タレントとしてもアスリートとしても活躍する武井壮さんですが、その生い立ちは壮絶なものでした。
小学4年生の頃には両親が家に帰らなくなり、2歳年上のお兄さんと2人で生きていくことになります。
そのお兄さんは24歳の若さで亡くなりました。
今回は武井壮さんの兄・武井情さんの死因や、9歳で別れたお母さん、美容室を経営していたお父さんまで、家族構成について調べてみました。
武井壮の生い立ちは壮絶だった?両親と離れた少年時代
武井壮さんの生い立ちは、両親と離れて暮らした少年時代から始まります。
現在はタレントとしてもアスリートとしても知られる武井壮さんですが、その原点には、子どもだけで生活を成り立たせなければならなかった時期がありました。
ご両親の離婚後、武井壮さんは2歳年上のお兄さんと2人で暮らすことになります。
小学4年生の頃から父も母も帰らなくなった
武井壮さんは2025年1月、自身の発信の中で当時の状況を具体的に語っています。
「小4くらいの時に父も母も家に帰ってこなくなって」と振り返り、まず区役所に相談へ行ったことを明かしました。
そこで解決策が見つからず、地元で手伝える仕事を探し、ゴミ捨ての仕事で日銭を得ていたといいます。
小学生が自分で行政窓口に足を運び、そこから働き口を探すという流れは、同年代の子どもの生活とはかけ離れたものです。
出典:スポーツニッポン
食事も自分たちでまかなう必要がありました。
武井壮さんは2024年4月に、当時よく作っていた料理として「そぼろご飯」を挙げています。
まとめて作り置きし、それを食べてしのいでいた日々を「自分を自分で育てた忘れられない時間」と表現しました。
つらかった過去としてではなく、自分を形づくった時間として語っているところに、武井壮さんらしさがあらわれています。
出典:日刊スポーツ

子どもだけで生活…?

本人が語った実体験です
なお、お父さんとまったく縁が切れていたわけではありません。
武井壮さんは後年のインタビューで、お父さんから限られた援助があったことにも触れています。
ただしその額は兄弟2人が不自由なく暮らせるほどではなく、生活の大部分は自分たちの働きでまかなうしかない状態でした。
「父母に一切引き取られず完全に子どもだけで生きた」というより、「親が家に帰ってこない時期が続き、兄と支え合って乗り切った」という表現のほうが実態に近いといえます。
ゴミ捨ての仕事と特待生制度で生き抜いた中高時代
中学・高校時代の武井壮さんを支えたのが、学校の特待生制度でした。
通っていた学校には成績優秀者の入学金および授業料が免除される制度があり、さらに首位の成績を取った生徒には毎月の支給金が出る仕組みがありました。
武井壮さんは2025年の発信で、この制度によって月1万2,000円を得ていたと語っています。
学費を払える状況ではなかったため、成績を落とすことはそのまま生活の破綻を意味していました。
出典:スポーツニッポン
収入源はそれだけではありません。
飲食店でトイレ掃除のアルバイトをし、月におよそ2万円を得ていたことも本人が明かしています。
家事をこなし、アルバイトで生活費を稼ぎ、その上で学年首位の成績を維持する。
このどれか1つでも欠ければ暮らしが立ち行かなくなる環境で、武井壮さんは10代を過ごしました。
現在の「常に全力」という姿勢が単なるキャラクターではないことが、この時期の過ごし方からもうかがえます。
なお、武井壮さんが進学した高校や大学については、こちらの記事で詳しくまとめています。
武井壮の出身高校や大学・身長や年齢・利き手や筋肉についても調査
武井壮の実家は東京都葛飾区!金持ちだった?
武井壮さんの実家があるのは、東京都葛飾区です。
下町として知られる街で生まれ育ったことは、本人がテレビ番組でもたびたび語ってきました。
一方で、実家については「金持ちだったのでは」という見方もネット上で語られています。
これは後ほど触れるお父さんの職業と関係しています。
下町・葛飾区で育った子ども時代
葛飾区といえば、映画『男はつらいよ』の主人公である寅さんの出身地としても知られる街です。
商店や住宅が密集し、近所づきあいの濃い土地柄で、武井壮さんもそうした空気の中で育ちました。
武井壮さんはある番組で、小学5年生のときに「スポーツで食べていこう」と決めたエピソードを明かしています。
そのときノートに、スポーツをやっている間はやらないと決めた禁止事項を書き出していったといいます。
最初に書いたのが「お酒を飲まない」でした。
小学生が最初に挙げる項目としては、かなり異例です。
その理由を聞かれた武井壮さんは、お酒で失敗している大人をたくさん見てきたと答えています。
「下町の葛飾区だったので、そこら辺で横になってる人いっぱいいて」という言葉のとおり、日常の風景として目に入っていたようです。

