元サッカー選手の内田篤人さんは、32歳で現役を引退しました。
学生時代は多くのクラブチームからスカウトされた内田篤人さんですが、何故引退を決めたのでしょうか。
今回は、内田篤人さんの経歴や出身学校、引退の理由について調べてみました。
内田篤人の学歴
内田篤人さんが通っていた学校について調べてみました。
内田篤人の出身小学校
内田篤人さんは、函南町立函南西小学校出身です。
1年生の頃に特にキッカケもなく、なんとなくサッカーを始めたそうで、この時はまだ遊び感覚だったと明かしていました。
内田篤人の出身中学
小学校卒業後は、函南町立函南中学校に進学しました。
中学時代はサッカー部に所属していたものの、目立った活動はしていません。
内田篤人の出身高校
中学卒業後は、静岡県立清水東高等学校に進学しました。
こちらの学校の偏差値は、66です。
静岡県内でもサッカーの強豪校でありながら、なおかつ進学校でもある文武両道の学校で、内田篤人さんは大学進学も視野に入れてこの学校を選んだそうです。
同級生には多々良敦斗さん、2学年上には菊岡拓朗さんや荒田智之さんが在籍していました。
高校時代もサッカー部に所属、学校まで片道1時間半かけて通っていたため、朝の5時半に家を出る生活を3年間送っていました。
サッカーに明け暮れる日々を過ごし、卒業時には7~8のプロのクラブチームからスカウトを受けたそうです。
大学へ進学せずにJリーグへ
内田篤人さんは、高校時代に早稲田大学と練習試合をした経験から、早稲田大学への進学を考えていました。
しかしプロ一本で進む決意をして大学には進学せず、鹿島アントラーズに入団しています。
内田篤人のプロフィールや経歴
名前:内田篤人
生年月日:1988年3月27日
出身地:静岡県
血液型:O型
身長:176cm
所属事務所:SARCLE
2006年に鹿島アントラーズに入団した内田篤人さんは、Jリーグ開幕戦でクラブ史上初となる高卒ルーキーでのスタメン出場を果たし、ドリブルから先制点となるPKを獲得しました。
さらに第4節甲府戦ではドリブル突破からの先制点でクラブ史上最年少得点を記録し、2点目もアシスト、17歳11か月22日でのプロ初得点は、当時の記録である18歳1か月15日を上回り高卒ルーキーの史上最年少得点記録でした。
同年のJリーグオールスターサッカーでは、DF最多得票で史上最年少出場を果たしています。
2007年には「FIFA U-20ワールドカップ」で右サイドバックとして全4試合にフル出場、2008年1月26日のキリンチャレンジカップチリ戦でフル代表デビュー、8月には北京オリンピックに出場しました。
2009年、鹿島アントラーズは史上初のJリーグ3連覇を達成、内田篤人さんも2年連続でJリーグベストイレブンに選出されています。
2010年7月1日に移籍金推定1億5000万円でドイツ・ブンデスリーガのシャルケ04へ3年契約で完全移籍、秋には右サイドバックのレギュラーに定着しました。
11月24日のUEFAチャンピオンズリーグ(CL)グループステージ第5節リヨン戦では、相手DF3人を鋭く抜きながらの正確なアーリークロスをクラース・ヤン・フンテラールへ上げCL初アシストを記録、B組1位通過での決勝トーナメント進出に貢献しています。
2011年1月のAFCアジアカップ2011では主力メンバーとして優勝に貢献、2014年には2大会連続でのFIFAワールドカップメンバーに選出され、本大会では全試合スタメンフル出場を果たしました。
2017年8月21日、シャルケからブンデスリーガ2部の1.FCウニオン・ベルリンに2018年6月までの1年契約で完全移籍することが決定、その後2018年1月2日に古巣である鹿島アントラーズへの復帰が決定、2020年の引退まで在籍しました。
引退後は日本サッカー協会が新設したロールモデルコーチに就任し、U-19日本代表のコーチを担当、2021年3月31日より『報道ステーション」のスポーツコーナー』にて、キャスターとして出演しています。
さらに2021年5月21日には、シャルケのチームアンバサダーに就任したことが発表されました。
内田篤人の所属事務所
内田篤人さんのマネジメントをしている所属事務所は「SARCLE」です。
この事務所は、大迫勇也選手や南野拓実選手などの多くの現役のサッカー選手や、岡野雅行さんや三浦泰年さんなどの元サッカー選手などが所属しています。
芸能活動のマネジメントだけでなく、選手などのエージェントもしているのです。
内田篤人さんも現役時代から所属しており、引退後もそのまま所属しています。
引退理由は膝の怪我?
2020年8月20日、内田篤人さんは現役引退を発表しました。
開幕前には「32歳はサッカー選手としてまだ死ぬ年齢じゃない」と話し、肉体強化に取り組むなど再起を期していたものの、2月のプレシーズンマッチで右足を負傷、以降も自身のイメージとプレーとのギャップが埋まらず、引退を決意したとのことです。
会見で内田篤人さんは「練習中も怪我をしないように少し抑えながら、ゲームでも少し抑えながらというプレーが続く中で、チームメイトたちが練習を100%でやっている中で、その隣に立つのは失礼だなと思うようになった。鹿島の選手としてけじめはつけなきゃいけないなと思った」と明かしています。
引退以外の選択肢について聞かれた際には「カテゴリを下げたり、環境を変えるために移籍をするのは選択肢としてあるとは思うが、鹿島以外でやる選択肢はなかったので、ここで辞めさせていただきたいと思った」と答えていました。
まとめ
高校時代から注目を集め、プロ入り後も数々の活躍を見せてくれていた内田篤人さんですが、すべてが順調だったわけではありません。
それでも内田篤人さんは現役生活を全力で走り続けました。
今後は選手ではないものの、キャスターやタレントとしてサッカーの魅力を伝えて続けていってほしいと思います。