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武井壮の十種競技の記録は?出身高校や大学・筋肉についても調査

武井壮の十種競技の記録は?出身高校や大学・筋肉についても調査 タレント

「百獣の王」として知られる武井壮さんは、陸上の十種競技で日本一になった経歴を持っています。

ただ、その記録が具体的にどれくらいのものだったのかは、あまり知られていないかもしれません。

大学に入ってから陸上を始め、わずか2年半で日本選手権を制しています。

今回は武井壮さんの十種競技の記録をはじめ、出身高校や大学などの学歴、そして今も衰えない筋肉について調べてみました。

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武井壮の十種競技の記録は?日本選手権優勝時の点数

武井壮さんは、陸上の十種競技で日本一になった経歴を持っています。

その記録がどれくらいのものだったのか、具体的な数字を見ていきましょう。

1997年日本選手権で7,606点を出して優勝

武井壮さんが日本一になったのは、1997年に行われた第81回日本陸上競技選手権大会です。

このとき記録したのが、7,606点でした。

所属は中央学院大学で、大学4年生のときの優勝です。

日本陸上競技連盟の歴代優勝者ページにも、この記録が残されています。

出典:日本陸上競技連盟

なお、武井壮さんの日本選手権での優勝は、この1回です。

複数回制したという書き方を見かけることがありますが、公式記録として確認できるのは1997年の1回になります。

モモ
モモ

7,606点ってすごいの?

ナギ
ナギ

その年の日本一です

十種競技は、2日間かけて10種目を行い、その合計得点で順位を競う競技です。

短距離も跳躍も投てきも、すべてこなさなければなりません。

ひとつの種目に特化した選手が勝てる競技ではなく、身体能力の総合力が問われます。

その競技で日本一になった7,606点という数字は、武井壮さんの競技者としての実力を示す最も分かりやすい記録です。

全日本インカレでは100mで10秒54を記録

もうひとつ、武井壮さんの記録として残っているのが全日本インカレのものです。

1997年の第66回日本学生陸上競技対校選手権大会で、武井壮さんは7,500点を記録して優勝しています。

この大会の公式結果には、10種目それぞれの数字が残されています。

  • 100m 10秒54
  • 走幅跳 7m16
  • 砲丸投 11m77
  • 走高跳 1m90
  • 400m 48秒09
  • 110mハードル 14秒74
  • 円盤投 35m98
  • 棒高跳 4m50
  • やり投 44m50
  • 1500m 4分30秒93