小5でその発想はすごい

街の景色が原点なんです
親が家にいない時期を過ごした武井壮さんにとって、近所の大人たちの姿は生活の中の教材でもありました。
自分の将来を守るためのルールを、誰かに教わるのではなく自分で決めていく。
この時期の習慣が、後年のストイックな姿勢につながっていったと考えられます。
実家と武富士の関係が語られる理由
「武井壮の実家は金持ち」という見方が広がった背景には、お父さんの仕事があります。
武井壮さんのお父さんは美容室を3店舗経営しており、本人も裕福な時期があったと語っています。
出典:テレ東プラス
ただし、その状態がずっと続いたわけではありません。
武井壮さんは同じ番組で、その後「いろいろあって」借金を抱えることになり、ご両親が離婚したことにも触れています。
中学・高校では学費を払えず特待生制度を利用していたことを本人が語っているとおり、少年期の暮らしは裕福とは言えないものでした。
つまり「生まれたときから一貫して裕福だった」という捉え方は、実態とずれています。
裕福な時期があり、その後に大きく状況が変わった、というのが実際の流れです。
さらにネット上では、「武井壮の実家は武富士と関係があるのでは」という説も語られてきました。
消費者金融の武富士と名字が同じであることから、親族なのではないかという見方が出たようです。
ただし、お父さんや親族が武富士の関係者であることを示す本人の発言や報道は見当たりません。
現時点では、名字の一致から生まれたネット上の憶測とみるのが妥当なところです。
武井壮さんの現在の年収や肩書き、愛車などについては、こちらの記事でまとめています。
武井壮はなぜ金持ちなの?肩書きや年収・愛車についても調べてみた
武井壮の父親は美容室3店舗を経営していた
武井壮さんのお父さんは、美容師として美容室を3店舗経営していました。
複数の店舗を任される立場にあり、家族が裕福に暮らせた時期もあったと武井壮さんは語っています。
しかし、その後の展開は大きく変わっていきます。
出典:テレ東プラス
借金と離婚で変わった暮らし
経営が順調だった時期を経て、お父さんは借金を抱えることになりました。
武井壮さんはテレビ番組で「いろいろあって」という言い方でその経緯に触れており、細かい事情までは語っていません。
やがてご両親は離婚し、武井壮さんとお兄さんはお父さんのもとに引き取られる形になりました。
ところがお父さんは、その後よそに家庭を持つようになります。
結果として、兄弟2人が家に残される時間が増えていきました。
前の章で触れたとおり、武井壮さんが小学4年生の頃には父も母も家に帰ってこなくなった状態になります。

