「タレントパワーランキング」で上位にランクインするなど男女問わず支持されている出川哲朗さんですが、実家が凄いと話題になっています。
出川哲朗さんの実家はどこにあるのでしょうか。
今回は、出川哲朗さんの実家や家族について調べてみました。
出川哲朗の実家がお金持ち!
出川哲朗さんの実家は、明治27年創業の海苔問屋「蔦金商店(つたきんしょうてん)」です。
神奈川県横浜市に根づいた老舗であり、かつては「裕福な家庭」としても知られていました。
出川さん自身もテレビ番組で幼少期について、「父親がベンツに乗っていた」「通園や通学はいつもベンツでの送り迎え」「兄弟一人ひとりにお手伝いさんがいた」といったエピソードを語り、恵まれた環境で育ったことがわかります。
しかし、順調だった家業も常に安泰ではありませんでした。
出川さんが高校3年生のときには経営危機に陥り、倒産寸前まで追い込まれたこともあったそうです。
それでも家族の努力で事業を立て直し、現在も営業を続けていることから、強固な経営基盤と厚い信頼がうかがえます。
長年地元に根ざし、時代の変化を乗り越えてきた老舗の背景が、出川さんの地に足のついた人柄にも反映されているのかもしれません。
出川哲朗の実家の店の場所
蔦金商店の所在地は、神奈川県横浜市神奈川区栄町89にあります。
店名:株式会社蔦金商店
住所:神奈川県横浜市神奈川区栄町89
電話番号:045-461-0361
営業時間:7:00~17:00
定休日:日曜、祝日、水曜日
横浜駅からもほど近い場所で、アクセスは非常に良好です。
店内では、出川哲朗さんの顔写真がパッケージに使われた「元気のりのり」シリーズの焼き海苔や味付け海苔が人気商品となっており、テレビ番組で紹介されることもあります。
タモリさんや梅宮辰夫さんがその味を絶賛したというエピソードもあるなど、芸能界でもファンが多い商品のようです。
出川さん自身も「リアルガチに美味しい」と自信を持ってすすめており、ファンの間では“出川家の味”として親しまれています。
贈答用の詰め合わせセットなども取り扱っており、お中元・お歳暮といったギフト需要にも対応。
近年ではインターネットを通じた注文も可能となっており、全国から注文が入る人気店へと進化しています。
地元に根ざした老舗の味と、出川さんの温かい人柄が重なり、今ではファンにとっても訪れてみたい“聖地”のひとつとなっているようです。
出川哲朗の家系図がすごい!
出川哲朗さんの家系は、代々神奈川県北東部に根を張る由緒ある一族として知られています。
江戸時代には特に、新田開発など地域社会の発展に深く関わってきた歴史があり、地元では「名家」として認識されていました。
この一族の中でも、出川さんの曽祖父にあたる出川金蔵さんは、明治27年に老舗の海苔問屋「蔦金商店」を創業し、商業面からも地元経済を支えた人物として記録に残っています。
バラエティ番組などで親しみやすいキャラクターを見せる出川さん自身からは想像しづらいかもしれませんが、そのルーツには地域との深いつながりと、商才に長けた先祖たちの歴史が刻まれているのです。
出川哲朗の母方の家系に衆院議員や経団連会長
驚くべきことに、出川哲朗さんの母方の家系には名高い人物が連なっています。
母方の祖父の兄弟である三鬼隆(みきたかし)さんは日本産業界を支えた著名な実業家で、八幡製鉄所の初代社長を務めました。
さらに戦後の経済再建期には「日本経営者団体連盟」(現在の経団連の前身)の会長も歴任し、戦後日本の産業政策に大きな影響を与えた人物として経済史に名を残しています。
また、三鬼隆さんの息子である三鬼彰(みきあきら)さんは、後に新日本製鐵(現・日本製鉄)の会長に就任し、鉄鋼業界のリーダーとして世界競争の中で日本の鉄鋼産業を支えました。
さらに遡ると、出川さんの曽祖父・三鬼鑑太郎(みきかんたろう)さんは岩手軽便鉄道(現在のJR東日本・釜石線)の社長であり、衆議院議員としても活躍した政治家でした。
興味深いことに、出川さん自身もこうした母方の家系について長らく詳しく知らず、明石家さんまさんの番組『さんまのホンマでっか!?TV』で初めて知ったと語っています。
自身が”おぼっちゃま”であることは以前から公言していましたが、これほど政治・経済の要職に就いていた親族がいたことに、本人も大変驚いたようです。
このような名門の血筋でありながら、それを誇示することなく庶民的で飾らないキャラクターを貫く出川哲朗さん。
そのギャップこそが、彼が長年多くの人に愛され続ける理由の一つなのでしょう。
出川哲朗の父親の職業
出川哲朗さんの父親は出川誠一郎(でがわせいいちろう)さんです。
明治から続く老舗の海苔問屋「蔦金商店」の3代目として家業を継ぎました。
出川さんは幼少期について「ベンツで送り迎えされていた」「兄弟それぞれにお手伝いさんがいた」と語っており、当時の蔦金商店が非常に繁盛し、経済的に恵まれていたことがうかがえます。
しかし、順風満帆に見えた経営の裏には複雑な家庭事情がありました。
出川さんによると、父・誠一郎さんは事業の成功に安心したのか、本業以外のサイドビジネスに手を出すようになり、蔦金商店の経営はほとんど母親に任せきりになっていたそうです。
このことが後の経営危機につながり、1981年頃には経営が悪化。
最終的に誠一郎さん自身が家業から身を引く形となり、事実上「追放」されたとも伝えられています。
その後、誠一郎さんは糖尿病を患い、50代で体調を崩します。
療養生活を送るなか、1991年に逝去しました。
出川さんがテレビで父親について語る機会は限られていますが、生前の思い出を笑いを交えながらもどこか寂しげなトーンで振り返る場面もあり、家庭内での複雑な感情がうかがえます。
一方で、父親の苦労や失敗を自らの糧に変えてきた出川哲朗さんの姿勢に、多くの人が共感しています。
芸能界での成功だけでなく、家族や故郷を大切にし続ける姿からは、単に明るく面白いだけでなく、人としての深みも感じられるのではないでしょうか。
出川哲朗の母親はどんな人?