出典:日本学生陸上競技連合

この中でとくに注目されているのが、100mの10秒54です。

十種競技の中で出された100mの記録としては、当時の日本記録にあたるものだったと紹介されています。

出典:Olympics.com

十種競技の選手は10種目に体力を配分する必要があるため、短距離専門の選手ほどタイムを追い込めません。

その条件で10秒54を出しているところに、武井壮さんの走力の高さが表れています。

モモ
モモ

100mだけでも速いんだ

ナギ
ナギ

配分しながらの記録です

なお、上に挙げた数字はあくまで1997年の全日本インカレという1つの大会で出されたものです。

それぞれの種目における生涯の自己ベストというわけではありません。

投てきや跳躍の単独種目としての公認記録をまとめて確認できる資料は見当たらないため、ここでは大会の結果として掲載しています。

こうして数字で見ていくと、武井壮さんが「元日本一」と紹介される理由がはっきりします。

そして驚くのは、この記録を出した時点で武井壮さんの陸上経験がまだ数年しかなかったことです。

その経緯については、後の章で詳しくご紹介します。

武井壮は世界陸上に出場した?世界マスターズでの成績

武井壮さんについて調べると、「世界陸上に出場したのか」という点が気になる人も多いようです。

結論から言うと、世界陸上競技選手権への選手としての出場を裏づける記録は見当たりません。

一方で、世界マスターズ陸上には出場しており、メダルも獲得しています。

この2つはよく混同されますが、まったく別の大会です。

世界陸上競技選手権は各国の代表選手が争う大会で、日本代表として選出される必要があります。

対して世界マスターズ陸上は、35歳以上の選手が年齢別のクラスに分かれて出場する大会です。

武井壮さんが実績を残しているのは後者になります。

モモ
モモ

同じ大会じゃないんだ

ナギ
ナギ

年齢別の大会です

2013年の200mで銅メダル

武井壮さんが世界マスターズ陸上でメダルを獲得したのは、まず2013年の大会です。

開催地はブラジルのポルトアレグレでした。

武井壮さんは男子200mの40歳から44歳のクラスに出場し、決勝で22秒64を記録します。

この結果、銅メダルを獲得しました。

出身校である中央学院大学も、この成績を紹介しています。

出典:中央学院大学

当時の武井壮さんは40歳です。

すでにタレントとしての活動が本格化していた時期にあたります。

テレビ出演をこなしながら国際大会でメダルを取っていたことになります。

2018年のリレーで金メダル

さらに2018年、スペインのマラガで行われた大会にも出場しました。

このとき武井壮さんが出たのは、男子4×100mリレーの45歳クラスです。

武井壮さんは第1走者を務め、チームは43秒77で走り切りました。

そしてこのレースで金メダルを獲得しています。

出典:MAiDiGiTV

45歳でリレーの1走を任されるということは、チームの中でスタートの安定感と初速が評価されていたということです。

大学から陸上を始めた人が、40代半ばで世界の舞台に立ち続けている。

競技を続けるという意味では、現役時代よりも長い時間を走り続けていることになります。

こうした実績があるため、武井壮さんの競技歴を「大学時代だけ」と捉えるのは正確ではありません。

日本一になった1997年から20年以上たった後も、国際大会に出て結果を残しています。

年齢を重ねても身体を維持し続ける姿勢は、SNS上でもたびたび話題になってきました。

「50代でこの動きは異常」「見習いたい」といった声が寄せられており、同世代からの支持が厚いところです。

その身体をどう作っているのかについては、後の章で詳しくご紹介します。

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武井壮のプロフィール

ここで武井壮さんの基本的なプロフィールを見ておきましょう。

生年月日:1973年5月6日
出身地:東京都葛飾区
身長/体重: 175センチ、69キロ
血液型:A型
所属:SPECIALIST JAPAN

    出典:武井壮公式サイト ORICON NEWS

    武井壮さんは1973年5月6日生まれです。

    2026年8月時点で53歳になります。

    出身は東京都葛飾区で、下町として知られる地域で育ちました。

    身長は175cmです。

    体重については69kgという数字が広く紹介されていますが、公式サイトや所属事務所による最新の掲載は見当たりません。

    競技や活動に合わせて体を作り変えている人でもあるため、固定の数字として受け取らないほうがよさそうです。

    モモ
    モモ

    もう53歳なんだ

    ナギ
    ナギ

    動きは変わっていません

    175cmという身長は、十種競技の選手としては大柄なほうではありません。

    海外のトップ選手には190cm前後の体格を持つ人も多く、投てき種目では体格差がそのまま記録差になりやすい競技です。

    その中で7,606点という記録を出しているのは、走力と技術で不利を補った結果といえます。

    所属しているのはSPECIALIST JAPANです。

    同社のプロフィールでは、元十種競技日本チャンピオンとして紹介され、テレビやラジオを中心に活動していると記載されています。

    出典:SPECIALIST JAPAN

    年齢の話題は、武井壮さんについて語られるときに必ずといっていいほど出てきます。

    50代に入っても身体の動きが落ちていないことが、その理由です。

    SNS上では「同い年とは思えない」「希望になる」といった声が並んでいます。

    こうした反応が集まる背景には、武井壮さんが日々続けている習慣があります。

    なお、武井壮さんが葛飾区でどのような子ども時代を過ごしたのかについては、こちらの記事で詳しくまとめています。

    武井壮の兄・武井情の死因は?生い立ちや父親・母親など家族構成も調査

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    武井壮の学歴は?出身小学校から大学まで

    武井壮さんは運動能力の高さで知られていますが、学生時代は勉強でも結果を残しています。

    中学と高校の6年間は特待生として通い、学費を1円も払っていません。

    小学校から大学まで、順番に見ていきましょう。

    武井壮の出身小学校

    武井壮さんは、葛飾区立亀青小学校に通っていたと言われています。

    この時期の武井壮さんは、両親と離れてお兄さんと2人で暮らしていました。

    小学生ではアルバイトができません。

    そこで武井壮さんは、近所の家を1軒ずつ訪ねて交渉するという方法を考えます。

    朝、ごみ袋を家の前に出しておいてもらえば、集積所まで自分が運ぶという仕事です。

    月極めで500円、これを150軒ほど受けていたと言われています。

    モモ
    モモ

    小学生が営業したの?

