氷の上で圧倒的な表現力を見せ、プロ転向後も私たちを魅了し続ける宇野昌磨さん。
あんなに情感豊かな演技ができるのは、きっと温かい愛に包まれて育ったからなんだろうな、と想像してしまいますよね。
フィギュアスケートという華やかな世界で活躍する彼を見ていると、「ご実家はやっぱり大富豪なの?」「ご家族もすごい人たちなの?」と、そのプライベートな背景が気になってしまうのも無理はありません。
実は、宇野家はそれぞれが個性的で、とてもパワフルなご家族なんです。
社長のお父さん、献身的に支え続けたお母さん、ドッグカフェを経営する弟さん、そして世界的な画家の祖父。
今回は、そんな「宇野ファミリー」の絆と、最新のエピソードをたっぷりとご紹介します。
宇野昌磨の実家はお金持ち!
宇野昌磨さんといえば、王子様のような品格が漂っていますが、実際のところご実家はどのような環境なのでしょうか。
まずは、ファンの間でまことしやかに囁かれる「実家大富豪説」について、その真相と生活の匂いを探ってみましょう。
宇野さんのご出身は愛知県名古屋市。
具体的な住所はもちろん公表されていませんが、ファンの間では「東区の高級住宅街・撞木町(しゅもくちょう)あたりではないか?」と噂されています。
このエリアは歴史あるお屋敷や高級マンションが立ち並ぶ、名古屋屈指のハイソな地域ですよね。
そして、「やっぱりお金持ちなんだ!」と確信させてくれるのが、宇野さんのYouTubeチャンネルや弟・樹さんのSNSから垣間見える実家の様子です。
エレベーター付きとも言われる豪邸には、高級感あふれるインテリアや立派なピアノが置かれ、広々としたリビングで愛犬たちと戯れる姿は、まさにセレブリティの日常そのもの。
でも、嫌味な感じが全くしないのは、それが「フィギュアスケート」という莫大な費用がかかる競技に打ち込むための、家族の覚悟の結晶だからかもしれません。
経済的な豊かさはもちろんですが、それ以上に、才能を伸ばすための環境作りに対するご家族の本気度が伝わってきますよね。
宇野昌磨の生い立ち
1997年12月17日、宇野家の長男として生まれた昌磨さん。
今の力強いスケーティングからは想像もつきませんが、実は出生体重が1000gにも満たない「超低出生体重児」としてこの世に生を受けました。
幼少期は喘息で入退院を繰り返すほど体が弱かったそうです。
そんな小さな昌磨さんを心配したご両親は、「とにかく体を強くしてあげたい」という一心で、水泳やテニス、ダンスなど、さまざまなスポーツを経験させました。
その中で、昌磨さんが自らの意思で「これがやりたい!」と選んだのが、フィギュアスケートだったのです。
運命が動いたのは5歳の時。
名古屋スポーツセンターのリンクで、偶然居合わせた浅田真央さんに「君かわいいね、フィギュアやりなよ」と声をかけられたエピソードは、まるで映画のワンシーンのように有名ですよね。
その後、浅田さんが海外へ拠点を移すまでの約5年間、姉弟のように一緒に練習を重ねた日々が、世界のトップスケーター・宇野昌磨の原点となりました。
そして時が経ち、現役を引退し、自らプロデュースするアイスショー『Ice Brave』で全国を巡る昌磨さんの姿には、あの頃のひ弱な少年の面影はありません。
でも、ゴルフを趣味にするなど、意外と多趣味な一面は、幼い頃に色々な経験をさせてくれたご両親の影響かもしれませんね。
宇野昌磨の父親
そんな宇野昌磨さんの競技生活を、経済的な面でどっしりと支え続けてきたのが、お父さんの宇野宏樹(ひろき)さんです。
宏樹さんは、名古屋市内で「株式会社ウィード」というIT企業を経営する社長さんです。
テクニカルライターとしての経験を活かして2000年に設立された会社で、マニュアル制作やシステム開発などを手掛けていらっしゃいます。
2025年現在で創業25年を迎える安定した企業のトップとして、社員を率いながら、息子たちの夢を全力でバックアップしてきました。
#宇野昌磨 さんの父・宇野宏樹さんです(↓)https://t.co/zOn6EhOnnN
— カゲロウ (@Kagerou_Kazoku) February 10, 2022
【顔画像】宇野昌磨の家族構成!弟はモデルでイケメン!父親は社長で母親は美人! – XOXブログ https://t.co/EJKmVgL37F pic.twitter.com/PMqohxtbZ4
フィギュアスケートは、トップレベルになればなるほど、年間で数千万円単位の費用がかかると言われる世界です。
遠征費、衣装代、コーチ料、リンク代……。
これらを長年にわたって負担し続けることができたのは、間違いなく宏樹さんの経営手腕と、「息子のやりたいことを何としても叶える」という父親としての強い意志があったからでしょう。
表立ってメディアに出ることは少ないお父さんですが、その背中は誰よりも大きく、昌磨さんにとって一番の安心できる場所だったに違いありません。
宇野昌磨の母親
そして、技術面やメンタル面で昌磨さんと二人三脚で歩んできたのが、お母さんの宇野純子(じゅんこ)さんです。
昌磨さんにとって、彼女は「母親」であると同時に、一番厳しく、一番温かい「戦友」でもありました。
純子さんは一般の方ですが、メディアで語られるエピソードからは、小柄で可愛らしい雰囲気とは裏腹に、芯の通った強い女性像が浮かび上がります。
昌磨さんが5歳でスケートを始めてからというもの、深夜や早朝の練習の送迎、食事管理、遠征の準備など、生活のすべてをスケート中心に捧げてきました。
当時のコーチだった山田満知子先生から「昌磨のママがいちばん怖い」と言われるほど、練習を見守る目は厳しかったそうです。
でもそれは、才能があるのに甘えが出てしまう息子への、愛ある「叱咤激励」でした。
昌磨さん自身も「母がガンガン言ってくれたから、ここまでジャンプが跳べるようになった」と感謝を口にしています。
2024年10月には、なんと『徹子の部屋』に出演!
