「ら・ら・ら」、「あなただけ見つめてる」、「DA・KA・RA」など多数のヒット曲を持つ歌手の大黒摩季さんはどんな人なのでしょうか。
どの学校に通い、どんな学生生活を送っていたのでしょうか。
今回は、大黒摩季さんの経歴や出身学校、年収などについて調べてみました。
大黒摩季の学歴
大黒摩季さんが通っていた学校について調べてみました。
大黒摩季の出身小学校
大黒摩季さんは、札幌市立石山小学校出身です。
こちらの学校は隣町の小学校との合併により2019年に閉校しました。
閉校前には大黒摩季さんが校歌「緑のアーチ」を作り、生徒たちに届けました。
そんな大黒摩季さんは小学校時代から作曲を始め、学校では集団が苦手で、よく1人で音楽室に行っていたそうですよ。
大黒摩季の出身中学
小学校卒業後は、藤女子中学校に進学しました。
こちらは1925年創立のカトリック系私立校で、札幌市にある北海道唯一の女子完全中高一貫校です。
偏差値は、40です。
大黒摩季さんは、中学生の頃からロックに熱中していました。
大黒摩季の出身高校
中学校卒業後は、藤女子高等学校に進学しています。
この学校は高校からの募集を行っていないため、偏差値は推定の60(当時)で、進学校として知られていました。
大黒摩季さんは高校時代にバンドを結成し、学校を中退しようかと考えていたほど音楽に夢中でしたが、両親の説得により中退せずに卒業しています。
大黒摩季の出身大学
高校卒業後は、進学していません。
高校時代から中退を考えていたほどなので、大学に行くという気持ちはなかったのだと思います。
大黒摩季のプロフィールや経歴
名前:大黒摩季
生年月日:1969年12月31日
出身地:北海道
血液型:A型
身長:非公表
所属事務所:ビーイング
1989年、大黒摩季さんはビーイング主催のオーディション(第3回BADオーディション)に合格するも、コーラスをするように言われたそうです。
他にもソニーやビクターのオーディションに合格しています。
ソニーからは「すぐにデビューしよう」という話もあったものの、ビーイングでの下積みの道を選び、
- B’z
- ZARD
- TUBE
- T-BOLAN
- DEEN
- 織田哲郎
などのビーイング系アーティストのコーラスを担当していました。
1991年1月に、SILK(大森絹子さん)のアルバム収録曲『ジョン・レノンが聴こえる夜』で、作曲家デビューしたものの、中々歌手デビュー出来なかったため、アメリカに旅立ちました。
しかし滞在先で、社長から「歌手デビューの話が進んでいる」という旨の電話連絡を受け帰国、活動を再開し、1992年5月「STOP MOTION」で歌手デビューを果たしました。
2枚目シングル「DA・KA・RA」が話題を集め、最高位2位、初のミリオンセラーを記録する大ヒットとなり、第34回日本レコード大賞新人賞を受賞しています。
1993年には『チョット』が83万枚、『別れましょう私から消えましょうあなたから』が66万枚と立て続けにスマッシュヒット、『あなただけ見つめてる』はアニメ『SLAM DUNK』のエンディングテーマ曲に起用され、123万枚の大ヒットを記録しました。
さらに1994年、4月発売の『夏が来る』も97万枚の大ヒット、アルバム『永遠の夢に向かって』は158万枚の大ヒットを記録しています。
そして1995年、『ら・ら・ら』が中居正広さん主演のドラマ『味いちもんめ』の主題歌に起用され、自身最大となる133万枚の大ヒットを記録、今でも多くの人に親しまれています。
1996年には『熱くなれ』が、NHKのアトランタオリンピックのテーマソングに、起用されました。
2010年10月末で子宮疾患の治療のため、無期限活動休止を発表します。
2015年に活動を再開しました。
2020年には、地球ゴージャスプロデュースによるブロードウェイミュージカル「The Prom」で舞台女優デビューを果たしました。
若い頃は実在しないと言われていた!
デビュー当時、大黒摩季さんはテレビ出演やライブが全くなかったため「存在しないのでは?」と噂されていました。
CDジャケットなどに写る大黒摩季さんはCGではないか、大黒摩季さんは2人くらいいるのではないか、という話もあったそうですよ。
この件について大黒摩季さんは、
「会社が『おもしろいんじゃない?しばらくほっといてみよう』って言ったら、6人(いるという噂)まで増えたんですよね。で『これはおもしろい!出なくていいよ』ってなって。そのまま制作に没頭してたら時が経って、話が大きくなって出れなくなった」
と明かしています。
そんな大黒摩季さんが、初めて本格的にファンの前に姿を見せたのは、1997年8月1日にレインボースクエア有明特設ステージで行われた初のソロライブ『LIVE NATURE#0〜Nice to meet you〜』でした。
大黒摩季の性格
大黒摩季さんは、体育館の跳び箱の陰でイヤホン付けて音楽聴いてるような子供だったそうです。
「孤立しているんじゃないかとみんなが声をかけてくれるけれど、『お願いだからそっとしておいて』って。感情を言葉で表すのが苦手で」と明かしていました。
そんな自身の性格を「ジェットコースターみたいな性格です。ものすごくハイになるけれど、ものすごく落ち込む。心底好きになって捨てられる。でもそのたびに曲ができる」と語っており、誰かのためではなく、自分自身を奮い立たせるために、曲を作ってきたのだそうです。
ヒット曲が多い大黒摩季さんですが、下積み時代も経験しており、真面目で努力家な部分もあると思います。
大黒摩季の年収
大黒摩季さんの現在の年収は公表されていません。
ヒット曲が多かった1996年には、9852万円も稼いでいました。
今はそれほどヒット曲を連発しているわけではないものの、過去の楽曲のカラオケ印税や、ツアーなどの収入もあるため、年収はあまり変わっていないのかもしれません。
まとめ
大黒摩季さんは、インタビューの中で「下積み時代に時間を無駄にせず、ボイストレーニングに通ったりレッスンを受けたり、腐らずにバックコーラスを頑張ったりしておいてよかった。人生で一番楽しい時を迎えています」と明かしていました。
これからも歌手として、多くの楽曲を生み出していってほしいですね。