『FNNスーパーニュース』、『直撃LIVE グッディ!』などでキャスター・司会を務めていた安藤優子さんは、長年母親の介護をしていたことを明かしています。
安藤優子さんのお母さん、そしてお父さんはどんな人なのでしょうか。
今回は、安藤優子さんの実家や家族、介護生活について調べてみました。
安藤優子の実家は市川市
安藤優子さんは、千葉県市川市出身です。
場所は公表されていませんが、安藤優子さんが「両親は埼玉にあるマンションの8階で暮らしていた」と話していたことから実家は引っ越したようですね。
現在は両親ともに旅立ってしまっているため、安藤優子さんの実家はないのだと思われます。
安藤優子の生い立ち
1958年11月19日に誕生した安藤優子さんは、2歳からバレエを習っていました。
しかし目立つことが好きなタイプではなく、小学生の頃は内気な性格で、授業中も手を挙げて発言することはありませんでした。
そんな安藤裕子さんは大学生の時に渋谷のパルコでエレベーターガールのアルバイトをしており、そこで外国人客と堪能な英語で話をしていたところをテレビ朝日のプロデューサーにスカウトされてテレビデビューしました。
このプロデューサーは当時アメリカの旅番組のレポーターを探しており、安藤裕子さんを見て「学生だろうし、暇そうだし、長く行くアメリカの旅番組に安く使えそうだ」と声をかけたそうです。
安藤優子の父親
安藤優子さんのお父さんの名前は公表されていません。
職業についても「会社を経営していた」という情報があるものの、どんな会社を経営していたのかなど詳しいことは分かりませんでした。
お父さんは、2006年に膵臓がんが発覚し、わずか半年で旅立ってしまいました。
安藤優子の母親
安藤優子さんのお母さんは、みどりさんといいます。
大正生まれで、女学校時代に戦争を経験し、戦後は結婚して出産や子育てに追われていました。
明るく社交的で旅行(ハワイ)が大好きな女性だったそうですよ。
料理も得意で、調理師免許も持っていました。
しかし教育やしつけに厳しい性格だったため、安藤優子さんがアメリカ留学から茶髪や短パンという姿で帰って来たのを見て絶句したり、アメリカの大学に行きたいといった時には「アメリカ人になってしまいなさい(縁を切る)」と言ったそうです。
母親の介護が壮絶だった?
安藤優子さんは、お母さんの介護に16年間向き合っていました。
介護が始まる前兆は、お母さんが70代前半の頃でした。
突然「ベランダから飛び降りてやる!」と叫んだそうです。
家族や近所とのトラブルもなく、何の理由も考えられないなか、突然の出来事だったことに安藤優子さんは驚きが隠せませんでした。
それから少し経ったある晩、お母さんは自宅の玄関先で転倒して起き上がれなくなり、翌日救急隊に救出されました。
しかしお母さんは近所を騒がせた羞恥心や屈辱感から心に大きな傷を負い、自室に引きこもって安藤優子さんら子供たちが訪れても口を利かなくなってしまったそうです。
この出来事から5年経った頃、お父さんが亡くなり一人暮らしになったお母さんの認知症の症状は格段に進みました。
当時のお母さんは要介護認定を受けており、ケアマネジャーやヘルパーの助けを借りながら、安藤優子さんは兄妹と力を合わせて在宅介護をしていました。
平日は『スーパーニュース』の生放送があったため、金曜日に放送を終えるとすぐに車を飛ばし週末は泊まりがけで世話をして、日曜に自宅に戻ってまた月曜から生放送という生活を送っていました。
多忙な中でも介護保険の力を借りて在宅介護を続けていたものの、お母さんは気に入らないヘルパーを勝手にクビにしてしまい、荒れ放題になった家にはペットの犬の排泄物が転がるなど悲惨な状態になったため、お母さんを施設に入れることを決断したそうです。
10か所以上の施設を見て回って、衛生環境からヘルパーひとりあたり何人の入所者をケアしているかまで細かくチェックし、最終的には兄妹3人の家からなるべく近く、看護師が24時間常駐し、クリニックを併設する介護付き有料老人ホームに決めました。
しかしお母さんは施設に入ることを拒否、入居翌日には一番に施設から呼び出され、「苦労して育てた親に何てことをするんだ!」「自分の家があるのに、なぜこんな所に入れるのか!」と泣き叫ぶお母さんに延々と罵倒されたそうです。
それから2週間毎日お母さんの元に行くも、ホーム長から「子供が来るとお母さんは甘えとワガママで環境に馴染もうとしない。これから1か月は来ないでください」と叱られたそうで、安藤優子さんは「その時は親を見捨てるようで本当につらく、姉とともに散々泣きました」と語っています。
それから安藤優子さんは一度はお母さんを引き取ろうと決意するも、お手伝いさんからの「24時間、誰が世話をするんですか。一時的な感情で引き取ってはダメです」という言葉で、お母さんは施設に居続けることになりました。
その後もお母さんは介護職員に暴言を吐き、二度にわたって脱走するなど施設に馴染めなかったものの、1年ほど経ったときに安藤優子さんの知人が施設内でお母さんに「臨床美術」のセラピーを施すことになったそうです。
このことがきっかけでお母さんは少しずつ落ち着きを取り戻し、笑顔を見せるようになりました。
そして安藤優子さんにも心の余裕が出来、「入所者とも徐々にコミュニケーションが取れるようになり、ホームへの愛着も湧きました。何より最後の3年間は、お花畑にいるように、心穏やかに過ごす母を見ることができました」と明かしています。
2014年にお母さんは89歳でなくなりましたが、朝ごはんを最後の一口まで食べて、それから心臓麻痺で旅立ったそうです。
安藤優子の兄弟や姉妹
安藤優子さんには、お兄さんと、1歳上のお姉さんがいます。
二人については一般人ということで、名前や職業、顔写真などは公表されていません。
まとめ
長い介護生活を経験した安藤優子さんは、インタビューの中で「介護に正解はないので、困った時やつらい時は迷わず『助けてほしい』と周りを頼らなくてはいけない。決して簡単ではないけど、それが長い介護を経験した私が学んだこと」と明かしていました。
安藤優子さんの経験が、これからも多くの人の助けになるといいですね。