お父さんも家にいなかったんだ

援助は届いていたようです
完全に縁が切れていたわけではなく、限られた範囲でお父さんからの援助はあったと武井壮さんは後年語っています。
ただ、それだけで兄弟2人の生活が成り立つ金額ではありませんでした。
親子の関係が断ち切られたのではなく、一緒に暮らせない状態が長く続いた、というのが実際のところです。
父親は2022年に亡くなっていた
お父さんは晩年、がんと闘っていました。
2021年2月には3度目の手術を経て退院したばかりの時期がありました。
この頃、武井壮さんがSNSでお父さんと連絡が取れなくなったことを投稿し、心配の声が集まったことがあります。
「親父が連絡つかん」という書き込みから約2時間半後、武井壮さんは無事だったことを報告しました。
抗がん剤の影響もあって疲労が強く、自宅の外で休んでいるうちに深く眠り込んでしまったという経緯でした。
そしてその翌年、2022年4月にお父さんは亡くなっています。
武井壮さんはSNSで、およそ3年間の闘病だったこと、最後は緩和ケアのもとで穏やかな時間を過ごせたことをつづりました。
長く離れて暮らした時期がありながら、最期は看取る形になったことになります。
出典:Sirabee
なお、病状の詳しい経過や個別の病名について、武井壮さんは踏み込んだ説明を残していません。
ここでは本人が語った範囲にとどめています。
武井壮の母親はピアニストだった?別れは9歳の東京駅
武井壮さんのお母さんについては、ピアニストだったという話が知られています。
これは武井壮さん本人がSNSで語った内容がもとになっています。
一方で、幼い頃に離れて暮らすことになったため、母親像そのものはあまり多く語られていません。
家でグランドピアノが鳴っていた記憶
武井壮さんは自身のXで、「母親がピアニストで、小さい頃毎日家でグランドピアノが鳴ってたよ」と投稿しています。
自宅にグランドピアノが置かれ、その音が日常の一部だったという記憶です。
出典:武井壮公式X
美容室を3店舗経営していたお父さんと、ピアノを弾くお母さん。
幼少期の武井壮さんが暮らしていたのは、そうした家庭でした。
後の生活とは大きく異なる風景があったことになります。

ピアノのある家だったんだ

本人がXで語っています
ただし、お母さんが演奏活動をしていたのか、どこで音楽を学んだのかといった詳しい経歴までは語られていません。
武井壮さん自身が一緒に過ごした時間が短いため、語れる記憶そのものが限られているとみられます。
過去にブログで、お母さんはどんな女性だったのだろうと書いていたこともありました。
思い出をたどるというより、想像で埋めるしかない部分が多かったのだと考えられます。
母親と会っていない40年余りの時間
ご両親が離婚したあと、お母さんは家を出ることになりました。
武井壮さんとお母さんが最後に顔を合わせたのは、9歳のときだったとされています。
場所は東京駅でした。
見送りの場でお母さんが泣いていた姿が、武井壮さんにとって最後の記憶になっています。
それ以降、40年余りにわたって会えていない状態が続いてきました。
元記事では別離の時期を7歳としていましたが、その後の本人および関係する説明では9歳という年齢が示されています。
そのため、ここでは9歳として記載しています。
お母さんが現在どこで何をしているのかについて、武井壮さんは長く分からないままだと語ってきました。
生存しているかどうかも含めて、はっきりした情報を本人が持っていない状態が続いていたことになります。
ネット上では、お母さんの出身地が和歌山なのではないかという見方が出ることもあります。
ただし、これを裏づける本人の発言や報道は見当たらず、現状ではネット上の推測の域を出ないものとみられます。
武井壮さんは、自分を捨てたと受け取られかねない両親についても「生まれてきて、自分の足で歩けるようになるまで育ててくれた」と感謝の言葉を口にしてきました。
恨みや怒りではなく、そこまで届いた事実だけを受け取るという姿勢です。
この感覚は、少年期を自分の力で乗り切ってきた武井壮さんだからこそ持てたものなのかもしれません。
武井壮の兄は坂上忍の付き人だった
武井壮さんには、2歳年上のお兄さんがいました。
名前は武井情さんです。
ご両親が家に帰ってこなくなったあと、唯一そばにいた家族が、この情さんでした。
そして情さんは10代のうちに芸能界の世界へ飛び込んでいます。
中学卒業後すぐに芸能界を目指した理由
情さんは中学を卒業したあと、進学ではなく芸能の道を選びました。
武井壮さんは婦人公論のインタビューで、「兄は中学卒業後、すぐに芸能界を目指して坂上忍さんの付き人になります」と語っています。
坂上忍さんは子役出身で、当時から俳優として活躍していました。
その付き人という立場で、情さんは現場を間近に見ながら俳優を目指していたことになります。
出典:婦人公論

中学出てすぐって早すぎない?

