総務大臣や自民党政務調査会長などを歴任し、長年にわたり政界の中心で活躍してきた高市早苗さん。
実は私生活では一度の結婚と離婚を経験しており、元旦那は同じく政治家の山本拓さんです。
二人がどのような経緯で結ばれ、どんな理由で夫婦としての道を分かつことになったのかは、多くの人が気になるところでしょう。
さらに子供や孫の存在についても注目されています。
政治家としての姿からは想像しにくい一面や、家族にまつわるエピソードを知ることで、高市さんの人となりがより身近に感じられるはずです。
高市早苗の元旦那は山本拓!
高市早苗さんは2004年に、自民党議員の山本拓さんと結婚しました。
山本拓さんは1952年生まれで福井県出身、もともとは地元の福井県議会議員を経て、1990年の第39回衆議院議員総選挙で初当選した経歴を持っています。
国会議員としてのキャリアは長く、農林水産副大臣や衆議院の特別委員長などを歴任し、政策畑で確かな実績を築いてきました。
また1994年には柿澤弘治さんらとともに自民党を離党し、自由党を結成するなど、保守政治の中でも独自の動きを見せてきた人物です。
さらに、第1次安倍内閣で農林水産副大臣に就任した際には、地域農業や食の安全保障の分野で積極的に活動していたことも知られています。
政治家としての実績だけでなく、人柄についても「現場主義で親しみやすい」との声があり、地元福井での支持も厚い方でした。
そんな山本拓さんと高市早苗さんの結婚は、同じ政界で活動していた二人ならではの縁ともいえます。
政界での立ち位置や政策スタンスの違いはありつつも、お互いに政治家として歩みを重ねてきた背景が、結婚につながった大きな要因だったと考えられます。
高市早苗に子供や孫がいる?
高市早苗さんと山本拓さんの間に実子はいません。
高市早苗さんは過去に婦人科系の病気で手術を受けており、その影響から妊娠や出産が難しい状況になったと自ら語っています。
子どもを望む気持ちは強く持ち続けていたものの、現実的に難しいと判断して諦めざるを得なかったそうです。
一方で、山本拓さんには前妻との間に子どもが3人いて、高市早苗さんは結婚を機に義理の母となりました。
その中でも長男の山本建さんは、2019年に福井県議会議員に初当選し、現在も政治の世界で活動しています。

民間企業勤務や国会議員秘書を経ての挑戦で、政治一家の中でもしっかりと自らの道を歩んでいる人物です。
慶應義塾大学の通信課程で学びながら、青年会議所で役職を務めるなど、地域活動にも力を入れています。
また、2007年には第一子が誕生し、そのとき高市早苗さんは「46歳でおばあちゃんになった」と周囲に語ったことが話題となりました。
さらに長女と次女も福井県内で生活しており、結婚して家庭を持っていると伝えられています。
ただし詳細な経歴や活動は公開されておらず、プライベートについては控えられているようです。
政界で公的な立場にある義母と異なり、一般的な暮らしを大切にしていると考えられます。
このように、高市早苗さんには実子はいないものの、義理の子どもや孫との関わりを通して「母」として、そして「祖母」としての一面を見せています。
政治の世界で厳しい姿勢を貫く一方で、家族に向ける温かい視線がうかがえるのも印象的です。
高市早苗と山本拓の馴れ初め
高市早苗さんと山本拓さんの出会いは、政治の現場で自然に重なり合ったものでした。
もともと同じ政策グループに属していたため顔見知りではあったものの、当初はお互いにあまり良い印象を持っていなかったそうです。
高市早苗さんは「無愛想な人だな」と感じ、山本拓さんも「気が強そうな女性」というイメージを抱いていたと語られています。
そんな二人の関係に変化が訪れたのは、2003年の衆議院選挙で高市早苗さんが落選したときでした。
過去に同じ経験をしていた山本拓さんが励ましの言葉をかけ、その姿勢に高市早苗さんが心を動かされたことがきっかけで距離が縮まります。
その後、山本拓さんが「真剣に結婚相手を探しているのなら僕が立候補します」と電話で伝えたエピソードは、当時の新聞記事やインタビューでも紹介されており(産経新聞・2014年9月記事など)、政治家同士らしい率直でドラマチックなプロポーズとして知られています。
高市早苗さん自身も「結婚を前向きに考えていた時期に声をかけてもらえたのはご縁だと思った」と振り返っており、2004年に二人は正式に結婚しました。
互いに真逆の第一印象から始まった関係が、人生の転機を支える存在へと変わったことは、多くの人に印象深く語り継がれています。
高市早苗と山本拓の離婚理由
高市早苗さんと山本拓さんは、2017年7月に離婚を公表しました。
表向きの生活は円満で、本人たちも「私生活では楽しく過ごしてきた」と振り返っていますが、根本的な違いとして挙げられたのが政治的なスタンスでした。
とくに憲法改正や安全保障、経済政策の方向性などで意見が食い違う場面が多く、それぞれが自らの信念を曲げずに活動したいという思いが強くなっていったといいます。
離婚を発表した際、高市早苗さんは「互いの信条を尊重した結果の選択」と説明しており、決して不仲や不祥事が原因ではないことを強調していました(読売新聞 2017年7月掲載)。
また、山本拓さんも「お互いに政治家としての活動を優先した」と語っており、両者ともに一定の理解と納得のうえでの判断だったことが伝わります。
実際、離婚後も同じ自民党に籍を置きながら、それぞれの持ち場で活動を続けており、公の場で対立を表立てるようなことはほとんどありません。
SNS上では「政治家同士だからこそ、別々の道を選んだのだろう」といった声も見られ、夫婦の関係というよりは同志としての側面が強く残ったとも言えそうです。
このように、二人の離婚理由は単純な不和ではなく、政治家としての在り方を優先するための決断であり、結果として互いのキャリアを尊重し合う形に落ち着いたと考えられています。
まとめ
高市早苗さんと山本拓さんの結婚から離婚までを振り返ると、同じ政治の世界に身を置いたからこそ分かち合えた経験と、どうしても乗り越えられなかった立場の違いの両方が見えてきます。
お互いに刺激を与え合いながらも、信念を優先するために別々の道を歩む決断をしたのは、政治家ならではの選択だったのかもしれません。
とはいえ、高市早苗さんが「私生活では円満だった」と語ったように、二人の間には確かな信頼関係があったことも伝わってきます。
これからもそれぞれが培ってきた経験を生かし、日本の政治にどう関わっていくのか注目したいですね。
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