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岸部一徳の若い頃ベースで活躍してた!身長や年齢・学歴なども調査

岸部一徳の若い頃ベースで活躍してた!身長や年齢・学歴なども調査 俳優
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岸部一徳さんは、「ドクターX ~外科医・大門未知子~」「相棒」など、話題のドラマに次々と出演し、主人公を引き立たせる名脇役として活躍されています。

今回は岸部一徳さんのプロフィールや学歴などについて調べてみました!

岸部一徳は若い頃タイガースのベースとして活躍!

現在では、名脇役俳優としてのイメージが強い岸部一徳さんですが、実は若い頃、「ザ・タイガース」というグループで音楽活動をされていました。

中学時代の同級生である瞳みのるさんに加え、高校進学後は森本太郎さん、加橋かつみさんと仲良くなり、1965年に4人でバンド「サリーとプレイボーイズ」を結成します。

「サリーとプレイボーイズ」では、主に、エレキインストナンバーを演奏していた岸部一徳さんたちですが、やがて、「ビートルズ」などの影響を受け、専属ヴォーカルの必要性を感じるようになり、「歌がうまいやつがいる」という評判を聞きつけます。

当時、四条河原町のダンスホール「田園」に出演していたバンド「サンダース」のヴォーカル兼サポートメンバーだった、沢田研二さんを誘い、1966年に上京後、バンド名を「ザ・タイガース」と改名し、演奏も、エレキインストナンバーから、ヴォーカル・インストゥルメンタル・グループ(歌が主体)と変更されました。

それまでは遊び感覚でやっていた岸部一徳さんたちでしたが、沢田研二さんがヴォーカルに加入したことをきっかけにプロを目指すこととなり、専属オーディションを受けることを目標に、日夜、練習に明け暮れる日々を送っていたようです。

そして、オーディションに見事合格し、演奏する契約を結んだのでした。

ちなみに、あの和田アキ子さんもファンだったそうです!

当時、追っかけをやっていた方も多かったようで、岸部一徳さんが囲まれていますね。

岸部一徳さんは同バンドでベーシストを務め、「サリー」という愛称で親しまれていました。

なぜ「サリー」という女性の名前なのかというと、岸部一徳さんは、身長181センチもある痩せ型だったことから、リトル・リチャードの楽曲「ロング・トール・サリー」(のっぽのサリー)にちなんで、音楽仲間によって名付けられたそうです。

昭和レトロな雰囲気が、今では新鮮で、岸部一徳さんの若かりし頃も素敵ですね。

岸部一徳のプロフィールや経歴

愛称:サリー
本名:岸部修三(きしべ しゅうぞう)
生年月日:1947年1月9日
血液型:A型
身長:181cm
出身地:京都府京都市
趣味:映画鑑賞
所属事務所:アン・ヌフ

2021年で74歳になった岸部一徳さんですが、今でも精力的に俳優として活動中です。

1971年に「ザ・タイガース」が解散した後も、PYG、井上堯之バンド時代を通じてベーシストとして活躍していました。

岸部一徳さんは、ベーシストとしての人気、実力ともに高く、各音楽雑誌で人気ベーシスト投票のトップ3の常連で、あの日本を代表するベーシストの一人、後藤次利さんにベースの手ほどきをしたことでも知られています。

そんな名ベーシストの岸部一徳さんでしたが、1975年に久世光彦プロデューサーの勧めでTBSドラマ『悪魔のようなあいつ』に出演したことを契機に、本格的に俳優業に転向することになりました。

ネット上でも「上手い人だと思っていたらすぐ売れっ子になった」という声があります。

その後,数々のドラマ、映画に出演し、1990年には映画『死の棘』で日本アカデミー賞最優秀主演男優賞を受賞、カンヌ映画祭でも受賞するなど、主演俳優として名を挙げる一方、名バイプレーヤーとしても活躍することとなりました。

また岸部一徳さんと言えば、人気シリーズ『相棒』の小野田官房長役等でも有名ですよね。

相棒が始まった頃からの、相棒主要メンバーの一人として出演されてきた岸部一徳さんの役柄は、相棒内でのキーパーソンでした!

また大人気ドラマ『ドクターX~外科医・大門未知子』シリーズでも、岸部一徳さんは欠かせない存在です。

現在も俳優活動と並行して音楽活動を継続しており、ザ・タイガースの再結成に参加したり、新しいユニットを結成したり、ドラマやCMなどでその衰えない腕前を披露しています。

ただ岸部一徳さんは2018年5月に激しい頭痛を訴え、都内にある大学病院の脳神経外科へ入院されていました。

脳血管系の病気だったそうで、以前から彼の体調への不安が、周囲でもささやかれていたようです。

『相棒』や『ドクターX』など人気ドラマに出演し続け、多忙な日々を送っていたため、不規則な生活がたたったのかもしれませんね。

1週間入院したのち、無事退院されましたが、健康に気をつけて、引き続き芸能活動に邁進して欲しいですね。

岸部一徳の学歴

京都府出身の岸部一徳さんですが、京都の中でも一番都会と言われる京都市の学校に通われていました。

出身学校について調べていきましょう!

岸部一徳の出身小学校

出身小学校は、京都市立朱雀第八小学校です。

父親の都合により、小学1年生の途中で伯母(父の姉)を頼って熊本県へ引っ越し、一年後には再び京都へ戻るなど、その後も小学校だけで4回ほど変わるなど転校が多かったと言われています。

もしかすると、あまりのんびりした小学校生活は送れていないのかもしれませんね。

岸部一徳の出身中学

中学校は、京都市立北野中学校に通っていました。

幼少期に両親が離婚している岸部一徳さんは、中学時代からすでに牛乳配達のアルバイトをされていたようです。

岸部一徳さんは、6人兄弟の三男ですが、家のことを考えて働きに出られていて、生活はかなり厳しかったと言われています。

岸部一徳の出身高校

高校は、京都市立伏見工業高等学校の建築科に通っていました。

伏見工業高等学校は、ラグビーの強豪校で、卒業生には金田瑛司さん、内田啓介さん、田中史朗さんなどがいます。

また監督の山口良治さんは、日本のラグビー指導者で元日本代表の選手で、1984年のテレビドラマ『スクール☆ウォーズ』の主人公の滝沢賢治のモデルとなった教師でもありました。

岸部一徳さんは、建築科に通われていたようなので、当時は建築系の職業も視野に考えられていたのでしょうか。

岸部一徳の出身大学

最終学歴は、高校になっているので、大学には進学されていないようです。

家庭の事情もあって、高校卒業後、すぐに働くことを選択されているのかもしれませんね。

まとめ

今回は岸部一徳さんのプロフィールや学歴などについてご紹介しました。

岸部一徳さんは名ベーシストから名バイプレイヤーに転向されていて、今ではドラマ、映画でも欠かせない存在となっています。

これからも岸部一徳さんの活躍に期待していきたいと思います。

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