事情がありました
なぜそこまで早く働きに出たのか。
背景には、兄弟2人の生活を支えなければならないという現実がありました。
親の援助だけでは日々の暮らしが成り立たない状況で、収入を得られる場所を探す必要があったのです。
同時に、親からの愛情を受け取れなかった兄弟の中には、認められたい、人を喜ばせたいという思いが育っていったといいます。
その願いが向かった先が、芸能界でした。
生活のためであると同時に、自分の存在を誰かに届けたいという気持ちが重なっていたのだと考えられます。
弟のために進学を諦めていた兄
生活が苦しい中で、兄弟はいつも仲良く過ごせていたわけではありません。
武井壮さんは、当時ぶつかり合うことも多かったと振り返っています。
家事も生活費もすべて2人でまかなう毎日の中で、余裕を失う場面があったのは自然なことでした。
ただ、武井壮さんが情さんの選択の意味を知ったのは、ずいぶんあとになってからでした。
お父さんからの援助は限られた額しかありませんでした。
情さんはそれを弟である武井壮さんに回すことを選び、自分は高校進学を諦めていたのです。
武井壮さんが中学・高校で特待生制度を利用しながら学び続けられた背景には、この兄の判断がありました。
出典:婦人公論
当時の武井壮さんはその事情を知らないまま、兄と言い争うこともあったといいます。
あとから真相を知ったとき、どれだけの重さで受け止めたかは想像に難くありません。
情さんは弟に理由を説明することなく、静かに自分の進路を手放していました。
そして俳優を目指しながら、アルバイトを重ねて生活を支え続けます。
ネット上では、情さんの画像を探す声や、どんな人物だったのかを知りたいという声も見られます。
ただ、表舞台に立つ前に世を去っているため、公に残されている情報はごくわずかです。
弟の武井壮さんが語る言葉が、情さんという人を知るほとんど唯一の手がかりになっています。
武井壮の兄の死因は?24歳で亡くなった経緯
武井情さんは、24歳で亡くなりました。
死因はがんです。
俳優としてこれからという時期に、その道は途中で閉じられることになりました。
出典:婦人公論
なお、具体的な病名や進行の程度については、武井壮さん本人も詳しくは語っていません。
ネット上ではさまざまな病名が挙げられることもありますが、本人の発言や信頼できる報道で裏づけられているのは「がん」という点までです。
ここでもその範囲にとどめています。
武井壮が22歳のときの別れ
武井壮さんはインタビューで、「僕が22歳の時に兄ががんで亡くなった」と語っています。
当時の武井壮さんは大学生でした。
2歳年上の情さんが24歳、武井壮さんが22歳。
子どもの頃から2人だけで生きてきた兄弟の時間は、そこで終わりを迎えます。
出典:婦人公論
両親と離れて暮らしてきた武井壮さんにとって、情さんは家族のほぼすべてでした。
その存在を20代前半で失うことの重さは、簡単に言葉にできるものではありません。

24歳って早すぎる…

唯一の家族でした
さらに武井壮さんは、情さんが自分のために進学を諦めていたことを知る立場にもなりました。
感謝を伝えるはずだった時間が、そのまま失われた形になります。
兄の存在が「百獣の王」を生んだ
情さんの死は、武井壮さんの生き方を決定づけました。
武井壮さんはその後、常に全力で生きる男であろうと自分に誓います。
そして進んだ道が2つありました。
1つは、情さんが目指していた芸能界です。
もう1つは、限界に挑み続けるアスリートの世界でした。
武井壮さんは陸上十種競技で日本一に立ち、その後タレントとして「百獣の王」を名乗るようになります。
一見すると突飛にも思えるこの肩書きの背景に、志半ばで世を去った兄の存在があったことになります。
自分の力だけで生き延びてきた少年期と、兄の遺志を引き受けた20代。
その2つが重なって、いまの武井壮さんの姿があります。
多忙なスケジュールの中でも新しい挑戦を続け、年齢を重ねても記録に向き合う姿勢を崩さない。
その原動力を、単なるストイックさとして片づけるのは難しいところです。
なお、ネット上では情さんに関して不思議な体験を語る検索も見られますが、武井壮さん本人が語った範囲を超える話は確認できません。
ここでは、兄弟が過ごした時間と、そこから生まれた武井壮さんの生き方だけをお伝えしておきます。
武井壮の現在は?家族と歩んだ先にある活動
家族を早くに失った武井壮さんですが、その後の歩みは止まっていません。
タレントとしての活動に加えて、近年は新しい分野への挑戦が続いています。
とくに目立つのが、ゴルフと俳優業の2つです。
ゴルフのティーチングプロ資格に挑戦
武井壮さんは2023年、日本プロゴルフ協会のティーチングプロB級を目指して動き出しました。
2023年7月14日には、受講者を選ぶ実技試験に合格しています。
2日間のスコアは79と75、通算154ストロークで51位タイという結果でした。
出典:ゴルフダイジェスト
さらに同年11月には、面接と学科試験にも合格したことを自身のInstagramで報告しました。
実技だけでなく、指導者としての知識も問われる関門を通過したことになります。
出典:TBS NEWS DIG

