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中村獅童の本名は?家系図や親戚がすごい!父親と母親・兄弟について

中村獅童の本名は?家系図や親戚がすごい!父親と母親・兄弟について 歌舞伎役者
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中村獅童さんは、元歌舞伎役者の父の元に誕生しました。

調べてみると、叔父や従兄弟も歌舞伎の世界で活躍している方ばかりでした。

そこで今回は、中村獅童さんの家族や親戚について調べてみました。

中村獅童の本名は?

中村獅童さんの本名は、「小川幹弘(おがわ みきひろ)」さんといいます。

名付け親は、叔父の萬屋錦之介さんとのことです。

中村獅童の実家

中村獅童さんは、東京都出身です。

実家の詳しい場所については公表されていないため分かりませんでした。

中村獅童さんのお父さんは元歌舞伎役者ですが、中村獅童さんが産まれた頃には廃業していたため、中村獅童さん自身は普通のサラリーマンの家庭で育ちました。

両親は中村獅童さんを歌舞伎役者にさせるつもりはなかったため、中村獅童さんは3~4歳の時におばあちゃんに連れられて初めて歌舞伎を見たそうです。

中村獅童の家系図や親戚がすごい!

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引用元:中村獅童の家系図紹介!子供たちの良きパパは新たな歌舞伎を切り開く

中村獅童さんのお父さんは歌舞伎を辞めてしまいましたが、曽祖父は三代目中村歌六さん、祖父は三代目中村時蔵さんという家庭でした。

さらに伯父には四代目中村歌六さん、四代目中村時蔵さんがいます。

他にも萬屋錦之介さん、中村嘉葎雄さんが叔父さんにあたり、従兄弟には五代目中村歌六さん、三代目中村又五郎さん、五代目中村時蔵さん、二代目中村錦之助さん、従甥には初代中村隼人さんがいます。

萬屋錦之介さんの「顔で芝居をするな。心で演じなさい」という教えは、今も中村獅童さんの座右の銘になっているそうですよ。

叔父さんにあたる高見澤宏さんは歌手で、三代目中村時蔵さんの四女の夫ですが、歌舞伎との関わりはありません。

中村獅童の父親は初代中村獅童

中村獅童さんのお父さんである小川三喜雄さんは、三代目中村時蔵の三男として誕生し、初代中村獅童として歌舞伎の舞台に立っていました。

しかし10代の時に稽古中に萬屋錦之介さんがある大幹部の役者に頭ごなしに怒られ、お父さんがカッとなり、そのとき掛けていたかつらをその大幹部に投げつけて「俺がやめてやるっ!」と、そのまま家に帰ってしまい、本当に歌舞伎を辞めてしまったのです。

その後は学業に専念して外資系の銀行に就職しものの、東映の時代劇で活躍していた弟たち(長弟の萬屋錦之介さんや末弟で俳優の中村嘉葎雄さん)のために東映に転職し、しばらくして「小川企画」を立ち上げました。

そしてプロデューサーとして弟たちを支えていました。

中村獅童さんが歌舞伎役者になってからは息子のために有限会社中村獅童事務所を設立し、会長として采配を振っていましたが、2008年に天国へと旅立っています。

中村獅童の母親はどんな人?

中村獅童さんのお母さんは、小川陽子さんと言います。

お母さんの生家は京都・伏見に代々続く酒屋で、同志社大学に通っていました。

子供は女ばかりだったことから長女(跡取り)であるお母さんは決まり切った人生がいやになって、夢を求めて東京に上京、そして22歳の時にお父さんとお見合い結婚しました。

歌舞伎のことを何一つ知らなかったお母さんですが、姑(三代目中村時蔵の妻・小川ひな)さんから徹底的に仕込まれ、美容院に行く暇すらなかったことから、自分で髪を結えるように美容師の資格を取ったそうです。

そんなお母さんは中村獅童さんが歌舞伎役者になった時、番頭や弟子がいなかったため、代わりに付き人の代わりとなって支えてくれました。

しかし2013年12月17日、天国へと旅立ちました。

中村獅童の兄弟や姉妹

中村獅童さんは、ひとりっ子です。

大河ドラマ『いだてん~東京オリムピック噺~』で日本人初のオリンピック選手となった金栗四三さんの兄・実次役を演じているときは、弟思いだったお父さんを意識していたと明かしていました。

まとめ

歌舞伎の世界にいたお父さんの跡を継いだ中村獅童さんは、歌舞伎役者としてだけではなく俳優としても様々な作品に出演し、演技が高く評価されています。

空の上で見守ってくれている両親のためにも、役者としてこれからも輝き続けてほしいと思います。

歌舞伎役者
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