    ナギ
    ナギ

    仕事を自分で作りました

    近所の駄菓子屋の人が気にかけてくれていたことも、武井壮さん本人が後年に明かしています。

    またこの頃から、坂道ダッシュを好んでいました。

    少しでも速く走りたいという気持ちから、自分でタイムを計ってデータを取り、走り方を研究していたそうです。

    大学に入ってから陸上で日本一になる素地は、すでにこの時期に見えていたことになります。

    小学生時代の暮らしについては、こちらの記事で詳しくまとめています。

    武井壮の兄・武井情の死因は?生い立ちや父親・母親など家族構成も調査

    武井壮の出身中学

    武井壮さんは、東京都葛飾区にある修徳中学校を卒業しています。

    出典:Olympics.com

    中学時代は野球部に所属していました。

    この学校を選んだ理由は、成績優秀者に対する学費免除と奨学金の制度があったからです。

    武井壮さんは中学3年間、成績首位を保ち続けました。

    通っていた中学は給食ではなく弁当を持参する決まりでしたが、武井壮さんは自分で作ることも買うこともできない日がありました。

    そんなとき、さりげなく何か食べさせてくれたのが野球部の監督でした。

    武井壮の出身高校

    中高一貫校だったため、武井壮さんはそのまま修徳高等学校へ進学し、卒業しています。

    高校ではボクシングに取り組みました。

    出典:Olympics.com

    高校でも特待生を維持しており、中学と合わせて6年間、学費を支払っていません。

    成績を落とせば通えなくなるという状況が続いていたことになります。

    競技に打ち込みながら学年トップを保ち続けたわけです。

    なお武井壮さんは自身のSNSで、高校時代を文化部だったと冗談めかして表現したことがあります。

    実際には野球とボクシングに取り組んでいますので、こちらは本人流のユーモアです。

    武井壮の出身大学

    武井壮さんは神戸学院大学法学部法律学科に進学し、卒業しています。

    その後、中央学院大学商学部へ編入し、1998年に卒業しました。

    出典:兵庫県私立大学情報

    編入の理由は、陸上競技でスカウトを受けたためです。

    ネット上では中央大学と書かれていたり、大学を中退したとされていることがあります。

    ただし正しくは中央学院大学であり、いずれの大学も卒業したとする資料が確認できます。武井壮の十種競技の記録は?出身高校や大学・筋肉についても調査

    モモ
    モモ

    大学2つ出てるんだ

    ナギ
    ナギ

    両方とも卒業しています

    武井壮さんが陸上を始めたのは、神戸学院大学に入学してからです。

    それまで陸上競技の経験はまったくありませんでした。

    入学当初は野球かアメリカンフットボール、あるいは柔道をやろうと考えていたそうです。

    そこで進路を変えたのは、中学時代の友人からの一言でした。

    100mを10秒台で走るその友人から、「お前は走る才能があるから、陸上をしたほうがいい」と勧められたのです。

    さらに武井壮さんは、神戸学院大学で社会科、中央学院大学で商業科の高等学校教員免許を取得しています。

    競技と両立しながら免許まで取っているところに、中高時代からの姿勢が続いていることが表れています。

    武井壮が陸上を始めたのは大学から!2年半で日本一

    武井壮さんが陸上競技を始めたのは、大学に入学してからです。

    それまで陸上の経験はありませんでした。

    そこから日本選手権を制するまでにかかった期間は、およそ2年半とされています。

    競技歴の短さを考えると、異例の速さです。

    出典:Olympics.com

    最初の大会でいきなり10秒9

    武井壮さんが最初に取り組んだのは、100mの短距離走でした。

    そして生まれて初めて出場した大会で、10秒9というタイムを記録します。

    陸上経験のない選手が初戦で出す数字ではありません。

    この結果が、その後の進路を決めることになりました。

    モモ
    モモ

    初レースで10秒9?