本気度がすごい

指導する側の資格です
この流れは番組にもつながっています。
2026年3月には、テレビ東京『武井壮のゴルフバッグ担いでください』にMCとして出演しました。
コースマネジメントを学ぶ内容の番組で、武井壮さんが進行役を務めています。
出典:テレビ東京
2026年4月には、この番組から派生したイベントも千葉県のゴルフ場で開催されています。
ラウンドとトークショーに武井壮さんが参加する形で、視聴者と直接交わる機会にもなりました。
出典:テレビ大阪
十種競技で日本一になった経験を持つ武井壮さんが、40代後半から新しい競技で資格を取りにいく。
小学5年生でノートにルールを書き出していた頃と、やっていることの本質は変わっていません。
俳優としての新たな評価
もう1つの動きが、俳優としての活動です。
2024年には、タイ映画『URANUS2324』に出演しました。
出典:映画.com
さらに2025年には、武井壮さんが主演を務めたショートフィルム『Flicker』が、ぐんま次世代映像クリエイターコンペ2025で審査委員特別賞を受賞しています。
バラエティ番組での姿とは異なる、演技者としての評価を受けた形です。
出典:Short Shorts Film Festival & Asia
情さんが目指していた俳優の道を、弟である武井壮さんが別の入り口から歩いている。
そう考えると、この受賞の意味合いは少し変わって見えてきます。
武井壮さんの身長や年齢、筋肉づくりについては、こちらの記事でまとめています。
武井壮の十種競技の記録は?出身高校や大学・筋肉についても調査
結婚や熱愛に関する話題は、こちらでご紹介しています。
武井壮は結婚してる?元嫁や子供・熱愛彼女や歴代の元カノも調査!
まとめ
今回は武井壮さんの生い立ちと家族構成についてご紹介しました。
ご両親が離婚したあと、小学4年生の頃から父も母も家に帰らない状態が続き、2歳年上のお兄さんと2人で暮らしていました。
ゴミ捨ての仕事で日銭を稼ぎ、そぼろご飯を作り置きしてしのぐ日々です。
中学・高校では学費を払える状況になく、成績首位を維持する特待生制度と飲食店のアルバイトで生活を成り立たせていました。
お父さんは美容室を3店舗経営し、裕福な時期もあった一方で、借金を抱えて離婚に至っています。
そのお父さんは、およそ3年の闘病を経て2022年4月に亡くなりました。
お母さんについては、本人が「ピアニストだった」と語っています。
最後に会ったのは9歳のときの東京駅で、それから40年余り会えていない状態が続いてきました。
お兄さんの武井情さんは、中学卒業後すぐに坂上忍さんの付き人となり、俳優を目指していました。
お父さんからの限られた援助を弟に回すため、自分は高校進学を諦めていたことが後になって分かっています。
その情さんは24歳のとき、がんで亡くなりました。
武井壮さんが22歳のときのことです。
兄が目指した芸能界と、限界に挑むアスリートの世界。
その両方を引き受けた先にあるのが、いまの「百獣の王」という姿でした。
近年もゴルフのティーチングプロ資格に挑戦し、俳優としても受賞歴を重ねています。
家族と過ごせた時間は決して長くありませんでしたが、その一つひとつが武井壮さんの生き方をつくってきたことが分かります。
これからの活躍にも注目していきたいと思います。
