumber_iでも自然とセンター的なポジションに立っていて、ダンス構成への意見出しや、パフォーマンス全体のイメージ作り、ビジュアル面のアイデアなど、クリエイティブの中核を担っているとされています。
TOBEはもともと「世界市場を見据えた活動」を掲げている事務所で、Number_iも海外フェスやアジア圏のイベント出演の話題がたびたび上がっています。
ジャニーズ時代にはハードルが高かった本格的なグローバル展開に向けて、着実に準備を進めているように見えますよね。
SNSでは、海外アーティストとのコラボステージでの掛け合いがバズることも増えています。
「英語混じりでボケかまして相手を戸惑わせる平野くんがかわいい」「世界のステージに立ってるのに天然はそのままなのが最高」という声もあって、国内外のファンが一緒になって盛り上がっているのが印象的です。
平野紫耀の学歴
平野紫耀さんは、愛知県名古屋市の出身です。
大学には進学しておらず、高校卒業が最終学歴とされています。
幼い頃からダンスに打ち込み、中学から高校にかけては、芸能活動と学業を両立させながら過ごしてきました。
ここからは、出身中学と高校について、それぞれ見ていきます。
平野紫耀の出身中学
出身中学は、地元・名古屋市の公立中学校である「名古屋市立大森中学校」とされています。
ネット上では、一時期「学生時代がヤンキーすぎる」という噂が広がったこともありました。
ただ、実際に卒業アルバムに写っている姿を見ると、今と変わらない爽やかな雰囲気のイケメンで、笑顔も柔らかく、いわゆる“素行不良”というイメージとはかなり遠い印象を受けます。
「ヤンキー説」がここまで広まった大きな理由は、中学の卒業式で紫色の学ランを着て写っている写真が出回ったことでした。
卒アル 平野紫耀 pic.twitter.com/ppaj6G6wVz
— 卍 (@jl6ks_) September 13, 2019
たしかに、卒業式の日に紫の学ランでセンターに立つのはかなり攻めた選択ですし、写真だけを見るとインパクトは抜群です。
ただ、これは“見た目が少しヤンキー風な卒業写真が一人歩きした結果”という要素も大きく、実際の学校生活で問題児だった、という具体的な情報は特に出てきていません。
このセンターのヤンキーが、こーーんなキラキラスマイルのアイドルになったんだよ。人って分かんないよね。あなたがジャニーズになってくれてよかった。Mr.KINGのメンバーになってくれてよかった。笑顔の紫耀くんが大好きです。#平野紫耀 pic.twitter.com/XEUirN4V2Z
— ぽぴん (@popimm) August 12, 2016
むしろ、ダンスに打ち込むスポーツ男子タイプだった、と紹介しているメディアも多いです。
「このヤンキーっぽい子が、今は世界を目指すアイドルになっていると思うと、人って分からないよね」というファンのつぶやきにも、少しじんとくるものがありますよね。
平野紫耀の出身高校
出身高校は、通信制高校の「飛鳥未来高等学校・普通科(名古屋キャンパス)」とされています。
飛鳥未来高校は全国にキャンパスを持つ通信制の学校で、入試は作文と面接が中心で学力試験はなく、自分で通学スタイル(週に何日登校するかなど)を選べるのが特徴です。
レポート提出とスクーリングをこなすことで、高校卒業資格が取得できるシステムで、偏差値という指標はほとんど意味を持ちません。
「自分のペースで通えること」や「夢と学業の両立がしやすいこと」を大切にする生徒が多く、俳優やタレントとして活躍している卒業生も複数います。
芸能活動との相性が良い高校として知られているのも、そのためだと思われます。
平野さんも、中学時代から始めていた芸能活動とレッスン、仕事を両立するために、この高校を選んだと見られています。
2012年頃に入学し、仕事と並行しながらレポートやスクーリングをこなし、King & Princeとしてデビューする前に卒業したとされています。
高校生活そのものを思い切り楽しむ余裕は、正直あまりなかったのかもしれません。
実際にインタビューでは「高校時代にデートをしたことがない」と話していたこともあり、「青春をほぼ仕事に捧げてきたタイプなんだな」と感じた方も多かったと思います。
そのストイックさがあったからこそ、今の圧倒的なパフォーマンスやプロ意識につながっているのだろうなと、改めて思わされます。
まとめ
平野紫耀さんは、名古屋のローカルグループ「BOYS AND MEN」から芸能活動をスタートし、2012年にジャニーズ事務所(現:STARTO ENTERTAINMENT)へ入所しました。
King & Princeのセンターとして一気に国民的アイドルへと成長し、2023年に退所してからはTOBE所属の「Number_i」として、新しい世界を目指した挑戦を続けています。
見た目は完璧なイケメンなのに、テレビやライブでは「Mステーション」「ドラム缶テレビ」といった迷言や、干し柿を洗濯機で作ろうとするエピソードなど、忘れられない天然エピソードが次々に生まれ、そのギャップが大きな魅力になっています。
出身中学は名古屋市立大森中学校、出身高校は通信制の飛鳥未来高等学校(名古屋キャンパス)とされ、学生時代からダンスと芸能活動に全力で打ち込んできました。
現在はNumber_iとして世界市場を視野に入れた活動を展開しており、“国宝級イケメンなのに、どこか抜けていて親しみやすいスター”として、これまで以上に注目を集めています。