    ナギ
    ナギ

    素質がありました

    大学3年生になると、武井壮さんは十種競技に出場するようになります。

    短距離だけでなく、跳躍や投てきも含めた10種目に取り組む競技です。

    未経験の種目が一気に増えることになりますが、武井壮さんはここで結果を出していきます。

    「2年で日本一になる」と決めた編入後

    中央学院大学へ編入した武井壮さんは、明確な目標を立てました。

    2年で日本一になる、という目標です。

    そして授業以外の時間のほとんどを練習に費やしました。

    小学生の頃に坂道ダッシュのタイムを計ってデータを取っていた武井壮さんです。

    自分の動きを分析し、改善点を洗い出していく習慣が、この時期に生きたと考えられます。

    その結果が、1997年の日本選手権での7,606点による優勝でした。

    同じ年の全日本インカレでも7,500点で優勝しています。

    宣言どおり、日本一の座を手にしたことになります。

    日本一になった後の落胆

    ところが、日本一になった武井壮さんは大きく落胆することになります。

    理由は、街を歩いていても誰も自分に気づかなかったことでした。

    武井壮さんは「チャンピオンになったらスターになれる」「人生が開ける」と考えていました。

    しかし現実は違いました。

    十種競技という競技自体の知名度が高くなかったためです。

    この経験から、武井壮さんは次の道を考え始めます。

    「テレビでたくさん放映されているゴルフだったらいいんじゃないか」という発想です。

    そこで一番になれば、自分の求めているものが手に入るのではないか。

    そう考えた武井壮さんは、大学卒業後にゴルフへ転向し、アメリカへ留学しました。

    なお、陸上競技を離れた理由について、武井壮さん本人が詳しく説明した記録は見当たりません。

    けがや挫折といった事情があったとする記述も見かけますが、裏づけとなる本人の発言は確認できないところです。

    その後の武井壮さんがどのように今の立場を築いたのかについては、こちらの記事でまとめています。

    武井壮はなぜ金持ちなの?肩書きや年収・愛車についても調べてみた

    武井壮の筋肉はしょぼい?体づくりの考え方

    武井壮さんといえば、鍛え上げられた身体が知られています。

    腹筋や腹斜筋の写真がSNSで話題になることも多く、50代とは思えないと驚かれてきました。

    その一方で、ネット上では「筋肉がしょぼいのでは」という声が上がることもあります。

    ボディビルダーのような大きさがないという意味合いです。

    ただ、これは武井壮さんが目指している身体の方向性が違うためだと考えられます。

    大きくすることが目的ではない身体づくり

    武井壮さんは、ただ身体を大きくしたいわけではないと語ってきました。

    十種競技は、走る・跳ぶ・投げるをすべてこなす競技です。

    筋肉を大きくしすぎれば体重が増え、走力や跳躍力に影響が出ます。

    必要なのは、動きにつながる筋肉です。

    見た目の太さではなく、身体をイメージどおりに動かせるかどうかが基準になります。

    モモ
    モモ

    大きければいいわけじゃないんだ

    ナギ
    ナギ

    動くための身体です

    武井壮さんが発信しているトレーニングを見ると、その考え方がよく分かります。

    2025年3月には、逆立ちの状態で脚を開閉させたり回転させたりする運動を紹介しました。

    上半身と胴回り、股関節周辺、そしてバランス感覚を同時に鍛えることが狙いだと説明しています。

    出典:ORICON NEWS

    同年5月には、後転から倒立して静止する動きも紹介しています。

    こちらはバランス感覚や三半規管を含めた全身の感覚を鍛えるものだと語られていました。

    出典:スポーツブル

    どちらも重量を持ち上げるトレーニングではありません。

    身体をどう制御するかに重点が置かれています。

    なお、これらはかなり高度な動きです。

    そのまま真似をすると転倒する危険があるため、実践する場合は無理のない範囲にとどめてください。

    毎日3時間を自分に投資する習慣

    武井壮さんは、毎日3時間を自分への投資に充てていると語っています。

    内訳は、フィジカルトレーニングに1時間、知識を得ることに1時間、新しい技術を身につける練習に1時間です。

    出典:Forbes JAPAN

    知識を得る時間には、独自の工夫があります。

    司会者役と回答者役を1人で演じ、調べた内容を自分の言葉で説明し直すという方法です。

    入れるだけでなく、出すところまでを1セットにしているわけです。

    身体だけでなく、話す技術も同じやり方で磨いてきたことになります。

    この3時間を毎日積み重ねた結果が、53歳になっても落ちない動きにつながっています。

    なお武井壮さんは2024年、筋肉増強剤の不適切な使用が広がっていることに警鐘を鳴らす企画に参加しました。

    室伏広治さんや谷本道哉さんとともに、正しい身体づくりを伝える立場での参加です。

    出典:産経新聞

    食事についても考え方があります。

    武井壮さんは鍛えたい部分の肉を食べることを勧めており、学生時代には脚力を上げるために馬肉を好んで食べていたそうです。

    武井壮の利き手は左?使い分けているって本当

    武井壮さんの利き手については、左だと紹介されることがあります。

    ただ、実際はもう少し複雑です。

    武井壮さん本人の説明によると、用途によって左右を使い分けています。

    生まれたときは右利きだった

    武井壮さんは自身のXで、生まれたときは右利きだったと明かしています。

    そこから途中で左に変えたという経緯です。

    現在の使い分けは以下のようになっています。

    • 投げる:左
    • 書く:左
    • 箸:左
    • ゴルフ:右打ち
    • 野球:左打ち

    出典:武井壮公式X

    日常の動作は左、ゴルフだけは右という形です。

    そのため「左利き」とひとことで言い切るより、両利きに近いスタイルと説明するほうが実態に合っています。

    モモ
    モモ

    後から変えられるの?

