ネット上では、俳優の石坂浩二さんはの若い頃がカッコイイと話題になっています。
石坂浩二さんはどんな作品でデビューし、これまでどんな活躍をしてきたのでしょうか。
今回は、石坂浩二さんの若い頃や経歴、年収などについて調べてみました。
石坂浩二の若い頃がかっこいい!
石坂浩二さんの若い頃の姿はこちらです。
顔立ちが整っていて、イケメンですね。
今も素敵な男性ですが、若い頃はモテモテだったのではないかと思います。
石坂浩二のプロフィールや経歴
名前:石坂浩二
生年月日:1941年6月20日
出身地:東京都
血液型:O型
身長:177cm
所属事務所:プロダクション尾木
1958年にドラマ『お源のたましい』に通行人のエキストラでデビューした石坂浩二さんは、1967年に出演した『泥棒たちの舞踏会』で演出家・浅利慶太さんのスカウトをきっかけに劇団四季へ入団、劇団では演出部に所属し、浅利慶太さんのサポートを素地目ていました。
1967年に病気がきっかけで劇団四季を退団すると、俳優としてドラマや映画などに出演するようになりました。
石坂浩二さんはNHK大河ドラマ常連俳優の一人といわれており、最初の出演の『花の生涯』と翌年の『赤穂浪士』には役無しで出演、1965年の『太閤記』で石田三成を演じ初めて役付きの出演を、1969年の『天と地と』では上杉謙信を演じ、大河ドラマ初主演を果たしています。
1970年代前半にはTBSの人気タレント調査で3年連続1位となり、JNNデータバンク調べによる好感度タレントの支持率調査では、1972年7月に支持率42.6%を記録、これは同調査において1970年代の第1位の記録だそうです。
映画では1976年に映画『犬神家の一族』に金田一耕助役で主演し、同年の邦画配給収入2位を記録しました。
1988年には「劇団急旋回」を結成し、自らの脚本・演出によるオリジナル・ミュージカルを数多く上演したものの、劇団は1996年に解散しました。
テレビ東京系列の『開運!なんでも鑑定団』では、番組開始の1994年から2016年3月まで22年に渡って出演、その後は同年4月から2017年9月までBSジャパンの派生番組『-極上!お宝サロン』のメイン司会を担当していました。
ナレーションでは、新人時代から『ウルトラQ』『ウルトラマン』や壮年期の『シルクロード』、『渡る世間は鬼ばかり』などを担当、ただ声優としては、2007年7月公開の映画『劇場版ポケットモンスター ディアルガVSパルキアVSダークライ』で初挑戦を果たしています。
石坂浩二の本名
石坂浩二さんの本名は、「武藤兵吉(むとう へいきち)」さんです。
芸名の由来は、親友で女優の大空真弓さんが自分の好きな作家・石坂洋次郎さんと俳優・鶴田浩二さんからそれぞれ拝借して名付けてくれたのだそうです。
石坂浩二さんが本名で活動していた頃、TBSのテレビプロデューサー・石井ふく子さんに見いだされたときに改名を勧められ、“石”のつく芸名を大空真弓さんの父親が姓名判断をしていたこともあり「石坂浩二」に決まったとのことでした。
石坂浩二の年収
石坂浩二さんの現在の年収は公表されていません。
1980年には9166万円の稼ぎがあったといわれており、現在も現役で俳優業を続けていることから、年収は億以上ではないかと思われます。
石坂浩二の病気は治った?
石坂浩二さんは、1970年に胃潰瘍、2002年に直腸がんを患いました。
胃潰瘍の時は劇団四季に所属していたため退団し、治療を行いました。
直腸がんの時も俳優として多忙な日々を送っており、石坂浩二さんは初め痔だと思い込んでいたそうですが、後の精密検査で直腸がんが発覚、がんの摘出手術を受けるため、芸能活動を休業しました。
がんの手術は成功し、翌日から歩く練習、重湯から普通食へ、ベッドで本を読む等、主治医が驚くほどの回復ぶりだったのだそうです。
石原浩二さんは「信頼できる医師に出会えたことは幸せだった」と明かし、翌年の2003年夏頃から本格的に俳優活動を再開、現在は健康に問題はないようですね。
まとめ
過去に病気で俳優業を2度休業した石坂浩二さんですが、今は俳優、司会者、ナレーターなどマルチに活動し、老若男女問わず親しまれています。
今後も身体を大切にしながら、芸能活動を続けていってほしいと思います。
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