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小籔千豊が肉を食べない理由は?祖父や妹・実家や父親と母親なども調査

小籔千豊が肉を食べない理由は?祖父や妹・実家や父親と母親なども調査 お笑い芸人
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バラエティ番組、吉本新喜劇、俳優と幅広くに活躍している小籔千豊さんですが、どういった家族で育ったのでしょうか。

また、小籔千豊さんはバラエティ番組などでお肉を食べないで有名な人です。

その理由は一体何故なのでしょうか。

そこで今回は小籔千豊さんがお肉を食べない理由や、どういう家族の中で育ったのか、実家のことなど調べてみました。

小籔千豊が肉を食べない理由は祖父だった!

小籔千豊さんはバラエティ番組などで、お肉を食べないということで有名な人です。

なぜ小籔千豊さんはなぜ肉を食べないのでしょうか?

肉を食べない人の中には、宗教的な理由をよく耳にしますよね。

実はその理由は、宗教的な問題でなくおじいさんの教えから、肉を食べていないと話しています。

そのため、小藪家では一家揃って肉を食べない家庭なのです。

厳密に言うと、食べないのはあくまでお肉だけで、魚肉は普通に食べています。

なので、ベジタリアンという訳でもありません。

牛豚鶏の肉を食べない「ノンミートイータ」ということですね。

乳製品、魚介、卵は食べます。

現在でも「肉は気持ち悪くて食べられない」とのことです。

テレビ番組の収録でもお肉はきっちりよけています。

ですが、他人に対して小籔千豊さんは、以下のことは気を遣っています。

  • 娘にはお肉は食べさせる
  • 食事中は自分はお肉は食べないが同席している人には遠慮なく食べて欲しい
  • 他人に無理強いはしたくない

なので、自分はお肉は食べないが周囲の人を巻き込んでいる訳ではないですね。

自分の思想を他人に押し付けたりはせずに、小籔千豊さん自身だけで完結させています。

小籔千豊の祖父はどんな人?

それでは、お肉を食べさせない小籔千豊さんのおじいさんは、一体どういった人なのでしょうか。

祖父は診療所を開業しているお医者さんで、玄米菜食主義の人です。

その為、小籔家では以下のような食生活をしていました。

  • 幼少期から、水道のお水は一切飲まない
  • 青汁を飲む
  • 水は一日に2ℓは飲む
  • 風邪を引いたら酵素を飲む
  • 白米ではなく玄米を食べる

とても、健康志向ですね。

白米を初めて食べたのは、小学校4年生だったと小籔千豊さんは仰っています。

10歳まで白いお米を食べてこなかったなんて、すごいですよね。

小籔家では、お医者さんである祖父の思想を家訓のように従っています。

なので、おじいさんは非常に尊厳のあるお方のようですね。

小籔千豊の妹の嫁ぎ先がすごい?

小籔千豊さんには、妹さんがいます。

妹さんの顔は、『人志松本のすべらない話』でもよくお話されてる通り、小籔千豊さんにとてもそっくりだそうです。

そんな、妹さんは実はスゴいとこに、嫁いでいると話題になっています。

名古屋で有名な和菓子屋の「松河屋老舗」です。

「松河屋老舗」 は、1862年に創業された老舗中の老舗である和菓子屋さんです。

名古屋市中区栄4丁目に本社があり、生菓子を中心に製造・販売もしています。

そこの社長の西野嘉高さんが、なんと小籔千豊さんの妹の旦那さんなのです。

店名 : 御菓子所 松河屋老舗 本店

住所 : 愛知県名古屋市中区栄4丁目9-27
   
電話番号 : 0120-758-830(052-262-0201)

営業時間 : 9:00~18:00

駐車場 : あり

ホームページ:https://www.matsukawaya.jp/

小籔家の実家もお金持ちですから、良家同士の結婚ですね。

小籔千豊の実家

小籔千豊さんはどういう実家で育ったのでしょうか。

調べたところ、大阪住之江にある、小籔商会という自転車屋さんが、小籔千豊さんの実家です。

世界にある珍しい自転車や、高級自転車、ママチャリまで幅広い品揃えで、住吉区で一番有名な自転車屋さんです。

バブルの時は、高級自転車店として儲かっていたそうです。

小籔千豊さんが有名になってからは庶民的な普通の自転車屋さんとして営業されています。

小籔千豊の父親の職業

小籔千豊さんのお父さんは、どんなでしょうか。

お父さんの職業は、実家の自転車屋と保護司(※民間のボランティア)をされている、『小籔邦博』さんです。

小籔千豊さんの初冠番組に、お父さんの邦博さんもレギュラー出演していました。

TwitterやFacebookのアカウントを持っており、公に顔は認知されています。

妹と同じく、お父さんも小籔千豊さんと顔が激似です。

小籔千豊の母親はどんな人?

小籔千豊さんのお母さんは一体どんな人でしょうか。

実は、小籔千豊さんとお母さんの間には深い絆があったんです。

小籔千豊のお母さんは、小籔さんが座長に就任する前に死去しています。

お母さんからは、あまり愛されていなかったと感じていたいたそうです。

しかし、お母さんが病気になりモルヒネ(※鎮痛剤)で意識朦朧とする中、小籔さんの子供の時の想い出を語る姿を見て、小籔さんは考えを改めました。

お母さんは亡くなる4時間程前に「プリンが食べたい」と言い、それを聞いた小籔さんは大急ぎで閉店前の百貨店でプリンを購入することができて、小藪さんが病院へ戻った時にお母さんは、もうその時プリンを食べられる状態ではありませんでした。

小籔さんはこの時、お母さんがプリンが大好きということを知っていたのに、それまで一回も買っていなかったことを後悔したのです。

それ以来、小籔千豊さんは周囲の大切な人に「親は明日死ぬかもしれん」と、だから親孝行するよう言っています。

またラジオの企画で一連の話を歌にしてみたらどうですか?という話があったのですが、小籔千豊さんは最初は恥ずかしいからと断っていました。

しかし、自身が味わった後悔の念を想い出し、自分のように後悔しないように多くの人に伝えたいと思い、『プリン』という曲の作詞をし、CDを発売しました。

その後は、小学校などの講演会で自身の想いを伝えています。

この話は2013年7月4日、テレビ朝日 徹子の部屋の番組内でお話され、黒柳徹子さんは涙しました。

とても母親想いな小籔千豊さんですね。

まとめ

毒舌キャラな印象が強い小籔千豊さんでしたが、すごく優しい人だとわかりましたね。

だから、世間からの人気や、周囲からの人望も熱いのでしょう。

今後の活躍にも期待していきたいですね。

お笑い芸人
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