    ナギ
    ナギ

    本人が変えました

    利き手を変えるという発想自体、あまり一般的ではありません。

    しかし武井壮さんの場合、スポーツで有利になるという理由から取り組んだとされています。

    小学生の頃から坂道ダッシュのタイムを計って研究していた人です。

    自分の身体を条件に合わせて作り変えるという考え方が、この時期からあったことになります。

    イメージどおりに動かす練習

    武井壮さんは、利き手を矯正するトレーニング方法をYouTubeで紹介したこともあります。

    その中で重視されているのが、頭で描いたとおりに手を動かせるかどうかという点です。

    筋力の問題ではなく、脳と身体をつなぐ感覚の問題として捉えています。

    この考え方は、前の章で触れた身体づくりの方針とも共通しています。

    大きくすることではなく、思ったとおりに動かせることを目指す。

    利き手の使い分けも、その延長線上にある取り組みだと考えられます。

    利き手が決まっていれば、両方を使えるようにする必要はほとんどありません。

    それでも取り組んでしまうところに、武井壮さんらしさが表れています。

    十種競技という10種目をこなす競技を選んだことにも、同じ性格が見えてきます。

    ひとつに絞らず、できることを増やしていく。

    その積み重ねが、現在の幅広い活動につながっているといえそうです。

    武井壮の百獣の王の由来は?本人が語る意味

    武井壮さんの代名詞となっているのが「百獣の王」という肩書きです。

    この呼び名がどこから来たのか、気になっている人も多いのではないでしょうか。

    起点になったのは、動物との対戦を想定したシミュレーションでした。

    動物をどう倒すかを考える芸から生まれた

    武井壮さんは、ライオンやクマといった動物と対峙したときにどう対処するかを考え、それを発信していました。

    実際に猛獣と戦ったという話ではありません。

    もし遭遇したらどう動くかを組み立てて語る、シミュレーションとしての芸です。

    これが「百獣の王を目指す男」として注目を集めるきっかけになりました。

    出典:NHKアーカイブス

    そして2012年、中居正広さんが司会を務めたフジテレビ系の番組に出演したことで、この肩書きが広く知られるようになります。

    そこからタレントとしての活動が本格化していきました。

    モモ
    モモ

    本当に戦ったのかと思った

    ナギ
    ナギ

    想定の話なんです

    このシミュレーションが生まれた背景には、ゴルフ留学時代の出来事があります。

    アメリカで減量のために山を走っていた武井壮さんは、大きな鹿と遭遇しました。

    襲われると思った瞬間、腰が抜けてしまったといいます。

    鹿はそのまま走り去り、何事もなく終わりました。

    しかしこの経験は、武井壮さんにとって大きな衝撃だったそうです。

    陸上で日本一になり、ゴルフも試合に出られるところまで来たのに、山の中で動物に出会ったら何もできなかった。

    そこから武井壮さんは、動物図鑑を買い込んで生態を調べ始めます。

    動物から身を守る能力を身につけるためのトレーニングが、そこから始まりました。

    この取り組みが後にスポーツトレーナーという仕事につながり、芸能活動の出発点にもなっています。

    本人が説明する「百獣の王」の意味

    武井壮さん自身は、この肩書きについて別の説明もしています。

    「百獣の王」とは自由につけた理想の自分である、という内容です。

    日々成長し続け、誰にも攻略されない存在であり続けること。

    それが目指しているところだと語られています。

    出典:withnews

    動物より強いという意味ではなく、自分自身への目標として掲げた言葉ということになります。

    毎日3時間を自分に投資し続ける習慣も、この理想と地続きです。

    昨日の自分より今日の自分が成長できているか。

    武井壮さんが繰り返し語ってきた言葉が、そのまま肩書きの中身になっています。

    なお、独特な肩書きや風貌から、他の芸能人と似ていると言われることもあります。

    そちらについてはこちらの記事で検証しています。

    武井壮に似てる芸能人が何人かいたので画像で比較検証してみた

    H2:武井壮の現在は?フェンシング協会会長を退任後の活動

    武井壮さんは、日本フェンシング協会の会長を務めていた時期があります。

    2021年6月19日に就任し、2022年11月19日に任期満了で退任しました。

    現在は会長職を離れており、後任には千田健一さんが選出されています。