「母の叱咤激励で頂点へ」というテーマで、これまでの苦労や喜びを語ってくださいました。
プロ転向後も、ショーの会場で忙しく動き回る姿が目撃されており、形は変われど、母と息子の絆は変わらず続いています。
「僕より頑張った母のために」。
平昌オリンピックで昌磨さんが残したこの言葉に、二人の15年間のすべてが詰まっている気がしますね。
宇野昌磨の弟はモデルの宇野樹
宇野家のムードメーカーであり、お兄ちゃんの一番の理解者といえば、4歳年下の弟・宇野樹(いつき)さんです。
樹さんは、かつては陸上ホッケーの選手として活躍し、モデルとしても活動していましたが、2025年現在はなんと実業家としての顔も持っています!
2024年5月、名古屋市東区にドッグカフェ「UNO cafe(ウノカフェ)」をオープン。
愛犬家が集まる素敵な空間として、連日多くのお客さんで賑わっているそうですよ。
樹さんと昌磨さんの仲の良さは有名ですよね。
海外遠征に通訳兼マネージャーとして帯同したり、メディア対応をこなしたりと、競技以外のことがちょっぴり苦手なお兄ちゃんを、甲斐甲斐しくサポートしてきました。
2025年11月に放送されたバラエティ番組では、昌磨さんが「身長も高くて、しっかりしていて……でも深夜も早朝もずっとゲームしてる人」と弟を紹介し、スタジオの笑いを誘っていました。
お互いに自立した今でも、一緒にゲームをしたり、愛犬の世話をしたりと、その関係性は「最高の兄弟」であり「親友」のよう。
それぞれが違うフィールドで活躍しながらも、リスペクトし合う二人の姿を見ていると、なんだかこちらまで温かい気持ちになります。
宇野昌磨の祖父母
宇野家の才能のルーツを辿ると、この方にたどり着きます。
昌磨さんの祖父・宇野藤雄(ふじお)さんです。
藤雄さんは、日本を代表する洋画家の一人。
二科展で23年連続入選という輝かしい経歴を持ち、カンヌ国際展でのグランプリ受賞など、世界的に評価されている芸術家です。
昌磨さんのあの吸い込まれるような表現力や、指先の美しさは、間違いなくおじいさまから受け継いだ「芸術家のDNA」によるものでしょう。
2025年現在、98歳となられた藤雄さんですが、その創作意欲は衰えることを知りません。
2024年5月に行われた昌磨さんの引退会見もテレビで見守り、「よく頑張った。昌磨には天性の表現力がある。ピカソと同じだ」と、孫を最高の言葉で労いました。
孫・昌磨をモデルにした絵画も多数制作されており、そこには単なる被写体としてではない、祖父から孫への深い愛情と誇りが筆致として刻まれています。
おじいさまの絵の中で滑る昌磨さんは、リンクの上と同じくらい、あるいはそれ以上に自由に輝いているのかもしれません。
まとめ
宇野昌磨さんという稀代のスケーターが生まれた背景には、それぞれの形で彼を支え、愛し抜いた家族の存在がありました。
社長として経済面を支えた父、厳しくも温かい愛で導いた母、親友のように寄り添った弟、そして芸術の魂を分け与えた祖父。
誰か一人でも欠けていたら、今の「宇野昌磨」は存在しなかったかもしれません。
プロとして新たなステージ「Ice Brave」に挑む昌磨さんと、それぞれの場所で輝き続ける宇野ファミリー。
これからも、この最強家族の物語を応援していきたいですね。
【参考文献】
- 株式会社ウィード公式サイト
- セントラルジャパン公式 宇野樹プロフィール
- UNO cafe 公式Instagram
- テレビ朝日「徹子の部屋」バックナンバー
- 中日新聞 宇野昌磨引退会見詳報