出川哲朗さんの母親は、出川泰子(でがわやすこ)さんです。
落ち着いた雰囲気と芯の強さを持つ女性で、出川さん自身も様々な場面で「本当に尊敬している」と語っています。
泰子さんの実家は宮城県塩釜市で海苔の製造・販売を行う海苔問屋でした。
出川さんの父・誠一郎さんが海苔の仕入れ先を探して東北地方を訪れた際、泰子さんの実家を訪問したことがきっかけで二人は出会い、後に結婚しました。
父・誠一郎さんが家業から離れることになった後、泰子さんは「蔦金商店」の4代目として経営を引き継ぎ、事業の立て直しに尽力しました。
当時、店舗は多額の負債を抱え非常に厳しい状況でしたが、彼女は持ち前の責任感と商才で経営を少しずつ再建し、最終的にはすべての借金を完済しました。
この家業再建の手腕は、出川さんだけでなく周囲からも「本当にすごいお母さんだった」と高く評価されています。
泰子さんは地域の人々との交流を大切にし、誠実な経営を心がけていました。
そうして蔦金商店を支える常連客や取引先との信頼関係を築き上げていったのです。
出川さんもメディアで「母がいなければ今の蔦金商店は残っていなかった」と感謝の言葉を述べており、その功績は計り知れません。
しかし2001年、泰子さんは癌を患い、闘病生活に入ります。
懸命な治療を続けましたが、病状は徐々に進行し、2011年に逝去されました。
出川さんは母の死について公の場ではあまり語りませんが、インタビューや番組での時折見せる静かな口調からは、深い敬愛の念と大きな喪失感が伝わってきます。
テレビで見せる明るいキャラクターの背景には、母への強い思いや家族への深い愛情が根づいていることが、多くの視聴者にも伝わっているようです。
出川哲朗の兄弟は兄と姉がいる
出川哲朗さんは3人きょうだいの末っ子で、上に兄と姉がいます。
テレビや舞台で見せる親しみやすいキャラクターには、こうした家族関係や生まれ育った環境が深く影響していると言えるでしょう。
芸能活動をしているのは出川さんだけですが、兄姉もそれぞれの立場で家族や地域を支える存在となっています。
出川哲朗の兄は実家の海苔問屋の社長
出川哲朗さんの兄は出川雄一郎(でがわゆういちろう)さんです。
雄一郎さんは明治創業の老舗海苔問屋「蔦金商店」の5代目社長として、実家の家業を継ぎ、地域に根ざした経営を続けています。
芸能界には関わっていませんが、出川哲朗さんが番組で地元を訪れる際に兄弟で共演することがあり、その際の誠実で落ち着いた雰囲気が印象的だと評判になっています。
興味深いエピソードとして、出川さんが長年「嫌いな男ランキング」で1位を獲得していた時期、雄一郎さんは「何にせよ”日本一”になるのはすごいことだと思う」と、ユーモアを交えながら弟を支えるコメントをしたことがあります。
このような姿勢からも、兄弟間の深い信頼と理解が伝わってきます。
蔦金商店は現在も横浜市神奈川区で営業しており、出川さんの人気も相まって、ファンの”聖地巡礼”スポットとなっています。
経営の最前線に立ちながらも弟・哲朗さんの活躍を陰で支える雄一郎さんは、家業と家庭の両面から出川家の歴史をつなぐ重要な存在となっているのでしょう。
出川哲朗の姉
出川哲朗さんの姉は出川峰子(でがわみねこ)さんといいます。
兄とは違い、メディアにはほとんど登場せず、公の場での発言や情報も極めて限られています。
そのため、職業や生活スタイルなどの詳細は明らかではありませんが、一般の方として静かな暮らしを送っているようです。
出川さんが家庭のエピソードを語る際には、姉との思い出についてもしばしば触れており、兄妹の仲の良さがうかがえます。
特に母・泰子さんの病気や実家の経営再建といった困難な時期には、家族全体で支え合っていたことが語られています。
これは出川家の強い絆を物語るものと言えるでしょう。
まとめ
幼い頃はとても裕福だった出川哲朗さんは、家族が作ってきた道ではなく芸能界という世界に入り、家族とは異なる場所で活動しています。
これからも、お兄さん、そしてお姉さん、そして天国で見守ってくれている両親のために、芸能界で輝き続けてほしいですね。