    出典:ニッポン放送 サンケイスポーツ

    フェンシング未経験での会長就任

    就任時に話題になったのは、武井壮さんにフェンシングの競技経験がなかったことです。

    前任の太田雄貴さんが退任を発表した会見で、この人事が明らかにされました。

    選ばれた理由として挙げられたのが、ビジョンを掲げられることと発信力があることでした。

    武井壮さん自身も、就任にあたって自分の経験を語っています。

    自分もマイナー競技の出身で、日本一になっても生活が豊かにならなかった。

    そこから道を変えて10年で現在の立場を確立した。

    その経験をフェンサーに伝えていきたいという内容でした。

    【吹き出し位置】
    モモ「経験なしで会長?」→ ナギ「発信力が評価されました」

    十種競技で日本一になっても誰にも気づかれなかったという経験は、前の章でご紹介したとおりです。

    競技の知名度をどう上げるかという課題に、当事者として向き合ってきた人物ということになります。

    2023年以降はゴルフの資格取得へ

    会長を退任した後の武井壮さんは、ゴルフに本腰を入れています。

    2023年7月には、日本プロゴルフ協会のティーチングプロB級講習会の受講者を選ぶ実技試験に合格しました。

    出典:ゴルフダイジェスト

    同年11月には、面接と学科試験にも合格したことを本人が報告しています。

    出典:TBS NEWS DIG

    大学卒業後に一度ゴルフへ転向した経験がある武井壮さんですが、今回は指導する側の資格に挑戦した形です。

    2026年3月には、テレビ東京『武井壮のゴルフバッグ担いでください』にMCとして出演しました。

    ゴルフのコースマネジメントを学ぶ内容の番組です。

    出典:テレビ東京

    俳優としての受賞も

    もうひとつの動きが、演技の分野です。

    2024年にはタイ映画『URANUS2324』に出演しました。

    出典:映画.com

    さらに2025年には、武井壮さんが主演を務めたショートフィルム『Flicker』が、ぐんま次世代映像クリエイターコンペ2025で審査委員特別賞を受賞しています。

    出典:Short Shorts Film Festival & Asia

    このほか、サッカー選手の本田圭佑さんが発起人となった東京都社会人サッカーリーグ3部のEDO ALL UNITEDで監督を務めた経歴もあります。

    競技、指導、番組、演技と、活動の幅は年々広がっています。

    なお、武井壮さんの結婚や恋愛については、こちらの記事でまとめています。

    武井壮は結婚してる?元嫁や吉田沙保里との関係・歴代彼女も調査

    まとめ

    今回は武井壮さんの十種競技の記録や学歴、身体づくりについてご紹介しました。

    武井壮さんは1997年の第81回日本陸上競技選手権大会で7,606点を記録し、優勝しています。

    同じ年の全日本インカレでも7,500点で優勝しており、その中の100mでは10秒54を記録しました。

    世界陸上競技選手権への出場を確認できる記録は見当たりませんが、世界マスターズ陸上では2013年の200mで銅メダル、2018年のリレーで金メダルを獲得しています。

    学歴は、葛飾区立亀青小学校に通っていたとされ、修徳中学校から修徳高等学校へ進みました。

    中学と高校の6年間は特待生として学費を免除されています。

    大学は神戸学院大学法学部を卒業した後、中央学院大学商学部へ編入して卒業しました。

    陸上を始めたのは大学に入ってからで、そこから2年半で日本一になっています。

    身長は175cm、1973年5月6日生まれで2026年8月時点では53歳です。

    身体づくりについては、大きくすることではなくイメージどおりに動かすことを重視しています。

    毎日3時間をトレーニングと知識と技術の習得に充てる習慣を続けてきました。

    利き手は生まれたときが右で、現在は書く・投げる・箸が左、ゴルフは右打ちという使い分けです。

    「百獣の王」は動物との対戦を想定したシミュレーションから生まれた肩書きで、本人は自由につけた理想の自分だと語っています。

    日本フェンシング協会の会長は2022年11月に任期満了で退任し、その後はゴルフの指導者資格や俳優としての活動に取り組んでいます。

    50代を迎えても止まらない武井壮さんの挑戦に、これからも注目していきたいと思います。

    出演してる『カムカムエヴリバディ』についてはコチラ!
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